表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

河川敷で見えたものは

作者: 岸田龍庵

この作品は、やはり私の作品「海まで25キロ」の対になるもので、舞台は河川敷です。

 この人は一体、なんのためにことをやっているんだろう。

 もう一時間も走りっぱなし。河川敷を行ったり来たり。私が見ているものと言ったら、彼の背中ばかり。自転車で、ママチャリで、狂ったように走っている彼の背中。


「毎週、自転車で走っているんだ」

 一月ぶりにあった彼は、少ししぼんでいた。彼にしてみれば、絞れたとか言うんだろうけど、私にはしぼんでいるようにしか見えなかった。

 彼がダイエットを始めたというのをメールで知ったとき、どうしちゃったんだろうと思った。

 身長180センチくらいで、誰がどう見てもやせ形。スーツを仕立てた時に言われた体型は「標準よりもやせ形」だった。ウエストは十年は変わってないらしい。

 私は十年前の彼とつきあったことはないけど昔の写真の彼も痩せている。その彼が、どういう訳かダイエットを始めた。

 何でも3キロくらい落としたいらしい。3キロってあなたの体型から3キロ落としたらどうなっちゃうんだろう。

 何でも、職場の仲間内でダイエット競争を始めたので、それでやるようになったらしい。彼は今年三十四歳。まあ、体重を気にする年齢なのかな。私はいつでも気になるけど。


「する必要ないよ、ダイエットなんか」彼がダイエットを始めた頃にそんな話をした。

 すると彼は、

「あのさあ、スゴイ太っているおっさんとかいない?」おなかの周りをさすりながら彼は説明し始めた。「相撲取りじゃないのに、横綱みたいな人っているじゃん」

 そんな人いるっけ?私は彼が、まったく手を着けてない、ローストビーフを口に運びながらぼんやりと聞いていた。

「そういう人って言うのは、俺くらいの年齢から太り始めるだって。だからこれくらいの年齢で、一回絞って置いた方がいいんだって」

 絞るって?痩せギスのあんたから何を絞るの?

「大丈夫よ、ヨコヅナみたいにならないよ」やっぱりこれも何にも手を着けていない、エビチリを食べながら彼に言った。

「そりゃ、わからんぜ。だって、太っている人より、痩せている人の方が格好いいじゃん」

「そう?」私は別にあなたが痩せていてもヨコヅナみたいでも構わないけど。別に体型とつきあっているわけじゃないし。

「食べないの?」さっきから私ばっかり食べてる。

「ダイエット中だからな」

 じゃあ、なんでご飯なんか食べに来たのよ私たち。



 ダイエットの結果、彼は体重は二キロくらいしか落とせなかったけれど、体脂肪率を落とせたと言った。体脂肪率十六%が男の人にとってどれくらいの数字なのかはわからないけど、かなり低そうに見える。


そんなんで体力が持つのだろうか?


「体は軽くなったけど、パワーはなくなったかな」そんなようなことも言っていた。確かに、アレの時とかはちょっと弱っちくなっている気もするし、食べる量なんかスゴイ減った。すぐにお腹がいっぱいになってしまうらしくて、私の半分も食べない感じ。

 なんか、お坊さんとか、断食している人みたい。それが今の私の彼。

 ダイエット競争を終えた彼が、そのまま引きずっている日課が、小食と、サイクリングだった。ママチャリダイエット。




 町中を、延々ママチャリなんかで走っていて楽しいのかな?なんて思っていたら、全然違った。彼の家の近所には(近所といってもママチャリで十五分くらいはかかる)河川敷があって、グラウンドがあったりゴルフが出来るところがあったりで、川沿いに道があって彼はそこをママチャリで走っている。

 私も行ってみた。近所のスーパーでママチャリを買って、彼と一緒に河川敷へ。

 ちょっとワクワクしていた。なんかピクニックじゃないけど、お弁当を持って、飲み物を買って、秋らしくなった河川敷をのんびり走る。

 そんなデートも楽しそう。

 なんて考えていた私が甘かった。彼は河川敷に着くなり土手の上の道をガンガン飛ばして行った。本格的な自転車で走っている人たち、ピチピチのスパッツで、映画の「エイリアン」みたいなヘルメットを被っている人たちと同じようなペースで走っている。

 もし彼が乗っている自転車が本格的な物だったら、私は全然ついて行けてないはず。それくらい彼の走りは本格的だった。私たち女子が思っているダイエットなんていう生やさしい物じゃなく、トレーニングだった。


