13
王の間は、ランドやスターテンと違ってシンプルな作りだった。大きな机があり、その上に地図が載っている。王自ら軍師も務めているのだろうか。
牢の中にもあった偶像のモチーフが、巨大な像となって飾られている。それも、一つではなくいくつも。それぞれに、瀟洒な燭台が埋め込まれており、火を灯されている。
王の横に目を向けると、ジャンヌダルクが立っていた。彼女は敵の返り血を浴びすぎて、甲冑の元の色がわからなくなっている。それどころか、未開の部族よろしく顔面に血のペイントをしている様にさえ見える。
彼女の姿を見るだけで、アロイスは不快に顔を歪めた。
そんな彼とは裏腹に、ジャンヌダルクは満面の笑みでアロイスに向かって手を振っていた。
「近くへ」
王が机の上座に座っている。王の近くの椅子を引くと、アロイスは無造作に座った。
「ふん、どうだね? 私の作戦は」
「スマートではないけれど、効果的だったようですね」
「アロイス様、すばらしい。感動しました」
うずうずして、これ以上黙っていられないという表情で、ジャンヌダルクが言った。ひざまずいて、アロイスの手を取る。
「やめろ、鬱陶しい」
すぐさまその手を振り払った。それでも、負けじと掴んでくる。
この娘は重度のマゾヒストだ――アロイスの閑雅そう告げている。彼女の美しい金髪も、滑らかな肌にも食指が動かない。本能が彼女を拒否している。嬲られたがっている人間を嬲っても、何の面白みもない。
「是非その才能を拝見したいですわ」
「よせ、ジャンヌ。はしたない」
王がため息をつく。
「申し訳ない、アロイス殿」
アロイスが彼女の手を再び振り払う。振り払う力が強すぎたのか、彼女は尻餅をついた。道化が素早く彼女を助け起こす。
「この国の勇者は頼もしいな」
アロイスが鼻を鳴らした。
「まあ、彼女のことはもう良いでしょう。あれでも、ひとたび戦場へ出れば鬼神の如き働きをするのです」
「鬼神……ね。奇人の間違いでは?」
ジャンヌが恥ずかしそうにうつむく。
「戦場のことは、そちらで勝手にやってくれ。私は私の仕事をする」
ワインが運ばれてきた。ずいぶん、濃い赤のワインだ。ちょうど喉が渇いていたので一気に飲み干す。想像していたよりも濃厚で、香りが強かった。これに比べたら、ランドで飲んでいたワインが水のように思える。
「随分良い酒だ。さすが大国の王が飲むものは違う」
王もグラスを傾ける。
「これは魔法がかかっているのですよ」
王の顔を見る。冗談ではなさそうだ。アロイスは口の中に残っていたワインをゆっくり舌の上で転がした。
「警戒する必要はありません。ほら、僕も同じものを飲んでいる。人を害するような魔法ではなくて、熟成を進めるだけのものです」
「貴殿を疑っているわけではない。ただ、そんな魔法もあるのかと思っただけだ」
攻撃的な魔法のことばかり考えていたが、そういう効果のあるものなら、より効率的なモルヒネの精製、さらにはより効果のある薬を作れるのではないだろうかと考えた。
「それより、今回の戦果です。アロイス殿を自由の身としましょう」
王の言葉に、アロイスはグラスを掲げて応えた。
「それと」
王が言葉を継ごうとしているのを、アロイスが指で制した。王がピクリと眉を上げる。
「一つ頼みがある」
王は首をかしげてみせた。
「この国で魔法を研究したい」
「魔法を?」
アロイスが頷く。
「私のいた世界には、魔法などと言うものはなかった。しかし、これが使えるようになれば、効率的に拷問が出来るようになるだろう」
王がアロイスを見詰める。たっぷりと間を置くと言った。
「良いでしょう。ではこちらも一つ条件を」
条件を聞く前から、アロイスはすでに魔法でどんな拷問をしようか考えていた。神は自分を何の目的でこの世界に送ったのかわからないが、今はただ踊らされるのも悪くない。
「私に出来ることであれば」
アロイスが恭しく頭を下げる。それを見て王が頷いた。
「貴方の使ったあの薬、何と言ったか……」
「モルヒネだ」
「そう、そのモルヒネを我が国で量産したいのです」
アロイスも王を見詰める。
この空気感。アロイスは知っている。
これは交渉ではない。一方的な要求である。王がこの場の空気を握っている。微動だにしないが、彼の背後に禍々しい空気の層を感じることが出来る。おそらく、拒否すれば彼は躊躇なくアロイスを殺すだろう。あれだけの効果を得られる薬を、他国に渡すわけには行かないはずだ。
アロイスの頬に汗の筋がついた。
「あれを使った魔法使いの姿を見て、なおそう言うのだな?」
無邪気な少年のようだ、と彼を評したのは間違いだった。あの惨状を見て、なおモルヒネを求めると言うことは、彼にとって兵士は使い捨てであるということだ。
邪悪には邪悪を以て、なお深淵を臨む――アロイスは少し嬉しくなった。彼もこちら側の人間であるのだ。
モルヒネはアロイスにとって切り札だ。あれがただの麻酔薬などではなくなったことで、彼の優位性を圧倒的に高めている。
隣に座っている道化から殺気を感じる。彼なら間違いなく私を殺すだろう――。
「言ったでしょうが。この国の国民は、すべて家族だ。家族のためなら、命を投げ出すことなど造作もないことでしょう?」
「さあ、私はこの国の家族ではないのでな」
「なるほど。わかりました」
王がそばにいた男に何事かささやき手を叩く。アロイスは殺されるのかと思い目をつぶった。額から脂汗が流れる。
「彼を」
王の言葉に、入り口から楽器を抱えた男達が入ってきた。
何事だろう。ただのもてなしの音楽会であれば、アロイスには少しも興味がなかったが、曲が始まってすぐにアロイスの顔色が変わった。
「これは……」
王を振り返る。その反応に、王も満足そうに頷いた。
「何と言うことだ」
アロイスは顔を両手で覆うと、指の間から彼らを見た。
演奏の最中は、息をするのも忘れていた。
演奏が終わると、アロイスは立ち上がり手を叩く。
指揮者が王にひざまずき、そのあとアロイスの元へやってくる。
「貴殿が……」
指揮者はアロイスに向かって手を差し出した。
「ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーです」
「おお、この世界の神よ。貴方に感謝します」
アロイスはワーグナーの熱狂的ファンだった。彼の手を握り、抱きしめた。
「貴殿もこの世界に?」
あまりにも力強く抱きしめられたため、ワーグナーは咳き込んだ。
「そうです。もっとも、私を召喚した国はもう滅んでしまいましたが」
「亡命してきた彼を、ここに置いたのですよ。貴方の世界では著名な作曲家と聞きましたが、本当なのですね」
「彼こそは世界最高の作曲家だ」
感極まったアロイスの、乾いた瞳から涙があふれる。
「貴殿に会えるなんて、素晴らしい世界だ」
ワーグナーを離し、アロイスは「わかった」と言って王を振り返る。
アロイスが両手を挙げて、参ったのポーズをする。
「貴殿の言うとおりにしよう。今日から私もこの国の家族だ」
演奏中も感じていた首筋のざわつきが消えた。
「よろしい。的確な判断だ。もう一曲演奏して貰おう」
アロイスはオーケストラから一番近い席に移動した。
「まったく、たった一つの国に、勇者が四人も集まるなんて」
道化が呟いた。




