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「長く道化をやっていると、人間の中身なんてわからないものですよ」
道化は衛兵に両脇を固められ、廊下を歩いていた。
「見たでしょう、あの王の残忍さ。いつか、貴方もジャンヌダルクと同じように使い捨てられますよ」
拷問室の扉を開く。
「貴殿は勘違いをしている」
アロイスが言う。
「私は、最初から、貴殿が裏切り者だと言うことはわかっていた」
「嘘だ。そんなはずない」
道化が口から泡を飛ばして叫ぶ。
「臭うんだよ。血の臭いだ。貴殿からプンプンしていたぞ。この世界の平和呆けした人間はごまかせても、私の鼻はごまかせなかったようだな。貴殿は王を罪人に仕立て上げて、どうするつもりだった? 貴殿が王になるか? それとも、スターテンに国を売るつもりだったか?」
アロイスが道化の髪の毛を掴み、彼の顔をグイと持ち上げた。
「貴様は、ロビーの光を「電気と違って」と言った。この世界にも電気はあるかもしれない。しかし、どうして我々の世界にも電気があることを知っていた? 誰か他の勇者に訊いたのか? それは違うと私の勘が言っている。貴殿も私と同じ世界からきた勇者だ。違うか?」
「どうしてわかった」
「貴殿が雇った男。あの男がパルチザンを名乗ったからだ。本物のパルチザンは、あんなにお粗末ではないし、彼からは全く血の臭いがしなかった。貴殿は、おそらく、私よりもずっと先の未来から来たのだろう。だから、本物のパルチザンを知らなかった。もし、私と同じかそれよりも前の世界から来たのなら、彼らの恐ろしさはよく知っているはずだ。ゲリラ戦の恐ろしさをな。貴様は知らないだろう、爆弾を体に巻き付けた子供の恐ろしさを」
道化が唇を嚙む。アロイスは道化をファラリスの雄牛に入れるように指示した。
「王よ、提案があるのだが」
隣で大人しく話を聞いていた王がアロイスを見る。
「これに耐え切れたら、彼を無罪放免としようじゃあないか」
「それは面白い趣向だ。随分、自信があるのですね」
王が手を叩く。
道化が笑う。
「嬉しいか?」
「ええ、嬉しいですね。拷問などと言う蛮族の悪習に、私が屈するとでも思いますか。これでも、この国では王に次ぐ魔力の持ち主。炎に耐えるなど、造作もないこと」
「おや、やはり雄牛のことを知っていたか」
「貴方は知らないでしょうが、これはその後数百年経っても語り継がれる、最悪の拷問装置なのですよ」
「それは光栄だ。私も、これが大好きなんだ」
そう言うと、アロイスはファラリスの雄牛の背にある扉を開け、道化をその上に引き上げた。手の拘束を解き、その中に入るように指示する。
「拘束まで解いてくれるなんて、貴方は慈悲深い」
道化が手首をさすりながら、ニヤリと笑う。
「頑張りたまえよ」
そう言うと、アロイスは持っていたモルヒネを一本、道化に打ち込んだ。
道化は顔を紅潮させ、白目を剥いた。アロイスが彼を雄牛の中に落とすと扉を閉める。そして、すぐに雄牛の腹の下で火を焚いた。
ファラリスの雄牛という拷問装置は、中に罪人を入れ、下から火で熱することによって、真鍮製の内側にも熱が伝わるものである。すると、中の罪人は鉄板の上に寝かせられている様な状態になり、唯一外とのつながりがある管に口を当てることになる。そうして上げる悲鳴が、管を通して牛の鳴き声のように聞こえるというものである。
「説明を聞いているだけで、あちこちが痒くなってくるな」
王が顔をしかめる。すぐに、中から悲鳴が聞こえ始めた。
「おお、本当に牛の鳴き声のようだ」
王は手を叩いて喜んだ。
中で道化が暴れているのだろう。雄牛がガタガタと揺れたが、真鍮製である。そんなことでは倒れない。
「ご自慢の魔法はどうした」
アロイスが叫ぶ。どうやら、道化はモルヒネと相性が悪かったようだ。
「善意でモルヒネを打ってやったのに、失敗してしまったな」
「本当に善意ですか?」
王がおかしそうに言う。
実は王にも道化にも言っていないが、モルヒネの相性には見当がついていた。魔力が大きければ大きいほど、逆に魔力が低くなり、少ないほど強烈に大きくなる。ほとんど魔力のないものに打てば、体内で魔力が暴走して死んでしまう。だから、道化が王に次ぐ魔力の大きさだったというならば、魔法が使えなくなるということは必然だった。ジャンヌダルクがどれほどの魔力を持っていたのかわからないが、モルヒネを何週間も体内に蓄積し続けたのなら、体が爆発するように魔力が炸裂したのもわかる。
「この拷問の良いところはなかなか死ぬことが出来ないということだ。体中に火傷を負うが、人はそれでは死ねない。火傷が皮膚の表面積の大半に及び、窒息して死ぬまで中の罪人は佝僂しに続けるのだ」
「なんと恐ろしい」
王の顔は少しも恐ろしいとは思っていないようだった。
やがて、ひときわ大きな悲鳴が聞こえたあと、静かになった。
「終わったか」
雄牛を炙るのをやめると、王が無言で雄牛に氷の魔法を使った。雄牛は凍り付いたが、蓄えていた熱で、すぐにサウナのように蒸気を上げた。
王が率先して雄牛の背に乗る。扉を開くと、中から肉の焦げた臭いと、油の臭いが立ち上った。
「まるで戦場の臭いだ」
中には、黒焦げになって縮んだ七面鳥のようなものがあった。王はそれを見て無邪気に笑った。




