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「捜査と言っても何をするんですか」
家に戻るとグレーザが言う。彼らについてきたモニトルを睨んだが、彼は飄々とした態度で、ボロボロの革鞄からくしゃくしゃの紙を何枚か取り出した。この国の人間は肝が座っている。殺されてもおかしくない状況なのに、気にさえしていない。
モニトルが取り出したのは捜査資料――というにはいささか雑すぎるものだったが――だった。資料によると、被害者は頭を吹き飛ばされていた。火薬の存在しないこの国では、明らかに魔法の力によるものだった。しかし、この国の人間は大した魔法が使えない。ランドと同じように、魔法の素養のある人間が極端に少ないのだ。少年が銃の先から火の玉を飛ばすのを見たが、あんなものはマッチ棒をこすった程度のものである。マッチ棒では人間の頭を吹き飛ばすには不十分だ。それでもあれだけ優遇されているということは、よほど魔法が珍しいものらしい。その程度の魔法しか使えないのに兵士にされるということは、そういうことだ。
「異形の体は魔障なのだろう。魔力による障害だ。それなのに、魔法が使えないのか」
アロイスは資料を放り投げながら尋ねる。
「一口に魔力と言っても、様々ですからね。魔法というのは、内なる魔力を具現化して体外に放出するものですが、それが簡単かと言われたらそうでもありません。いつだって好きなときに小便を出せるわけではないでしょう。それと同じです。素養があるのは当たり前で、更に訓練をすることによってそれを扱えるようになります。それに、素養があっても魔力を上手く扱えないとあの様な異形になり、また、別の大きな魔力に触れてもああなります」
「もし私が大魔法使いだったなら、そこの男に触れただけで異形に出来るということか」
アロイスがモニトルにむかって顎をしゃくる。
「まあ、乱暴に言えばそういうことですね」
「ほう」
アロイスは立ち上がってモニトルに触れてみたが、何の変化も置きなかった。自分の手をじっと見つめる。確かに、何かしらの魔法の素養があるはずなのだ。フランクライヒではそのようなことを言われた。だが、それを具現化する方法がわからない。フランクライヒにいる間、何度も挑戦しては見たが、特段の進歩は見られなかった。フランクライヒの神官も不思議がっていた。
捜査資料をもう一度拾うと、アロイスは視線を落とした。殺されたのはこの国の役人で、副司令官の次に権力を持つ男の一人だった。何か政治的ないざこざでもあったのだろうか。
資料には彼のことや事件の状況などが書かれていたが、アロイスは読むのに飽きてしまって、さっそく現場に行きたがった。
「もう片付けられてるんじゃないかなあ」
グレーザは行きたくなさそうに、独り言のように呟いたが、すでにアロイスは家から出ようとしていたので慌ててついて行った。
現場は被害者の自宅だった。造りはアロイス達が住んでいるところと変わらない。まるで空き倉庫のような建物である。この国の文明水準は本当に低い。
フランクライヒのときと違い、何か違和感があった。まず出血量が少ない。フランクライヒのときはいやというほど血の臭いがしたのに、今回は清潔――そう、清潔なのだ。すでに遺体がないというのもあるが、殺人の痕跡が少ないのだ。確かに、壁には脳漿がこびりついたであろう黒いシミがあった。
「掃除されたのか」
アロイスが壁を撫でる。乾いていた。
「どうでしょう。それは聞いてないな」
なんとも頼りにならない案内人である。ただ、死体も片付けられているとなると掃除されたと考えるのが妥当だろう。それにしても、血の臭いが薄い。ちょっと掃除した程度では、人間の血や臓腑の臭いは取れないはずだ。
「どんな風に殺されていたのだ?」
アロイスが尋ねると、モニトルが頭を掻きながら天井を仰いだ。
「えーっと、そうですね。首から上が破裂していて。それで、そこにうつ伏せで倒れていたみたいです」
モニトルが指さしたのは、リビングの床だった。リビングは玄関を入ってすぐのところにある。地面には絨毯が敷かれていた。随分瀟洒な絨毯だった。中東でこのような織物をしている国があったことを思い出す。
「死因は?」
「そりゃあ、魔法でしょうね。一発ですよ」
この男は何が楽しいのか、モニトルは黄ばんだ歯を見せて笑った。
「この国の人間は魔法なんて使えませんからね、あんたらがやったんだと思われても仕方ないと思いますよ」と彼は他人事のようだ。仮にも、自国の役人が死んだのに、誰も騒ぎもしない。おかしな国である。
せめて写真くらいあれば何かわかるかもしれないが、この世界に写真なんてないだろう。
