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耳を疑った。
「女王だと? 何の冗談だ。」
アロイスが鼻で笑うが、男は少しも冗談を言っている風ではない。
「冗談などではない」
「なぜ、司令官は自らを王にしない」
「知らぬ。俺は政治のことはとんとわからぬ」
フットワークを軽くするためだろうか。外交などの面倒事は押し付けてしまえばいい。
考えてみればみるほどおかしな国である。いや、国ですらない。
「この娼館ではクスリを売っているな」
この建物の中で香るのは、阿片とは少し違うように感じる。それは、それぞれの部屋にある香炉で香りの強いものを燃やしているせいだ。
では、なぜそうする必要があるか。
阿片を吸っていることを悟られないためだろう。
男は答えない。
「阿片を横流ししているのだろう」
ピクリ、と男は反応した。彼ら奴隷の小作人たちなら、収穫量をちょろまかすことも可能だろう。厳しい監視の目もなさそうだ。
阿片を吸うことそれ自体を、アロイスは悪だと考えない。少ない賃金を薬につぎ込み日々の苦しみを僅かばかりの時間だけ忘れさせる。こういう場所で生きてゆくためには、それもやむなしに違いない。悪いのは、そうやって貧しさから逃れられないように飼い殺している搾取側だ。どこの世界も、どこの国もやることは変わらない。
祖国の兵士も多くが貧しい家の出身だった。彼らは兵士になるしかなかった。命を差し出し、その代わりいくらか生き永らえるのだ。差し出した命はかえってこない。気がつけば利用され知らないところで消費されている。
「お前のエーテル体は不思議な色をしている。一方で、アストラル体は闇に沈んでいる。お前の魂の器はどこだ」
唐突に男が言った。
「なんだと?」
アロイスは顔をしかめた。
「ここはお前の考えているような場所ではない。神から魂の教えを賜る場所だ」
「神……か」
象の絵を見る。
「そうだ、神だ。この世界は神がお作りになった。その神の随意のままに、我々は体を神に近づけようとしている」
シルムに殺された門兵も、神がどうこうと言っていた。この国では、宗教信仰が根付いているのだ。教養のレベルが低い土地ほど、信仰は強く根付く。悪魔信仰然り、偶像信仰然り。詐欺師はそこに目をつける。
「つまり、貴様らの体が歪なのは、魔障でもなんでもなく、神の姿を似せて改造しているからだと?」
男はうなずいた。
「慧眼だ。俺の体の入れ墨も、この背中の腕も、神に与えられたものだ」
「それで、神とやらは貴様らに何をしてくれる」
「安らぎと、幽界での約束だ」
「徳を積んだものが、死後幸せになれるとでも言うつもりか」
どこの国の宗教も、不思議なことに死後の世界での幸せを約束するものだ。イスラム教も、仏教も、キリスト教も……。
「つまり、救いとは死にほかならないというわけか」
そうやって、苦しい今の現状から目を背けることで、なんとか生きてゆこうというのが宗教の言い訳なのだろう。
「どこの世界も同じだな。ところで、お前が横流ししている阿片は、どこからのものだ」
先程まで雄弁だった男はハッとした顔になり、口をつぐんでしまった。
「その様子では、正規の代物ではないな。司令官は知っているのか」
男は答えない。
「誰が阿片を流している」
これも答えないのだろう――そう思ったときだった。
「マヌだ」
その答えにアロイスは驚いた。どうして、あの女の名前がここで出てくるのか。
「彼女はここで働いている」
やはり、あの絵があった部屋はマヌの部屋だったか。
「何だと? ここは……」
「女郎屋だ」
男の声は先程よりも落ち着いて聞こえた。あのプライドの高そうな女が、どうして売春宿でなど働くのか。想像もしていなかったことに混乱する。
「なぜ……」
更に尋ねようとしたとき、入り口から声が聞こえた。
「旦那ぁ。そろそろ帰りましょうや」
モニトルの声だった。いつから、そこに立っていたのだろうか。
ハッと気付いた。女王の話をしてたのに、男は唐突に宗教の話を始めた。あのとき、モニトルが聞き耳を立てていることに気付いていたのかもしれない。
「今、行く」
そう答えると、アロイスは唇を噛んだ。どうも、平和ボケしていたようだ。
「お前は不思議な男だ。初めて見た時は、しわくちゃの老人だと思ったが、今は若々しい男に見える。どういうわけだろうな」
去り際、男はアロイスにそういった。




