時計と卵、真っ赤なきのみ
※ この作品は[ヒューマンドラマ]です。[料理ハウツー記事]をお探しのかたはページを移動してください。
泉美 1
「毎朝、カーテンの隙間からあふれる光で目を覚ますの。時計を見ると、だいたい六時半。それからちょっと、ほら、まだ外のにおいを嗅ぎたくないじゃない。だから、目覚ましが鳴るまで待つの。ほんの十五分くらいよ。そして ―― ね、あの目覚まし。パパが ―― 今じゃもう、パパなんて呼ばないけど ―― パパがね、買ってきたでしょうふたつも。あの嫌な黄色い時計よ。ひねくれたような色をした、あのうるさい目覚まし時計 ―― その目覚ましを止めて起きるの。そしてはじめてカーテンを開けて、子供のときみたいにお祈りをするんだわ。つまり、ほら……、なにをって言われてもうまく言えないけど……、わかるでしょ ―― 世界なんてそんなものよ。なにもかもはっきりと、明確じゃなくたって不自由はしないわ ―― つまりほら、朝のお祈りよ。朝の、一日のお祈りよ、ほら。……つまり、ね、ほら……、私が今、なにを言いたいかっていうと……、昔のままってことよ。なにもかも」
「……泉美?」
泉美と蘭 1
「泉美、話してるの?」
「え……」
「だれかと話してたのかって」
「蘭……。いたの?」
「いたのって、今来たんじゃない」
「……いなかったの。いなかったのね」
「だから、今来たんだって。で、なんの話?」
「つまり、ほら ――」
「『つまり』は接続詞よ。つまりほら、最初から話してってこと」
「……ううん、いいの」
「……昔のままね。なにもかも」
泉美 2
「毎朝、卵を食べる。儀式みたいなもので、私はそれをくりかえす。もちろん、お祈りのあとによ ―― そう、ちゃんとしたお祈りじゃないんだから、卵は ――。……卵は目玉焼き。フライパンに載っけて、ジリジリと焼くの。あの目覚ましのジリジリと一緒に焼いてしまうの、毎朝ね。……もしかしたら、そのためのあの黄色い目覚ましなのかもしれないわ……。意味、わからないでしょうけど。ほら、私にだって」
蘭 1
「私はずっと、目玉焼きは食べなかった。あのときが最後ね ―― あのときって、どんな朝? ―― たぶんほら、いつもとなにも変わらなかった。ほんの少し、なにかが私たちを刺激して、そして私が、変に気持ちのいいほうへ行っちゃった、それだけよ。だってそうじゃない。あの日も、ほら、いつものとおりラジオの音楽を聴いて、学校へ行ったんじゃない。 ―― ほんと、ふつうの朝だった。だって、どんな朝だったか覚えてないんだもの。……今では私ね、ほら、スクランブルエッグにはまってるのよ」
泉美と蘭 2
「ねえ私、独り言、言ってた?」
「独り言?」
「だってさっき、話してたのかって」
「……わからないわ」
「声、出てたの?」
「話してたの?」
「ええと……」
「……わからないわ。でも、そんな気がしたんでしょう。……私が、よ」
父 1
「森で育った真っ赤なきのみ、ひとふさにふたつ同時にみのり育った。しかし、その片方は、俺の知らないアスファルト ―― だかなんだか知らないが ――、そこではじけた。父親の知らないところでだ。そうだほら、きっとあいつは、なにかに押しつぶされて ―― やわらかい黄色い膿のようなものを、真っ黒な地面にぶちまけて ――、それでこの森へ帰ってきた。もとの真っ赤を装って。……しかし、ほら、俺がなにも気がつかないわけがないだろう ―― たしかに、お前たちの部屋にはもう長いこと、足を踏み入れても、じっさい、入れていないような気もするけれど ――、俺は、ほら、血がつながっているんだからな。たとえ離れていっても、俺はずっと……」