 私は彼に全然ついて行けなかった。当然、景色なんか眺めている余裕なんか全然ない。どんどん彼の背中が小さくなっていく。でも彼は振り向いてもくれない。彼の背中が遠く遠く、本当に小さくなってから彼はようやく気がついてくれる。

「どうした?しんどいか?」

 しんどいにきまってるでしょ?もう喋ることもできなかった。あんたは毎週走っているからいいかもしれないけど、私は初めて走るんだから。

 こんなに運動したのは、高校時代の陸上部からないかも。こんなに汗を掻いたのも久しぶりかも。まあいつもベッドの中じゃあ一緒に汗かいているけどね。

「ちょっとペース落とすね」そういって、彼はまた背中を見せて先を行く。私は彼の背中をついていく。


 また背中かい?


 ブチブチ言いたいけど、今は追っかけるしかない。今度は簡単についていける。こんな簡単だったら、もっと早くにペース落としてくれていればいいのに。

 彼は土手から下っていった。私もその後を追いかける。今までは土手を走っていたけど、今度は河川敷の道を走っている。土手を見上げるような感じだけど、また景色が変わっておもしろい。

 河川敷から土手を見上げる感じ。風も変わった。土手の上よりも草の匂いが強い。私よりも背が高そうな草がたくさん生えている。

 遠くのほうに家電店が見える。テレビでもしょっちゅうコマーシャルしている安売りのお店。そういえば大画面の液晶テレビを買おうなんて言ってたっけ。くたびれたし、休憩ついでに覗いていくのもいいかもしれない。私はちょっと頑張って彼に並んだ。

「ねえ、あそこ。ちょっと寄っていかない?電気屋さん」

「電気屋さん?」

「液晶テレビ買おうって言ってたじゃない。ちょっと見ていくのもいいじゃん」

「そだね」彼は言った。

「それじゃあ、次の橋渡って向こう岸に行こうよ」私は言った。

「渡る?」彼は不思議そうな顔をした。「渡らなくてもいいんだよ。あの電気屋はこっち側にあるから」

 ええ?

 そんなことないでしょ。私には電気屋さんは向こう岸にあるようにしか見えない。

「遠くからだと、反対側にあるように見えるんだ。でも、近づくとこっち側にあるのがわかるよ」

 ということは、彼は電気屋さんの辺りまで来たことがあって、向こう岸にあるように見える電気屋さんがこっちにあるのを知っているんだ。



 ちょっとムカっときた。



 彼は何でも知っていて、私は何にも知らない。

 彼は何回もこの河川敷を走っていて、私は今日が初めてだから知らなくて当たり前なんだけど、ちょっとムカッときた。

 私はちょっとペースを落として、彼の後ろを走る。なんか一緒に並んでいるのがバカバカしくなった。

 何となくそんな気がした。私はただ足を動かしているだけだった。右、左、右、左。ママチャリトレーニングなんてちっともおもしろくない。

「ほら、こっちだろ」彼が振り返って言った。電気屋さんは本当に向こう岸じゃなくて、こっち側にあった。

 すごい高いビルなんかは近づけば近づくほど、どこにあるんだかわからなくなっちゃうけど、遠くにある建物でも位置がわからないなんてことがあるんだ。

 私たちは電気屋さんに寄って、とても買えそうもない値段の液晶テレビを何個も眺めて、二人してため息をついた。

 大きいテレビを買うにはお金だけじゃなくて、置く場所も大きくなくちゃダメなんだね。

 お店の中の自販機で私は水を買った。ただのお水がこんなにおいしいもんだなんて知らなかった。500ミリリットル、一気に飲んじゃった。

 のどを鳴らして飲むのが気持ちが良かった。彼は何も飲まなかった。

「足立本店?」

 お店の看板に「足立」という文字が見えた。足立って、まさか足立区のことじゃないよね。

「ここってどこなの?」

「どこって多分足立区じゃないの?」軽く言いながら彼は携帯を出した。

「ほら、足立区だって」

 彼は携帯を見せながら、簡単に言った。

「足立区って」どういうこと?私たちって板橋区からきたんじゃないの?東京の山手線の反対側って良くわからないけど、足立区ってものすごく遠いんじゃないの?

「足立区って、こんな所まで来てるの?」

「だって、もう一時間くらい走ってるよ」

 そういう問題じゃなくて。足立区なんて遠くまできちゃっているんだ私たち。知らない間に、結構遠くまできちゃっているんだね私たち。

 元の板橋区に帰れるの?




