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「誰かをかばっているのか」
「いいえ、私が犯人です」
女が顔を真っ赤にして言う。ムキになっているだけのように感じる。
「貴様には人の頭を吹き飛ばすことはできない。違うか」
「できます」
彼女は今にも泣き出しそうだ。
「良いか、あの現場では壁は焦げていなかった。貴様のやってみせたのは、せいぜい人の顔面を焦がす程度のものだろう。もしかしたら、燃やせるかもしれない。しかし、吹き飛ばすことはできない。火力が足りないのだ。真空になるほどの圧力をかけられるのなら別だが、あの殺し方には瞬間的に蒸発させるほどの火力が必要だ」
シルムは理解できなかったのか、口を開けたまま呆けている。女は理解できたのか、唇を噛んでうつむいた。
「よくわかりませんけどぉ、嘘だったってこと?」
シルムが女の足元に座り込んで、顔を見上げた。
「おいクソアマぁ。よくも騙しやがって、ぶち殺すぞぉ」
唐突に激高したシルムが、彼女の髪の毛を掴んで床を引きずった。そのまま壁に向かって投げつける。近くにいたグレーザはそっと身を避けた。女は壁にしこたま顔面をぶつけて鼻血を出した。
驚いた女は泣きじゃくりながら謝罪したが、そんなことではシルムは少しも怯まなかった。床を転がる彼女に、思い切り蹴りを入れる。まったくわけのわからない男だ。
「やめろ」
「あぁ? 指図すんなよぉ」
先程までの殊勝な態度とは打って変わって、猿のように顔を真っ赤にした、ただのチンピラだ。
グレーザに合図すると、彼は音もなくシルムに近付き絞め落とした。流れるような動きに、グレーザが味方で良かったと思った。
「全く、面倒な男だ」
白目をむいたシルムをそのまま床に転がしておいて、泣いている女の腕を引いた。女は鼻水を垂らして泣いていた。
「良いか、よく聞け。私の質問に正直に答えろ。さもなくば、もっと恐ろしい目にあわせてやる」
女は壊れた人形のようにガクガクとうなずいた。
アロイスは机に戻り、椅子に座った。
「なぜ、自分が犯人だなどと偽った?」
女は観念したのか、とつとつと語り始めた。
「本当の犯人が誰なのかわかったからです」
「本当の犯人とは?」
女は鼻水をすすった。口は固く閉ざしたままだ。
「それは、痛い目にあいたいということか?」
彼女はビクリと肩を震わせたが、それでも口は開かなかった。
パイプに草を詰め、火をつける。肺で煙を満たし、目を閉じた。
長く、深く息を吐く。
面倒だ。本当に面倒だ。関係者を全員殺してここから出ていこうか、と考えた。しかし、こんなに理想的な環境を手放してしまうのは惜しい。せめて、フランクライヒの研究者がきてヘロインを量産できるようにできるまではここにいたい。
「モニトルも知っていたのか?」
女はうなずいた。
どいつもこいつも馬鹿にしてくれる。何もかも茶番だ。あの男はわかっていて、我々に同行し、心のうちでは嘲笑っていたに違いない。
「そんなに死にたいなら、望み通りにしてやる」
「どうするつもりですか?」
グレーザが尋ねる。
「要望通り、この女を差し出す。奴らは、処刑できれば誰でも良いのだろう。私も真実になど興味はない」
本心だった。真実など、何の役にも立たない。世界は、何もかも誰かの意思によって操られているのだ。誰かによって与えられた事実。それを真実と呼ぶ。正義など、後付でしか無い。
「さあ、茶番の仕上げに行こうではないか」
パイプの灰を皿に落とした。女を立たせる。力が抜けているが、自分の足で歩けるようだった。
「あの司令官の顔を見るのが楽しみ……」
そう言って、玄関を出た瞬間。
アロイスの顔に血しぶきがあたった。
何事だ――そう思ったのと、女が地面に倒れた音を聞くのとが同時だった。女は首から勢い良く血を吹いていた。
「貴様……なぜだ」
マヌだった。大きな口をひしゃげて笑っている。人間の顔が、こんな風になるのかと感動すら覚えるほど、彼女の表情は歪んでいた。それが、喜びのためであることは見てわかった。
堪え切れない、と言った様子で弾けたように笑い出す。ついには笑いすぎて、腹を抱えて地面を転がるほどだ。その様子を呆然と見ているしかなかった。
一通り笑い終えると、マヌは可笑しくて仕方ないという風に髪の毛をグシャグシャと両手でかき回す。
「あー愉快だ。犯人は死んだ。これであんたは処刑を免れないねえ」
再び笑い始める。
一体、どういうことなのか――。現状が理解できない。完全に混乱してしまっている。
「なにがなんだかわからないッて? 普段はあんなに偉そうなのに、いざ自分のことになると察しが悪いんだねえ」
心臓が止まったのか、女の首からはもう血は吹き出していなかった。生臭い血が、ねっとりと体にまとわりついて、非常に不快だった。気分は最悪で、まるでタールを全身にぶちまけられたみたいである。
「あんた、どうしてこんな目にあってるかまだわからないのかい?」
マヌは笑うのをやめると、真顔になった。三白眼でアロイスを見上げる。
