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「知略に長けた人物と聞きましたが、ただの噂だったようですね」
牢の前で、フランクライヒ王が破裂したように笑った。
フランクライヒ王は、ランドやスターテンの王に比べて、ずっと若い男だった。屈託のない笑顔だけを見れば十代といっても良いくらい若く見えたが、その鍛え抜かれた体躯と、微塵の隙もない身のこなしを見ると、思ったより年を食っているかもしれない。
彼の髪の毛は艶のある黒で、小さくて豆のような顔をしている。昔、戦場に紛れ込んだ犬を思い出した。体の線が細く、やけにピタリとした服を着ていた。アロイスが揶揄するような、原始時代の王とは違った。軍服とはまた違う、不思議な素材の服だった。無駄な装飾などはついておらず、すっきりとした印象である。
「貴様……」
王の横で居心地悪そうにしている道化を睨む。
「自分が間諜を見抜けなかったからと言って、他人に当たるなんて。自身を惨めにするだけですよ」
悪戯っぽいしゃべり方が癪に障る。
「ふん、そうだ。私の負けだ」
アロイスが肩を竦めた。
「私もね、まさか貴方を投獄するとは思っていなかったんですよ。これは本当ですよ」
道化が済まなそうな顔で囁く。王がジロリと粘っこい視線を送るが、彼はそれに気付かないふりをしていた。
「まあ、踊る阿呆に見る阿呆って言うじゃあないですか。こうやって流れに身を任せるのもまた一興かと存じますよ」
シシシ、と笑う道化を睨むと、彼は大袈裟におびえたような顔をして姿を消した。
「躾がなってなくて申し訳ない。まあ、彼の言うことも一理あると思いますよ。なあに、永遠にそこに閉じ込めようというわけではありませんから。僕が飽きたら解放しますね」
そう言うと、王は背を向け牢から出て行こうとした。
「おおっと、そうだった」
王が振り返ると、腰にぶら下げていた棒を取り上げる。そして、何か口の中でモゴモゴと唱えると、アロイスの方に向かって棒を差し出した。棒の先が薄らぼんやりとしたかと思うと、牢の鍵穴が凍り付いた。
「アロイス殿は、解錠技術に長けていると聞いたもので。悪いけど、その魔法の氷は簡単には融けませんよ」
アロイスを取り巻く空気は暖かいにもかかわらず、鍵穴は堅く凍っていた。不思議である。
「これが魔法か」
氷に興味を引かれている間に、王は姿を消していた。
それにしても――魔法とは思ったよりも便利なものだ。これをどうにかして拷問に応用できないだろうか。そもそも、異世界人である自分が魔法を習得することは可能なのだろうか。
アロイスは牢の中を歩き回って考えた。すでに、彼の頭から怒りは消え去っていた。
たとえば、この氷一つとってみても、腕を切り落としたあとに凍らせたら死なずに長持ちするのではないだろうか。
たとえば、鉄の塊を抱かせて、その石を少しずつ加熱させてゆくような魔法も可能だろうか。
たとえば、指先が壊死するまで凍らせ、ハンマーでたたき割ってみるとか。
この超常現象のような出来事を、いともたやすくコントロールできるのならば、まるで夢のようではないか。
首と胴体を切り離して、自分の体を喰わせてみるのはどうだろうか。喰った体はどこへ行くだろうか。魔法のトンネルを通って体の胃袋へ向かうのか、それとも首の断面からこぼれ落ちるのか。試してみたいことがたくさんある。
「おい、誰でも良い。私に魔法を教えろ」
声を上げてみたが、誰もアロイスの相手をするものは現れなかった。ただ、壁に掛けられた偶像だけがアロイスの声を聞いている。その偶像が、この国の神なのだろう。あちこちにそれを象ったモチーフが散見される。
くそう――アロイスは新しいおもちゃをおあずけされた子供のような気持ちだった。アイディアを書き留めるノートも持っていないので、口の中でアイディアを反芻しながら牢の中を歩き回った。
驚くべき事に、彼の集中力は朝まで続いた。彼に差し入れられた食事が、手つかずのまま三度下げられた頃、牢の外がにわかに騒がしくなった。
ふと顔を上げる。どれくらい時間がたったのか、アロイスはわからなかった。顔を触ってみると、脂でギラついており、髭も伸びていた。
壁の上部に格子付きの窓があり、声はそこから飛び込んでくる。どうやら、祭り騒ぎではないようだ。どちらかというと、聞き覚えのある悲鳴にも似た騒がしさである。
「そこの衛兵。外で何かあったのか」
牢の鉄格子に顔を押しつけて声をかける。外から来た別の衛兵が、何か耳打ちをしているのが見えた。
「私にも教えろ。どうなっている」
「実はですね……」
いつの間にか、牢のすぐ外に道化が立っていた。近付いてくる気配もなかった。これも魔法だろうか。
「脅かすな」
アロイスは思わず怒声を上げる。
「すみません。私も慌てていまして。実はですね、スターテンが攻めてきたのです」
「スターテンが?」
あの喪服の女を思い出す。クソ忌々しい。まるでフランス軍人を見た時のような気分だ。
「どうしてスターテンが?」
「貴方ですよ」
道化がアロイスを指さす。
「私がどうしたって」
「彼らは、フランクライヒが重罪人である貴方を匿っていると難癖をつけて攻めてきたのです」
「なんだと? 私を追い出したのは奴らではないか」
「まあ、そうですね。口実だと思います。スターテンとフランクライヒは敵対国ですから。攻め込む口実が出来たと言うことでしょう」
「ならば、我々はまんまとあのメス犬に踊らされたという訳か」
「そうなります」
おどけたように道化が舌を出す。羽根つき帽がずれて彼の目を覆い隠した。今日の道化は戦時だというのに、しゃれた服装をしている。彼はいつもちぐはぐだ。
忘れていた怒りがぶり返してきた。
「ここから出せ。奴らを一人でも捕らえて腸詰め肉にしてくれる」
「なにか、勝算でもあるのかな」
道化と違って、靴を鳴らしながら王が近付いてくる。
「王はよほど牢が好きと見える」
「軽口を叩いている余裕があったら、建設的な発言をしたらどうですか」
王は昨日と似た格好だったが、よく見ると耐久性の高そうな装いである。戦いに備えていると言うことだろう。彼の顔からは、昨日のような余裕が消えていた。
アロイスは顎を撫でる。
「そうだな。スターテンの腑抜けどもに効果的な戦略が一つある」
王はジッとアロイスを見据える。今日の彼はいくらかピリついた雰囲気を持っていた。
「スターテンは、先の戦いで兵の大半を失っている。彼らが、今急襲してきたのは、焦っているからだ。今の兵力では他国から攻め入られたとき、負けてしまう。黙っていれば気付かれないかもしれないが、スターテンの内情は私がよく知っている。その私がこの国をそそのかして攻め入る前に、向こうから仕掛けてきたのだ」
王はうなずき「それで?」と先を促す。
「捕虜を何人か連れてきて貰おう。彼らの戦意を根こそぎ奪ってやる」
アロイスの邪悪な笑みに、王も同じような貌で返した。道化が二人を横目に、寒そうに体を抱えた。




