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「何があった」
家まで戻ってきたアロイスが見たのは、無残に破壊された玄関だった。こんなことをしなくても、鍵なんてかけていないのに。
地下への階段を降りると、うめき声が聞こえた。
果たしてうめき声の主はグレーザだった。
「どういうことだ」
地面に横たわるグレーザを見下ろす。モニトルも息子もいなかった。
「やられました」
グレーザの体を何箇所か押して反応を見てみる。骨は折れていないようだ。
「司令官か」
「そうでしょうね」
いくらグレーザがやる、といっても、彼は兵士ではない。屈強な兵士数人に囲まれては勝ち目がないだろう。それでも、命を落とすような重症でなくて運が良かった。
「なぜバレた」
「兵士の気配がしてすぐそこの扉を閉めたんですけど、そのあとすぐに、表の玄関からやってきたんです。中の様子を見て嫌そうな顔をしてましたけど、ここで何が行われているかはわかっていたようでした」
あのグエンと呼ばれた兵士――やつは陽動だったのだ。そんなに賢そうに見えなかったから、使い捨ての囮だったのだろう。
ここで拷問をしようと決めたのは今日だ。つまり、グレーザの動きを捉えられていたということだ。彼がモニトルの妻と子供を家から連れ出したことから、ここで何が行われるのか推測したということだろう。あの司令官、なかなかの切れ者である。完全に、アロイスの正体を知っているということだ。たぬきめ。
「ふん、それで」
「モニトルは連れて行かれました。子供も」
グレーザはチラと部屋の隅に転がった椅子を見る。アロイスは「それ」を人間と認識していなかったから忘れていたが、まだそこにモニトルの妻の亡骸が縛り付けられていた。悪臭を放っている。どうせなら、あれごと持っていってくれれば良いものを。
「そんなに知られたらまずいことがあるのか、それとも我々を殺したいのか」
「殺したいなら、もうとっくにやっているのでは」
「いや、奴らは我々の正体に気付いている。もし、何の理由もなく我々を殺したとしたら、フランクライヒとの戦争になる。それは避けたいのだろう」
「それなら、僕たちを殺せないのでは」
「どうだろうな。我々がこの国で殺人を犯したとしたら、逮捕して我々の身柄と引き換えに身代金でも要求するつもりなのかもしれない」
「そのために、国の役人を殺しますかね」
「それくらいはやって当然だ。なにせこの国は独裁国家なのだからな」
「でも、飾りとはいえ女王がいるでしょう」
「あれが何者なのか……それも調べなくてはな」
女王の顔を思い浮かべる。なにか思い出しそうな気がしたが、不快な臭いに邪魔されて面倒くさくなった。拷問をしているときは、脳内麻薬が出ているので気にならないが、シラフの状態では堪える。
「そのゴミを外に放り出してくれ。不快でかなわん」
アロイスは階段を上がる。玄関が壊されているのを思い出し、うんざりした。
「手がかりがなくなりましたね。モニトルを探しますか?」
「いや、探しても見つからないだろう。連中も馬鹿ではない。我々ではわからない地域に逃がすか、もしくは……」
「もう殺されているか」
グレーザが呟くように言ってため息をついた。手を洗っても臭いがとれないようで、自分の手の臭いを嗅いで顔をしかめた。そのせいでメガネがずれた。
「まだ振り出しに戻っただけではないか」
「だけ、って……あと2日したら僕たち殺されちゃうんですよ」
「まだ2日もある。なんとかなるだろう」
「その強さ分けてほしいですよ」
グレーザがため息をついた。アロイスにはなにか考えがあるのだろうか、と表情を盗み見るが何もわからない。
実際のところ、アロイスには何の考えもなかった。本当になんとかなると思っていた。
「とりあえず、玄関の扉でも直しましょうか」
グレーザ大工道具を持って扉に近付いた。
「ひっ」
グレーザの悲鳴に、驚いて玄関を見ると大きな男が立っていた。
「貴様……」
女郎屋の男だった。背中の手が気味悪く動いている。
「ちょっと……来てくれないか」
体の割には小さな声で言う。グレーザが部屋の隅の方へ身を寄せる。暗がりに溶けて見えなくなった。
「何だというのだ。疲れているのだ。今でないとだめなのか」
今日はいろいろありすぎて疲れてしまった。もう立ち上がる元気もない。
「緊急の用なんだ」
気配を殺しているはずのグレーザの方を気にしながら、男が言う。あの手は触覚のような機能もあるのだろうか。
仕方ない――アロイスは重い体を押し出すように立ち上がった。




