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「戦況はどうなっている」
窓から外を見ると、戦況は芳しくないように見えた。アロイスは軍師ではないが、明らかに、先程よりも敵の数が増えて押されているように見える。くわえて壁が壊されている。敵が国に流れ込んでくるのは時間の問題に思えた。
王は玉座に座ったまま目を閉じている。
アロイスは再び外に視線を戻した。まるで死体に群がるウジ虫のように、敵方の数が増えて行く。時折、大きな爆発があり敵が焼き尽くされるが、すぐに同じだけ敵が補充される。あれはもはや津波である。
「何か策は……あるんだろうな」
アロイスが尋ねる。王は答えない。
「降伏でもするか?」
冗談のつもりだったが、王は薄く目を開いて「それも良いかもしれない」と言った。
「王よ、やはり我々を裏切っていたのですね」
唐突に、道化が王の後ろから首筋にナイフを押し当てた。
「何をする」
今まで聞いた王の声とは違い、低く重い。
王は指一つ動かしていないのに、道化のこめかみに汗が流れた。
「あなたがスターテンと繋がっているのはわかっています」
「王であるこの僕が裏切っていると?」
王はナイフが押しつけられていることもお構いなしに、道化を振り返る。ナイフが押し当てられている箇所から血が滲む。道化の手が震えた。
「道化よ。僕たちは随分長い付き合いだと思っていたけれど、君は何もわかっていない」
「そんなことはありませんよ、王」
どちらが脅されている側なのかわからない。道化は精一杯虚勢を張っているように見える。
「ならどうして、こんな不利な戦況を放っておくのですか。いや、貴方は不利になるとわかっていて、何も策を講じなかった」
道化が言う。場の空気が緊張を増して行くのを感じる。
「衛兵。こやつを捕らえろ」
「いや、捕まるのは貴方です、王」
衛兵は王の腕を掴むと、乱暴に手を縛った。
「なるほど。買収済みというわけか」
「いいえ、王。彼らは正義に味方しただけです」
「正義か」
王はアロイスを見た。
「アロイス殿。正義とは何か」
急に声をかけられて、アロイスは驚いたが、腕を組んだまま答えた。
「正義とは、勝者のことだ。どんな大義を掲げていても、負ければ罪人。どんな暴君でも、勝てば仁君と呼ばれる」
王は満足げに頷く。
「その通りだ。だから、まだ僕は正義でも悪でもない。もちろん、君もだ」
窓から見える戦況は、芳しくなかった。今にも、敵がなだれ込んできそうだった。はるか地平線の向こうまで敵が続いている。道化の言うとおり、今、この状況から戦況を覆すのは不可能に思えた。もう、こうなっては捕虜を拷問して敵将の位置や相手の策を割らせたところで意味がない。挑発にすらならない。
ここですることはもうないな、とアロイスは思っていた。唯一残念なのは、師匠に返事を出来なかったことだ。
「見ていたまえ」
王はまだ余裕の表情をしている。
「そういえば、ジャンヌダルクはどこだ。前線か?」
「彼女は前線、それも最前線にいます」
王はそう言うと、拘束しているロープを千切り、衛兵の腕から抜け出した。まるで、散歩するみたいに優雅に。その様子を、誰もが動けずに見ていた。
そして、バルコニーに出ると、腰に差していた棒を取り出し空へ向けた。
「どうして、彼女を薬漬けにしておいたかわかりますか」
王がアロイスに向かって言う。彼が何を言っているのかわからなかった。
薬漬け――王はそう言った。たしかに、初めてスターテンであったときに比べて、アロイスがこの国に来てから、彼女は中毒症状が急激に進んだように思えた。単純に、薬物中毒者なのだと思ったが、考えてみれば異常だった。
「あの薬が、魔力を増幅させるというならば、こういう使い方も出来ると言うことです」
王の棒の先から、光が上って行き、空ではじけた。まるで花火のようだ、と思った瞬間、戦場のど真ん中でまばゆい光が発生した。
「さあ、ご覧ください。見物ですよ、アロイス殿」
彼の言い分だと、その光の中心にいるのがジャンヌダルクだろう。強烈な光だった。目が潰れたかもしれないと思ったほどだ。
やがて、視界が戻ると、敵の姿は跡形もなく消えていた。地平線の向こうまで続いていた敵の陰もなく、肥沃だった土地が、ただの荒野に変わっている。
敵だけでなく、味方も、もちろんジャンヌダルクの姿もどこにもなかった。消滅したのだ。
「ここまでの威力があるとは」
王がおかしそうに腹を抱えた。
「王よ、貴殿は最初から彼女を使い捨てるつもりで……」
言いかけたアロイスを遮って、王が言う。
「アロイス殿のおかげです。あなたがここに来なかったら、こんな手は考えつかなかった。貴方のモルヒネを、彼女の体に毎日少しずつ打っていったのです。一本であれだけの威力なら、何本も打ったらきっとものすごい威力になるはず。それにかけたのですよ。いや、もうそれしか手はなかった」
王はおかしくてたまらない、という様子で笑い続ける。笑いすぎて、立っていることさえ出来ないようだった。
つまり、間接的に彼女を殺したのは自分と言うことになる。せっかく、憎き敵を殺したというのに、気分は晴れなかった。
戦争において、彼は賢王なのかもしれない。アロイスは彼を見誤っていた。この国で、いちばんいかれているのは間違いなく王だ。
道化は目を丸くして、外を見ていた。
「さて、道化よ。僕がなんだって?」
ひとしきり笑い終えた王は、立ち上がって道化に近付く。道化は泣きそうな顔で尻餅をついた。
「アロイスさん、捕まえましたよ」
グレーザがいつの間にかアロイスの横にいた。
「ちょうど良いところに来た。連れてきてくれ」
アロイスが言うと、グレーザは王の間から出て、男を一人引きずってきた。王はそれを面白そうに見ていた。
「アロイス殿も、面白い余興を考えていたのですね」
王の息が弾んでいる。
「ああ、こいつだ」
グレーザが連れてきたのは、自らをパルチザンと称していた男だった。
「お、俺は勇者なんかじゃねえ。そこの男にそう名乗れって言われたんだ」
男が指さしたのは道化だった。
「ば、ばかやめろ」
道化が慌てて男にナイフを投げる。ナイフは男の眉間に当たり、彼はその場で絶命した。
「嘘だ。王が私を陥れようとしている」
道化は震える指で王を差した。
衛兵達はどちらの味方につけば良いのかわからず混乱していた。
「戦争はどうなる」
「彼らが、これ以上攻め込んでくる勇気があるかどうか……まあ、今頃スターテンはチナ国に報復されているんじゃあないですか。あれだけの兵を失ったのですから」
「あの牝狐はどうするかな」
「彼女ならうまく逃げ果せるでしょう。そういう女です」
「だろうな。そうでなくてはつまらん」
あの牝狐も、師匠も、まだまだ楽しませてくれるはずだ。
「いやあ、ドキドキした。でも、うまくいきましたね。これからも、ここにいてくれますか」
王は無邪気な笑顔を見せた。




