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「まだ無駄なことをしているのか」
アロイスが声をかけると、マリアが振り返った。彼女は城の中庭に咲いた花を見上げていた。
「何のことですか」
マリアの表情は厳しい。こちらに引っ越しをしてきてから、彼女が笑ったところを見ていない。
「あの青年を探しているのだろう? 君のフィアンセの」
「貴方には関係のないことです」
向こうを向いてしまったマリアの首筋は、白くきめの細かい肌で、今まで切り刻んだ誰よりも美しかった。
「やめてください」
無意識に手を伸ばしていたようだ。アロイスの手がマリアの首に掛かる直前、マリアがそれを感じて距離を取った。
「すまない」
マリアが眉間に皺を寄せる。
「貴方にも、申し訳ないと感じることがあるんですね」
「ふん、貴公は私をどう思っているか知らないが、これでも一応人間なのでね」
マリアは何も言わずに、中庭から出ていった。
「ふん」
アロイスはベンチに腰掛ける。
「振られましたな」
「また貴殿か」
道化だった。
「そう邪険になされるな」
道化は滑るように隣に座ると、また何もなかったところから小さな箱を取り出す。まるで空間を切り取っているにも思える。
「良くできた手品だ」
「お褒めいただき恐悦至極に存じます」
差し出された小箱をしばらく見下ろしたあと、アロイスはおもむろにそれを取り上げた。
爆弾による自爆テロリズムは非常にスタンダードな手だが、この世界には火薬のようなものはない。爆弾ではないだろう。
箱は金属のような手触りで、角度によって色を変えた。何より興味深いのは、どこにも継ぎ目がないのに中からカラカラと音がすることだ。祖国の技術力ならば可能だろうが、この世界にもこんなものを作れる技術力があるとは驚きである。
「失礼」
箱をクルクル回し見ていたアロイスの手から、道化が箱を取り上げる。素早く指で何某か操作をすると、箱はまるで雪解けを迎えた蕾のようにパタパタと展開してゆく。
「これは……」
アロイスが息を呑んだ。箱が開いた瞬間、嗅ぎ慣れた臭いがした。箱から出てきたのは指だった。しかし、違和感がある。
道化が指を鳴らすと、それは徐々に崩れていって別のものを形作る。確かに本物の血の臭いがしていたはずなのに、彼の指の音とともに臭いも消えた。
再びアロイスが息を吞む。それは、軍の階級章だった。
「どこでこれを」
さすがのアロイスも冷静ではいられなかった。その階級章はアロイスが一兵卒の時につけていたものと同じものである。
「やはり、王が異世界から召喚された勇者だという噂は本当だったんですね」
「どこでこれを」
再び尋ねる。道化はおどけた仕草をして、階級章を取り上げた。
「これは偶然拾ったのです。これの持ち主も、異世界からの召喚者だったと聞いています」
「持ち主はどうなった?」
この男がこれを持っている時点で、持ち主がどうなったかはわかっていた。祖国では階級章は命と同等の価値がある。つまり、生きている限り、これをなくすことなどあり得ないのだ。
「さあ、私は知りません。ただ、面白そうだなと思って拾って取って置いたのです。あなたのその顔を見られただけでも、取って置いた価値がありました」
道化は立ち上がって、階級章を思い切り放り投げた。
「何をする!」
アロイスは思わず立ち上がって叫ぶ。
「ご安心を」
階級章は彼の手の中にしっかりと握られていた。この男は、何のためにこんな茶番を仕掛けているのか。
「これはお返しします」
差し出された階級章を受け取ろうとしたが、アロイスは首を振った。
「いや、いい。もう、私には必要のないものだ。貴殿の好きにすると良い」
祖国とは決別したのだ。ここでは、私の国がある。あの偉大なる指導者が作った国ではない、自分の国だ。
道化が息を吹きかけると、階級章はどこかへ消えた。この程度ではもう驚かない。
思いがけず祖国のものを見て、郷愁に心をかき乱された。アロイスは深く呼吸する。
「貴殿は何が目的なのだ」
道化はニヤリと笑った。
「貴方のお側にいたく存じます」
「仕官か」
「今は……そうなります」
含みのある言い草である。
「今は、とは? 私が失脚するとでも?」
道化は慌てて膝を折る。
「滅相もない。ただ、私は貴方が王だからではなく、貴方という人に仕えたいと考えているのです。貴方といたら、退屈しなさそうだ」
アロイスは鼻を鳴らす。
「ふん、良いだろう。精々私を楽しませてみろ」
「お任せを」




