25
現場は特に封鎖されているというわけでもなく、簡単に入ることができた。本当なら、規制線でも張って誰も中には入れないようにすべきだと思うが、この世界ではそういう文化はないのだろうか。
家の中はこの前と同じだった。特段、荒らされたり片付けられた様子もなかった。しばらく空気を入れ替えていないのだろう、かび臭かった。
「ふむふむ、なるほどねぇ」
シルムが染みのついた壁を撫でる。
「何かわかるのか」
魔法がある世界だ。なにか特殊能力があってもおかしくない。彼の殺人がバレなかったことを鑑みても、殺害の事実をなくす能力や、触れたものの記憶を読み取るような能力があってもおかしくない。
「いや、なあんにもわかりませんねぇ」
純粋な子供のようないたずらっぽい顔で笑う。イライラさせる男だ。
「では、いい加減、知っていることを話してもらおう」
アロイスが詰め寄ると、シルムはひらりと身軽に交わす。ツンツンと立った髪の毛がやわらかそうに揺れる。
「まあまあ、焦らないでくださいよぉ」
言いながら、シルムが椅子に座る。
「そちらのお嬢さんが俺の膝に座ってくれたら話しちゃうかも」
マヌが露骨に不快な顔を見せた。
「おお、こわ」
シルムが笑った。本当に、何を考えているのかわからない男だ。
「あたしは外で待たせてもらう」
マヌが家を出ていった。
「あーあ、冗談のわからない女ってつまんないの」
シルムがいじけるような態度で椅子の上で膝を抱える。その様子はまるで5才児である。
「まあ、話しても良いんですけどぉ、やっぱり簡単に話すのはもったいない気がしてきました」
チラ、と上目使いにアロイスを見る。そのとき、唐突にアロイスはシルムの両こめかみを片手で挟んだ。
「痛い痛い、痛いですぅ」
親指と中指に思い切り力をかけて、こめかみを押す。このまま頭蓋の中に指を埋没させてやろうと思うほどに力を込めた。
「早く話さないと、もっと痛い目を見ることになるぞ」
「わかった、わかりました」
シルムが手足をばたつかせるが、アロイスは放さない。
「話すって言ってるでしょ。こんな野蛮なやり方見たこと無いよ」
田舎の蛮族が何を言う――。
手を放すと、シルムはホッとした表情をしたが、それも束の間で、指先に走った痛みに顔を歪めた。見ると、アロイスが爪と指の隙間にナイフを差し込んでいた。
シルムは絶叫した。この国に生まれた男であるからには、喧嘩などは日常茶飯事だったが、この痛みは今まで味わったことのない痛みだった。全身を細い針が駆け抜けてゆくような痛みと不快感を覚える。反射的に涙が出た。
「全部、あんたたちを嵌めるためだよ!」
司令官の顔を思い浮かべる。
「あんた、フランクライヒに手紙を出したろ。外に出す前に検閲されるんだよ。それで、フランクライヒから新しい薬を作れる奴らが来たら、あんたらはお払い箱だ。表向きにも、あんたらがここで事件を起こしたってなら処刑の言い訳も立つ」
想像していた通りであくびが出そうだ。しかし、ひとつだけ彼らは勘違いをしている。
「フランクライヒから人が来たところで、私がいなければ新しい薬は開発できまい」
「そんなの知らねえよお。今よりいくらか良くなればそれで良いんじゃないですかね」
シルムが泣きながら答える。嘘は言っていなさそうだ。
アロイスはナイフを引き抜いた。
「あ、待って」
シルムが言う。ぐらついた爪を自分で引きちぎって、悲鳴を上げた。
「他の指も……やってください」
「何だと」
「こんなに気持ちいいこと、初めて知りましたよぉ」
泣きながら、顔を紅潮させている。
なるほど、嗜虐趣味があるのか。
もう一枚、爪を剥いでやると、彼は鼻水を吹きながら涙を流した。それでも、痛みが収まった後は恍惚とした顔で顔から液という液を垂れ流した。
「も、もっと……」
すがってくるシルムを、アロイスは蹴り飛ばした。シルムは犬のようにキャンと鳴いた。
「貴様を悦ばせるために来たわけではない」
「それで、結局役人を殺したのは誰なのだ。事情などどうでも良い。犯人を連れてゆく必要がある」
「それはぁ……」
求めるような目を向けてくる。アロイスがナイフの先端で指先を撫でる。シルムが溶けるような目でそれを眺める。それを見て、アロイスはナイフをしまう。シルムがおもちゃを取り上げられた犬のような顔をした。
「し、知らないんですぅ。本当に……っ」
すがりつくシルムを、アロイスは振り払った。
「貴様にはもう用はない」
アロイスが玄関を開けて出てゆく。シルムはその後を追いかけた。
「終わったかい?」
アロイスの後ろからシルムがついてくるのを見て、マヌが眉間にシワを寄せた。まるで男のような凛々しい顔だ。
「こいつのことなら気にしなくて良い。やはり思ったとおり、司令官が仕組んでいたようだ。役人を殺したのはヒットマンだろう。もう口封じされているかもしれない」
「それじゃあ、ここで終わりかい」
アロイスは首を振った。
「私が諦めるはずないだろう。一つ、心当たりがある」
役人の首を吹き飛ばしたのは、火の魔法だ。アロイスはそれを見た。あの訓練場だ。
もし、訓練場が関係するのだとしたら、司令官がモニトルを取り返しに来たことが理解できる。モニトルは元々この訓練場の教官だった男だ。さらに、ここでは銃を杖代わりに火の魔法を教えている。少年兵の火力では、人体を蒸気に変えることなどできそうにないが、それを教えるクラスならば可能な人間もいるに違いない。
もしかしたら、モニトル自身かもしれないが――。




