19
階下で物音がした。
「なにか音がしましたぜ」
モニトルが言う。アロイスは答えない。
慈しむかのように火を眺めると、脇の置いてあったパイプを手に取る。木を削り出して作ったものだ。フランクライヒで拷問器具を作らせた時についでに作ってもらった。そこに気に入りの葉を詰めて火をつける。
最初の一呼吸――eins……zwei……drei……たっぷり三つ数えて吐き出す。この一呼吸は格別だ。
再び階下から物音。モニトルはチラとアロイスを盗み見る。全く気づいていないのか、それともわざとか。
「ネズミでしょうかね。意地汚いネズミがうようよいますから」
まるで独り言だ。モニトルはアロイスに聞こえるように舌打ちをした。それでも、アロイスは何も反応を示さない。
しばらくして、最後を惜しむようにアロイスは大きく息を吸い込むと、肺の中に長く煙を滞留させた後に、また惜しむように吐き出した。そして、パイプの中の灰を灰皿の中に落とす。
「さて、この家には地下室があってな。貴様を案内してやろう」
機嫌が良さそうに言うと、まだ何も答えていないのにアロイスは床に取り付けられた戸を引いた。元は地下の食料庫か、それとも有事にそこに逃げ込むためか。
地下にはイスが2脚と、壁際に机が一つ、他には腐った木のフレームのベッドがあった。以前住んでいた人間は、物置として使っていたのだろう。
「どうして……」
階段を降りたモニトルは思わず口から絶望がこぼれた。自分の声がではないように聞こえる。
二脚の椅子には、それぞれ妻と子供が縛り付けられていた。二人共、猿ぐつわを噛まされ、気を失っているようだ。ベッドにはグレーザが座っている。彼のメガネが、ヒンデンブルク灯の光を受けて煌めいた。
「この地下室は、もう一つ出入り口があるんだ。もし、この階段が潰れてしまっても出られるようにか。それとも、こっそり逃げ出すためか。まあ、荷物の搬入用だろう」
「ひっ」
急な痛みに、モニトルは悲鳴を上げた。アロイスがモニトルの足をナイフで貫いたのだ。
「な、何をするんですか」
モニトルが、震えながらかがんでナイフを引き抜いた。モニトルは痛みのために口の端から泡を吹きながらアロイスに抗議する。歯を食いしばっているので、首に筋が浮いていた。少しも美しくない首筋に、アロイスは少しも惹かれなかったが、動けないモニトルを捕まえると、引きずって行って両手を縛って柱と結んだ。
「どうなっているの?」
モニトルの妻が目を覚ましたので猿ぐつわを取り外すと、やかましく騒ぎ立てた。そのせいで隣の子供まで起きてしまった。アロイスは再び夫人に雑に猿ぐつわを噛ませた。
子供は怯えた目をアロイスに向けて震えていた。
「さて、今宵この劇場に呼び立てたのは、私のショウをご覧いれるため」
モニトルがまだ何某か叫んでいる。やかましい男だ。夫人も同じように猿ぐつわ越しに何某か叫んでいる。似た者夫婦というわけだ。子供だけは、恐怖のためか何も言葉を発せずにいる。よほど子供のほうが賢い。
「どうしてこんなことを」
モニトルが言った。
「どうして? それは……」
アロイスがモニトルに近づく。柱に縛られて座っているモニトルの顔の前に、アロイスはくっつきそうなくらい顔を近づける。モニトルの肌は脂が浮いて汚らしくテカテカしている。
「この国には、意地汚いネズミがうようよいるようだからだ」
モニトルが悲鳴を上げる。
「な、なにか勘違いをなさっている。私はただの監視役だ。何も悪いことはしていないんです」
「果たしてそうだろうか」
「一体私が何をしたというんです? むしろ貴方には随分良くしたじゃあないですか。この国を案内だってした」
「そうだな」
「貴方の良き友であるはずでしょう」
「良き友……」
呟くように言う。
「そうです、友です。何も責められる謂れはないはずでしょう」
アロイスは立ち上がって壁際にある机に行き、注射器を取り上げた。
「なんです、それは。何を……」
暴れようとするモニトルを、グレーザが抑えつけた。なれた手付きでアロイスが注射針を打ち込む。
「貴様はそこでおとなしく見ていればいい。途中、なにか話したいことがあったら遠慮なく話してくれて結構だぞ」
首を絞められたみたいに、モニトルは声が出せない。呼吸するだけで精一杯だった。
「さあ、始めよう」
舞台の主演俳優のように、アロイスは声を張り上げた。
拷問の道具は何も持ってきていない。だが、それでも何も出来ないわけではない。
「拷問というものを、貴様は聞きかじっているかもしれないが、拷問とは人に痛みを与えるだけではないのだ」
机の上からハサミを取り上げる。
「一番痛いのは、どこだと思う? 指? 目玉? 性器? いや、違う。愛する者の体だ。つまり……」
言いながら、アロイスは夫人の指を一本切り落とす。
「心だ」
夫人が悲鳴を上げた。猿ぐつわをしていてさえ、心を掻きむしられるような良い悲鳴だった。
「や、やめてください、なんて残酷な……」
モニトルが我が身を刻まれたように、体をくねらせる。
「何が目的ですか。全部話したでしょう、私が知っていることは全部」
アロイスはまた一本、夫人の指を落とす。椅子が倒れてしまうほど、夫人は体をよじって痛がった。お構いなしに、アロイスは椅子ごと倒れた夫人の体に座り動きを抑制する。
なおもモニトルは許しの言葉を連ねた。その言葉を聞くたびに、一本、また一本と指を落としてゆく。子供は恐怖で泣き叫び、尿を漏らした。夫人も子供に負けず糞尿を撒き散らした。地下なので臭いが籠もってしまう。懐かしい臭いだ。
「どうしたら許される? お願いだ、何でも言ってくれ。だから家族にはこれ以上……」
モニトルが言い終わらないうちに、再び婦人の指を落とす。
「貴様はわかっていないようだ」
「な、なに……?」
モニトルはすっかり憔悴した顔でアロイスを見上げる。アロイスの横には、いつの間にかグレーザがいて、感情のこもらない目で泣き叫ぶ婦人を見下ろしていた。彼は指が切り落とされるたびに、それを拾ってバケツの中に入れている。
「私が何を聞きたいか、貴様はもう知っている。貴様はそれを勝手に話すだけだ」
そう言って、また指を切り落とす。婦人はもう悲鳴を上げなかった。泡を吹いて白目を剥いていた。人は痛みが許容範囲を超えると、脳が意識を遮断してしまう。婦人は意識を失って痙攣していた。このままだと窒息するだろう。
「お、おい、声がしなくなったぞ。まさか殺したんじゃあ……」
モニトルの声が震える。
「なあに、蘇生の方法は心得ている。それに……」
アロイスはニヤリと口元に笑みを浮かべて、モニトルに再び顔を近づけた。
「たとえ死んだとしても、まだ一人残っているじゃあないか」
モニトルが悲鳴を上げた。




