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満州前線 各軍戦力

お久しぶりです、この話から小説内での視点が変わります。

 ―――モンゴル軍は国内で最強と呼ばれた"チンギス・カン歩兵師団"を満州前線に配備させた。

 同じく満州前線に配備された"ムカリ騎兵旅団"、後方に配備されたるは"スブタイ砲兵中隊"であった。

 しかし航空兵力は日本に劣る、全航空機120機である。

 この部隊を指揮するのは、モンゴル陸軍満州前線第一部隊司令官でありチンギス・カン30代目子孫徳王"デムチュクドンロブ大将"であった。


 一方で支那軍は"毛沢東大佐"率いる"第三歩兵連隊"を満州前線へ配備、"蒋介石大佐"率いる第四歩兵連隊も配備されていた。

 "馬歩芳中佐"率いる支那軍最強の"玄武戦車隊”も満州前線へと配備された。

 航空兵力はまだ作られておらず、現在生産中であった。


 大日本帝国軍は第一軍として"近藤 優中将"、第二軍として"海原 清彦中将"、そして第三軍には"乃木 文助大将"が司令官に任命された。

 乃木文助大将は"203高地"の乃木希典大将の実子であった。

 実際の歴史では存在しないのだが、藤原道之助参謀総長になった事で歴史が大幅に変わったのである。

 明治天皇陛下が崩御されて殉死するはずであった乃木希典大将だったが、明治天皇陛下は崩御なさる前に乃木希典大将が明治天皇陛下に言われた言葉があったのだ。



 "乃木よ、朕が死んでも殉死などはするでないぞ"



 明治天皇陛下に忠義であった乃木希典大将はこの言葉で殉死を止めて20歳で陸軍士官学校を卒業したばかりの三男"乃木文助を立派な陸軍将校に育て上げたのである。

 しかしモンゴルとの戦争が始まる1年前に乃木希典大将は亡くなってしまった。

 文助大将は必ず良き戦果を挙げて見せますと心に誓っていた。


 そして遂に、満州前線でモンゴル軍と日支両軍が衝突する――――――。

 

短くてすみません

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