壁に鼻を近づけて臭いを嗅いでみた。微かに血と脂の臭いがする。確かに脳漿である。壁に骨の破片は刺さっていない。その代わり、焦げたような跡があるが、火薬の臭いはしない。
「頭が吹き飛んだと言うが、そんな魔法があるのか」
モニトルは興味なさそうに首をかしげた。
「熱を集約させて、瞬間的に空気を膨張させれば良い訳なので、火の魔法か……風の魔法なら可能だと思いますね」
グレーザが言う。一瞬、彼がいるのを忘れていた。爆発という現象を正確に理解していることに驚いた。ランドの城も上手く崩落させるほど得意なのだから当たり前といえばそうなのだが、この世界には火薬もなければ建築学も大して発達していないだろう。
「それなら、もっと脳漿が飛び散っていても不思議ではない。頭蓋骨の破片さえ溶けている。それに、衝撃波による物理的な破壊がこの部屋では見られない」
少し考えるような仕草のあと、グレーザは静かに言った。
「まず、おっしゃるとおり、脳漿や頭蓋骨は高熱で溶けたのでしょう。衝撃波については……わかりません。頭が蒸発するほどの熱が一気に発生したなら、この家が吹き飛んでいてもおかしくない」
拷問の際に、瞬間的に高温にしたら蒸気になったことを思い出した。あれは嫌な臭いがした。
「そうだな。まだわからないことはたくさんある」
アロイスはまだ納得できなかったが、この家で調べることはもうなさそうだった。あまりにも手がかりが少ない。顎に手を当てて、部屋を時計回りに歩き始めた。考えるときの癖だ。役人の家と言っても、そもそもが貧しい国である。特に豪華なものがあるわけでもなく、目を引くのは絨毯くらいなものだ。
ふと、どこからか視線を感じた。リビングから繋がっているのはキッチンと寝室である。視線は寝室の方からだった。振り返ると、まるで突然現れたように、あの子供がいた。家にいたあの小さな子供だ。いつの間にか消えたと思ったら、どうしてこんな、よりにもよって殺人事件の現場に。
アロイスの視線に気付くと、グレーザがハッと息をのんだ。
「あの目障りな子供は何者だ」
アロイスが尋ねる。モニトルもそれに気付いた。
「ああー、近所のガキですわ。空き家なんかに住み着いたりするんですわ」
「乞食か。親はどうした」
「さあ、戦争でおっ死んだんじゃあないですかねえ」
そういうモニトルの視線は冷ややかだ。
「追い出しましょうか」
彼が言うより早く、グレーザが子供に近付いた。子供はさっと寝室の方へ走って行く。そのとき、風が頬を撫でたような気がした。
何かつむじ風のようなものが、アロイスの横を通り抜けた。それに少し遅れてグレーザが走ってくる。いつもの物静かな彼からは想像も出来ないくらいの素早さだった。
グレーザはつむじ風を部屋の隅に追い込んだ。つむじ風は徐々に輪郭を持ち始め、やがては小さな子供の姿になった。正体はあの子供だった。風の様な素早さ、ではなくつむじ風に姿を変えていたようだった。
グレーザは怯える子供を抱き上げると、無言で外に連れ出した。その姿を見て、マリアのことを思い出す。彼女がシドと呼んだあの子供――まだ生きているだろうか。
「何か手がかりになりそうか」
尋ねてみる。グレーザは振り返って、何の話だとでも言いたげな顔をした。
「どこへやったんだ」
もちろん、例の子供のことである。外に抱えて行ったあと、グレーザだけが戻ってきた。
グレーザは答えなかった。
「どうします、まだここにいます?」
モニトルが退屈そうにあくびをしながら言った。
ここにはもう手がかりはないだろう。ベタに目撃者でも探しに行くか――。
「目撃者はいないのか」
何を言われているのかわからない――そういうたぐいの表情をして、モニトルがアロイスを見つめた。
「目撃者だ、事件の手がかりを誰か見ていないのか」
「そんなのがあるなら、もうとっくに解決していますぜ、旦那ぁ」
バカにしたように言うので腹がたった。今すぐ腹を裂いて中に石でも詰め込んでやりたいところだが、まだヤツには利用価値がある。
「とにかく、なにか知っていそうなやつはいないのか」
これ以上ヤツに期待しても無駄だ。アロイスは外に出て通行人を片っ端から捕まえ始めた。ところが、皆、アロイスを怖がって逃げてゆく。無理やり捕まえてみてもおおよそ有益と言える情報は得られなかった。
思っていたより厄介だな、と思った。フランクライヒのときはお膳立てがあったし、そもそも命がかかっているわけではなかった。今は状況が違いすぎる。
空を見上げた。いつの間にか重たい雲が空を覆っていた。
一雨来そうだと思った直後、雨が降り始めた。。この国に来てから初めて雨だ。芥子にとっては恵みの雨だろう。痩せこけた大地に、せめて水くらいはほしいものだ。