「皆目見当がつかぬな」
顔にかかった血を拭いながらアロイスが言う。
「あたしはねえ、あんたに死んでほしいのさ」
「なぜだ」
「あんた、災害って呼ばれるヤツのことは知っているかい」
マヌはポケットから紙巻たばこを取り出した。緩慢な動きでそれに火をつける。火のついたままのマッチ棒を捨てると、血溜まりに落ちた。ジュッと音がして火が消えた。嫌な臭いが立ち上ってくる。
「災害?」
あの炎が空から落ちてきたときに、人々が口にしていた言葉だ。確かに、あれは災害だった。火山が噴火したのかと思ったが、どこにも火山など見当たらない。
「あれはね、人なんだ。人が魔法の力に縛られているんだ。まるでマッチ棒みたいに、魔法が命を燃やしているのさ」
「魔障というわけか」
ぼんやりと、想像する。たしか、モルヒネを打った何人かは体を燃やしていた。
突然、マヌがアロイスの髪の毛を掴んだ。煙草の先端から、まだ熱い火が落ちる。灰が再び血溜まりの上に落ち、音を立てる。
「何を他人事のように言っているんだい。あの人を災害にしたのは、あんただよ」
両手でアロイスの顔を包み込む。マヌはアロイスが目を逸らさないように強い力で押さえつけ、目の中を覗き込んだ。マヌの目には深い闇がたゆたっていた。アジア人特有の黒い瞳、それに加えて絶望がどこまでも落ちて行けそうなほど深い闇に陰る。
「言いがかりにも程がある。私はこの国に来たのは初めてだ」
「いいや、言いがかりなんかじゃあないね。あの人はねえ、チナ国で傭兵をしていたんだ」
チナ国――たしか、チナ国の兵士は、ジャンヌ・ダルクがその身を燃やして壊滅させたのだった。
「そのチナ国とフランクライヒとの戦争で、強い魔法を受けて以来、あの人はずっと体が燃えているのさ。熱くても死ねないんだ。そのうち錯乱して、手当たりしだいに攻撃するようになったのさ」
「詳しいな」
マヌは吹き出すように笑った。
「そりゃそうさ。なにせ、その災害と呼ばれている男は、あたしの夫なんだから」
なるほど。合点がいった。初めて彼女に会ったときの憎しみの感情は、そこから来ていたのだ。彼女が言った責任とは、このことだったのだ。
「あの人がこの国の帰ってきたとき、全身が火傷していただけだった。夫は体が熱いって言って、そのすぐ後に全身が炎に包まれたのさ。そして狂っちまった。どうしてまだ生きているのかはわからない。夫はもう以前の彼じゃなくなって、時折村に炎を降らせるのさ」
感情が抑えきれないのか、マヌが玄関扉を叩く。
「あの人を楽にしてやりたいんだ。だから、司令官にすべて差し出した。自分の娘さえ」
「あの娘は司令官の子供ではなかったのか?」
マヌが唾を吐く。
「はっ、あの男の子供を孕みたい女なんているもんか」
よほど、司令官のことが嫌いらしい。今にも嘔吐しそうな表情である。
女王はこの女の娘だったのだ。でもなぜ、そんな子供を司令官は欲しがったのだろうか。それも、女王などにして。
「では、少年兵たちが戦っているのが、貴様の夫というわけか」
「そうさ。戦いに行って誰も帰ってこないけどね。あたしにはもう何もない。あるのはあんたへの復讐だけさ」
「だったら、貴様の手で殺してみろ」
アロイスが両手を広げた。
「そんな安い挑発には乗らないさ。あんたには苦しんで死んでもらう。余裕でいるのは今のうちさ」
マヌの手に力が入って震えていた。
復讐というのは、いつでもどこにでもある。戦場には兵士の数だけ復讐はある。彼らのほとんどは、仲間や家族や大切な人間を失っている。
「甘ったれるな。戦場でも同じ事を言うつもりか。敵兵を捕まえて、同じ事を言うのか」
アロイスがマヌに詰め寄る。
「私は戦争が好きだ。だが、戦争は悪いことだ。なぜなら、それはただの殺人だからだ。街中で人を殺したら殺人になるのに、戦場では賛美される。そんな馬鹿なことがあって良いわけはない。我々は等しく殺人鬼だ。戦場で起こるのは戦闘などではなくただの殺人だ。
ただ、違うのは我々は他人に押し付けられた責任ではなく、己の責任の元で殺人を働くことだ。想像してみろ、いくら戦地とて、人を殺すことに罪悪感を覚えない者はいまい。兵士は、兵士になったその時に、すでにカルマを背負っているのだ」
喋っているうちに、熱を持ってしまった。つい、声が大きくなる。足元の死体も相まって、人が集まってきてしまう。
マヌは唇を噛む。彼女の手が腰のナイフに伸びるのを見た。
背後で動く気配がする。
「拘束しろ」
言うのとほぼ同時に、グレーザが彼女を拘束した。
「あれぇ、どうしました? うわっ、人死んでる……気持ち悪ぃ」
ようやく目を覚ましたシルムが家から顔を出した。しかし、自分でも同僚を殺しておいて、死体を気持ち悪がるなんて呆れる。
「貴様はこの死体をかついでこい」
「ええっ、嫌ですよぉ。気持ち悪い」
「口答えは許していない。早くしろ」
シルムは舌を突き出した。死体の腕を持つと、引きずるようにしてアロイスの後ろをついていった。