「帰りは、ノンビリ帰ろうか」

 そういって、彼は自転車にヒラリとまたがった。私はちょっと足が重かった。久しぶりに運動したから足がダルい。

 電気屋さんで折り返した私たちは、河川敷を走り始めた。

 ノンビリって言った通り、彼はゆっくり自転車を漕いでいた。町中を走っているおばさんみたいなスピード。足が重たい私でも、今度は簡単に並んで走れた。

 ママチャリトレーニングを始めてから一時間半。やっと彼と並んで走れた。風がとても気持ちいい。火照ったほっぺたを風が、秋風が撫でていってくれる感じ。それに景色も眺められる。

 

 いろんな人がいるんだね河川敷って。

 本格的なチャリンカー、マラソンしているおじさんおばさん、のんびりしている家族連れにウォーキングしている人、上半身裸のおじさんが甲羅干ししているのはちょっとどうかって思うけど、みんな思い思いのことを河川敷でやっている。

 土手沿いに作ってる途中のマンションがあった。完全オール電化だって。お値段2000万円ちょっと。

 都心の高級マンションは買う気にならないけど、2000万円くらいだったら、なんか買えそうな気がする。

 河川敷がすぐ近くって環境も良さそう。休みの日なんかにお弁当もって、ピクニック気分で出かけると気持ちいいんだろうな。子供の遊び場もありそうだし。でも、虫とか来るのかな?洗濯物とかについたらイヤだなあ。

 いろんなものがあるんだね、河川敷って。

 今まで必死に彼の背中を追いかけてきたから、景色なんて眺める余裕なかったけど。


 

 そんな彼は、何を見ているんだろう。

 


 すごいペースで走っているとき、彼は何を見ているんだろう?景色なんか見てないのかな?

「ねえ、ちょっと寝転がっていかない?」風に乗って彼の声が聞こえた。

「寝転がるって?」

「土手のその辺」

 彼の指の先には、本当にその辺の「土手」があった。コンクリートの、斜めになっている土手。

 あんな所に寝転がるの?だって、砂浜じゃないんだから、散歩にきた犬がおしっことかしたかもしれないんだよ。

 なんて思っている私のことはお構いなしに、持ってきたタオルをコンクリートの土手の上に広げると、タオルを敷いてないところに大の字に寝転がった。

「あっちー」とおっさんのように叫んで。「ここ、気持ちいいよ」と敷いてあるタオルを指さした。

 私はしぶしぶ、タオルの上に仰向けに寝転がった。

 熱い。砂浜みたいな熱さが背中から伝わってくる。それにまぶしい。ちょうど太陽の真下にいた。まぶしさも砂浜みたいだった。

 そういえば、今年の夏は海に行かなかった。砂浜みたいなのに、磯の匂いじゃなくて、草の匂いがしているのがおかしかった。

 私は彼の腕を引っ張り出して、枕にした。腕から血液の流れる音と、心臓の音が聞こえてくる。私が知っている彼のいつもの鼓動よりも、とても早かった。

「気持ちいいね」彼はそんなことを言った。

 気持ちいいのかな?私はそんなに気持ちよくはなかった。むしろ久しぶりすぎる運動で気持ち悪かった。

「空見上げるなんてしないもんね、いつも」彼はそんなことも言った。

 そういえばそうだ。目の前に空しかないなんて、子供の時はよく見た気がする。大の字になって。空しか見えない。青い空と、白い雲と、それだけ。目の前を、遠くの目の前を雲がのんびりと横切っていく。大きな牛みたいな、牛みたいだけど、首が短いキリンにも見えて、それが空を泳いでいる。曇って不思議だよね。牛だったり、首が短いキリンだったり。

「あ、あの雲」彼が指さしたのは、牛にも見えて、首の短いキリンにも見える雲だった。

「牛みたいだね」

「牛じゃないよ。首が短いキリンだよ」彼は言った。

「でも、牛っぽいでしょ?」

「牛っぽいね」

 牛にもキリンにも見える雲は、私たちの目の前をのんびりと泳いでいく。

「あれは?」

「フライドチキン!か、ネタのでっかいお寿司!」

「おなか減ったね」

「帰りに何か食べていく?」

 私たちの目の前をいろいろな形をした雲が、のんびりと泳いでいく。

 その雲たちは、たぶん私の目にも彼の目にも同じ形に見えているのだろう。

 風が吹いた。風は暑くてうだる空気をさわやかにして、草の匂いをたくさん運んできた。火照った体に気持ちよかった。

 寝転がりながら、河川敷を走るのも悪くないかな、そんな風に思った。

読了ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