キャンプファイア、『テイク・オン・ミー』
泉美と蘭 3
「ねえ、蘭……、覚えてる?」
「なにを?」
「キャンプファイア」
「焚き火のこと?」
「焚き火……、ええ、そう。焚き火のこと」
「いつの?」
「いつのでも ―― パパと三人でやったのなら、いつのでも ――」
「……懐かしいわね」
「あれもほら、結局儀式みたいなものだったでしょう」
「儀式?」
「三人で炎を見つめて、ジリジリと焼くの。日頃の疲れを洗い落とすの。あれって、ほら、そんなだったでしょう」
「……そんなこと、考えてたの?」
「……たぶん、今思うとね」
「……泉美。思い出したんだけど」
「そうでしょう、ほら」
「……あなたはまぶたを閉じていた……」
蘭 2
「目を閉じて、そんなこと考えていたのね……。キャンプファイアの日は、私たちはいつもよりおしゃべりで、昼間っからもう浮かれてた。夏の夜の風物詩、わが家ではそうだった……。昼間、ふたりで外をかけまわったり、部屋で歌を歌ったり ――『テイク・オン・ミー』って歌、ドライブのたびにパパの車で流れるものだから、覚えてしまったのね。気持ちのいいメロディだったから、わけもわからずにはしゃいで歌っていた ――。……でも、夜になって、静かな森の隅でパチパチという火を焚きはじめるころには、急にみんな ―― パパもよ ――、みんなしいんとしちゃって、まるで私たち、家族じゃないみたい……、そんな時間 ―― ほんの数十分 ―― がやってくるの。あんなにはしゃいで楽しみにしていた『キャンプファイア』が、まるでほんとうにただの儀式みたいになって、私は毎回、奇妙な感覚を覚えたわ。……そうよほら、泉美は瞳を閉じていた。私は見ていたはずよ。パパはひとりで腰かけて、私が見てるのを知るとふしぎそうに見つめかえして、そして笑った……。焚き火を消したあとは、私たちすっかり元気を取り戻して、遅くまでおしゃべりをつづけたわ……」
父 2
「子供たちは、ママのことをほとんど知らない。ママを知らないということは、俺をも知らないということだ。父親である、俺を。……しかし思えば、人というのは生まれて二十年間、我が子を持つことなく過ごす。たとえば俺が四十だとしたら、あの子らは俺の半分をも知らないことになる。もちろん、ママとのことも……。では、俺は子供のことを知っているだろうか。知っている。少なくとも、あの子らが思っている以上には知っている。ママの出産に立ちあった。二千グラム、小さくて真っ赤な俺の子供がふたり一緒に生まれてきた。ママは疲れていたけれど、うれしげに笑っていた。俺は泣いていた……。ママのことはあまり話さなかった。話してもそれはうわっつらで、そして、俺とはまったく関係のなかった他人の話をするかのように、だった。あの人と過ごした時間はすぐに追い抜かれて、俺は長いこと子供たちと暮らしたけれど、流れていく今とは違って過去は永遠で、まるで一枚の静止画のようにたえず貼りついて ―― 白い壁紙や棚のうえに、ママの写った写真が見えるようで、俺は時々なにもない場所へ目を留めては、このまま身体が固まって石のようになっていくのではないか……、という感覚を味わった ――。今の、現在進行形で動いている俺の生活にあの人を持ちこみたくて、それは簡単なことではなくて……。あの子らはなにも知らない。なにも知らずに、ママの好きだった歌を歌っている……」