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畑の周辺は物々しかったが、畑をすぎると村のような場所に出た。そこは兵隊の姿はほとんど見えず、見えたとしても武器を携帯してはいなかった。
のどかな風景だった――人が人に首輪をつけて散歩していることを除けば。
どこにでも歪んだ性癖の持ち主というものはいるものだけれど、特にここは凄い。全裸の人間に、ちょっとやそっとでは外れそうにない強靱な首輪をつけ、禍々しい鎖でつなげている。その先を持っているのは、兵士とは違う奇妙な服を着た人間だった。おそらく、それがこの国での上流階級の召し物なのだろう。他の地域に比べ暑いのにもかかわらず、肌を一切露出しないピッタリとした服を着ている。一見して男か女かの区別もつきづらい。顔に巻いているのはイスラムのヘジャブのようであるが、それよりもずっと厳格に肌の露出を禁じているようだ。おそらく、彼らは敬虔な宗教家であり、アラーのような唯一神を擁した宗派なのだろう。
あれはなんだ――そのような間抜けな問いはしない。人間は割と簡単に家畜まで堕ちる。家畜というのは、何も食べるだけのものではない。ああやって弄ばれるのも、家畜の務めである。
アロイスは聖人ではない。あれを見てなんとかしようなどという青臭い考えは微塵も起こさなかった。
チラ、と隣を見る。全く興味のない目でグレーザがそれを眺めていた。
「僕の田舎も、似たような風景でしたよ」
アロイスが見ていることに気付いて、グレーザが言った。どこか寂しそうな表情で、眼鏡をクイと押し上げた。
「なあに、世界中どこに行ったって、同じようなものだ。特別不幸なわけじゃあない」
グレーザに、というよりも、まるで自分に言い聞かせるようだった。
村を抜けると、再び広大な畑が広がった。畑ばかりになると、人通りも殆ど無い。そのせいか、やけにシルムの独り言が大きく聞こえる。
「おい、シルム。ブツブツうるさいぞ。全くお前はただ歩くだけのことも満足にできないのか。役立たずめ。お前の母親も、とんだ役立たずだ。お前みたいなガキをケツから産んじまったんだからな」
後ろを歩いている男が、馬鹿にするように言った。
ピタリ、とシルムの脚が止まった。突然止まったので、アロイスは彼にぶつかってしまった。グレーザは器用にアロイスを避けた。
「おっと、すま……」
顔を上げてシルムを見た瞬間、アロイスは言葉を止めた。首だけで器用に真後ろを振り返った彼の目は見開いており、理性が無いように見えた。
「おい、何だよその顔は。怒ったのか? 役立たずもプライドだけは一人前か」
更に煽る。この先はどうなるか、容易に想像がつくものだが。日頃から彼はからかわれているのだろう。だが、今の彼からは、「コチラ側」の雰囲気を感じさせる。
後ろの男は下品に笑う。
ゆらり、と周辺の空気が揺れたように思った。蜃気楼が目の前で揺れているような、そんな気持ち悪さだ。
ゴボ、と水道管の詰まったような音がした。一体、いつそこまで移動したのか、シルムは後ろの男の首に手を回していた。
「やめろ馬鹿……こんなことして、ただで済むと思うなよ……」
必死に抵抗するが、シルムの手は少しも緩まない。
男の首から上が紫色に染まる。血管が浮き出て、風船のように顔が膨らんだように見える。まだなにか喋っているつもりらしいが、口から泡が出るばかりだ。
やがて、男の目がグリンと回ったかと思うと、骨の折れる音がした。
シルムが手を放すと、男は力なく地面に倒れ込んだ。
「この野郎、いつも馬鹿にしやがって。今まで黙っていてやってけどよぉ、お母様の悪口だけは許せねえ。ぶっ殺してやる」
もう死んでいるように見えるが、シルムはそれに気付いていないのか、喚き散らしながら男の亡骸を嬲った。顔が潰れるほど足で踏みつける。
畑ばかりで人通りがないことが、彼にとっては幸運だった。どんな世界であれ、同僚を越してしまえば軍法会議ものだろう。こんな未開の地でさえ、重罪に違いない。
死体の顔が完全に潰れて、判別できないほどになると、ようやくシルムの手が止まった。荒げた息を整えようともせず、彼は男を持ち上げると、畑の中に放り込んだ。芥子の背は低い。どう見ても死体がそこにあるのは誰の目にも明らかだったが、彼はそんなこと気にしないようだった。
「ぶーっころしてやったぜえ」
空襲警報のような耳障りな声で叫ぶと、彼はゲラゲラ笑いだした。笑いながら、アロイスたちを率いて、また歩き始めた。




