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「薬はまだ使わないのか?」
アロイスが尋ねると、王は首を振った。
「あんな場所でごちゃごちゃやるなら、一気に片付けた方がすっきりするだろう」
「あんなのは、小手調べに過ぎません。本当の戦いは、彼らの主力が到着してからです」
「そんなに強いのか、チナ国とやらは」
こんなに文明の遅れた世界で、人の数がちょっと増えたところで何になるのかとアロイスは考えていた。元の世界であれば、戦車の一台もあれば壁を壊し、人を投入して一挙制圧だろう。
ふと、アロイスは何かが燃えるような臭いを感じた。次の瞬間、どこかから爆発音が聞こえた。
「何事だ?」
城が震えるほどの爆発である。頭をよぎったのは、大砲であるが、この世界には火薬は存在しないはずだ。
「海です」
慌てるアロイスとは対照的に、王は落ち着いていた。
フランクライヒの後方には、海が広がっている。この国に来る途中に見た、マルコポーロを彷彿とさせる船を思い出した。
城の反対側へ回ると、海が見える。そこには、無数の船が押し寄せていた。
「なんと、あんな張りぼてのどこにそんな戦力を積んでいるというのだ」
焦っていたためか、この世界のことを忘れていた。この世界は剣と魔法が主役なのだ。
「アロイス殿の薬を使ったか」
「何だと、あの薬はこの国以外にはどこにもないはずだ」
「でも、元々はランドで作って、それをスターテンで精製したもののはず。そのどこかで漏れていることは充分に考えられます」
この世界の人間を侮っていた。文明が遅れているからといって、それがすなわち知性の未熟に直結するとは限らない。人類は常に、ちょっとしたきっかけで爆発的な進歩を遂げてきた生き物なのだ。
最初の一撃で港は壊滅的な被害を受けていた。さすがの威力である。しかし、最初の一撃以降、攻撃はやってこない。牽制だったのか、それとも薬の精度が安定していないのだろうか。あの薬は、誰でも魔法力が増加するわけではない。こういったラグもあり得るだろう。
「王よ、どうするつもりなのだ」
王は黙っていた。彼がこの国を売るという話は本当なのだ。無抵抗で明け渡しては、売国奴と罵られる。だから、戦に負けたということにするつもりに違いない。
「戦は任せておけと言っていたではないか」
言い終わらないうちに、再び大きな音がした。しかしそれは、港が攻撃された音ではなく、船が一隻焼かれた音だった。
「こちらに、何の備えもないとお思いか?」
船が次々と沈んでゆく。船が湾内に集まったところで、方々から魔法が飛んで行く。次々と船は沈んでいった。
「このフランクライヒ、この様な戦は何度も経験済みです。守り方ならこちらに分がある」
王はニコリと笑った。読めない男だ。
「あの船団は、スターテンのものではないな。チナ国か」
「そうです。チナ国は強大な国です。我々ほどの魔法力も、スターテンほどの戦力もありませんが、模倣する術に長けている。だから、研究中の薬も躊躇なく使うし、他国の武器も真似て作る。やっかいなことに、それぞれの精度は低いけれど、すべてを合わせた総合力では我々を凌ぐ。敵にしても味方にしてもやっかいな相手です」
どこの世界にも、そういう国はあるものだ。
海の戦いは、ひとまずフランクライヒが勝ったようだ。ホッと息つく暇もなく、今度はまた壁の方で派手な音がした。
戻ってみると、壁に穴が空いている。
「王、戦況は芳しくありません」
道化が苦々しい顔で外を見ている。
「どうして、壁に穴が空いている」
まだ壁の外側では戦いが膠着状態なのに、壁は内側から穴を開けられたように見えた。
「わかりません、突然現れた賊が魔法で……」
道化がチラとアロイスを見た。何かを訴えかけるようにも見える。
「なるほど。先程の海の攻撃は囮で、彼らを目立たせず忍び込ませるためのものだったのか」
王が呟く。そのために、あれだけの船を犠牲にするとは、さすがである。まるで、人を人とも思わぬ戦略は、元の世界でもよく見た光景である。
「スターテンのバカどもには考えつかない作戦だな」
王が震える拳で窓を叩いた。
「アロイス殿。そろそろ、貴方の出番ですよ」




