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ひとりの帰り道  作者: 本田
6/12

異変

「おじいちゃん?」

 本田の家に来て5日目の朝。ゴールデンウィークも今日で終わり。明日から学校だ。有里と俺は、今日の夕方、それぞれ家に帰る予定になっている。

 この5日間毎朝そうだったが、朝は5時に起きて、有里と祖父と3人で朝食のための野菜を収穫する。

「おじいちゃん」

 その、畑からの帰り道。さっきから少し、歩き方が曲がっているな、と思っていたら、祖父は突然倒れた。

「おじいちゃん!」

 俺も有里も野菜を投げ出して駆け寄る。色とりどりの野菜が地面に散らばる。

「有里!救急車!」

 その場で救急車を呼び、祖父は近くの総合病院に搬送された。一緒に救急車で付き添ったのは俺で、有里と祖母が、タクシーであとを追ってきた。

「壮人!」

「・・・いま、診てもらってる・・・」

 最初に祖父を見たときの医師の表情の険しさが気になって、俺は黙って座っていられなかった。でもだめだ、俺がこれじゃあ、不安がふたりに伝染する。落ち着け。大丈夫だ。

「お兄ちゃん・・・」

 有里の不安げな呼びかけにも、黙って頷くのが精一杯。緊急治療室の赤く点灯したランプが不安を煽る。

「お父さんは?」

 俺は黙って首を振った。

 病院についてからすぐ、父の携帯に電話をかけた。父が海外出張中に電話をかけたことはないが、グローバル携帯だから、世界中どこでもかかるはずだ。でも、電源が切られていた。現地の宿泊先のホテルにも尋ねたが、昨日の夜から帰っていないという。一緒に仕事をしている人も不通だった。現地でクライアントとの打ち合わせや視察の予定がぎっしりなのだろう。

ロンドンは、いま何時なのだろう。いつもなら計算できるのに、今は何も考えられない。時差が何時間なのかさえ、何から何を引けばいいのかさえ、まったく計算できなくなっている自分がいる。いま何か話しかけられたら、日本語も理解できないのかもしれない。

「夜になれば、電話がくる・・・」

 そう、夜になれば電話がくるはずだ。出張のときは国内でも海外でも必ず日本時間の夜に電話を一本寄越す。少なくとも、昨日の夜まではいつもどおりそうだった。

 その後も父に何度か電話したが、まったく通じない。父に連絡がつかないまま、時間ばかりが過ぎ、祖父はいっこうに治療室から出てこない・・・。

「・・・ちょっと、電話かけてくる」

 有里と祖母を治療室の前の廊下に残したまま、病院の公衆電話から電話をかける。ずっと昔から暗記しているかけなれた番号なのに、手が震えてなかなか正確に番号が押せない。

「しっかりしろよ」

 自分に喝を入れて、やっとコールが鳴った。いつもは7コールまでしかならさない電話・・・でも、今日は出るまで鳴らす・・・。

 5,6、

「はい」

 相手が出た。張り詰めていた糸が切れたのと、相手の声を聞いた安堵とで、受話器を落としそうになった。

「・・・母さん」

 受話器を持った左手を、右手で押さえる。そうしなければ、本当に受話器を落としてしまいそうだ。

「壮人?」

 電話の相手は父ではない。展示会でニューヨークにいる母だ。俺が聞いたときと予定が変わっていなければ、展示会の開始まで、あともう12時間をきっている。日本での展示会のときの母しか知らないが、海外でも同じ流れなら、最高に忙しい時間だ。

「どうしたの?」

「本田のおじいちゃんが・・・倒れて・・・」

 声が震えているのが自分でもよく分かる。

「え?いつ?」

「今朝・・・3時間くらい前・・・」

「意識は?」

「ないと思う・・・緊急治療室に入ってて・・・」

「何時の便に乗れるかわからないけど、今すぐ帰るわ」

「でも・・・」

 ニューヨークでの今度の展示会は、ここ最近の予定の中で、母がもっとも楽しみにしていたものだ。何ヶ月も前から入念な準備がなされ、雑誌やメディアにも取り上げられて、華道家としての“久峨壮乃華”の大舞台だった。

「でもなに?」

 母の口調がきつくなる。

「展示会・・・」

「そんなのどうでもいいわ!それより有司は?」

「仕事でロンドンで、連絡が取れない」

「とにかく帰るから!」

 搬送先の病院だけ訊いて、母は一方的に電話を切った。

「お兄ちゃん!」

 受話器を置くと同時に、有里が走ってきた。

「どうした?」

「おじいちゃんが・・・」

 緊急治療室から出てきた祖父は意識がなかった。

「いまは麻酔が効いて眠っているだけです。ただ、今日明日はかなり気をつけたほうがいいですね・・・ご家族のかたどなたか、交代で、できれば夜もついてて頂いたほうが・・・」

「わかりました」

 医師はできることはすべてやったといった。素人の俺たちに今できることは、祖父のそばについていることだけだ。

「有里、3人でいても、仕方ないから、俺か有里が家に戻って、着替えとかそろえて、夜に交代しよう」

「わかった」

「どっちがいい?」

「いま、おばあちゃんとそばにいる」

「頼む」

 俺は一度家に戻り、泊り込めるように荷物をそろえた。常にふたりがついているのがベストだが、祖母もおそらく今朝だけで相当な神経を使った。だから、夜は有里と一緒に家に帰して寝かせたい。父にもまだ連絡が取れていない。だから、ひとりは必ず自宅待機でいなければならない。

「頼むよ・・・」

 家に戻ってからも父に何度か電話をしたが、相変わらず電源は入っていない。

 夜通ししっかりと起きているために、俺は仮眠をとり、夕方、病院に戻って有里と交代した。

「おばあちゃん、俺、ちゃんと起きてみてるから・・・」

 麻酔の効果が切れたあとも、祖父は眠っているようで、目を覚まさなかった。だが、つながれているいろいろな機械から、心臓はちゃんと動いていて、まだしっかりと生きているということだけは確認できた。まだ大丈夫だ。しっかりしてる。

「ここにいたいの・・・」

 祖母は祖父のそばを離れようとしなかった。仕方がないので、有里ひとりを家に帰すことにした。

「父さんから電話がくるかもしれないから」

 留守電にさえならない父にいらつきながら、俺は自分の携帯を有里に渡した。

「わかった・・・」

 有里は自分の携帯を俺にくれた。

「ありがとう。戸締りと火の元には気をつけて。夕食、ちゃんと食べて、ちゃんと寝ろ。明日の朝、また交代だから」

「わかった」

 不安そうな有里をタクシーにひとりで乗せるのは気が咎めたが、いまはこれ以上どうしようもない。いつもの父の気持ちが少しわかった瞬間だった。身体がふたつほしい。

「父さんから電話がきたら、メールして」

「わかった」

 有里は“わかった”としか言わない。それ以外の言葉を忘れてしまったように、俺の指示に、そればかり繰り返した。

 父から連絡が来たのは、日本時間の夜七時。祖父が倒れてから既に十一時間が経過していた。有里からのメールを受けてすぐ、俺は公衆電話から父の携帯に電話をした。そして、生まれてはじめて、本気で怒った。

「何考えてるんだよ?何のための携帯なんだよ?電源くらい入れとけよ!留守電くらいいれさせろよ!」

 父の声が聞けたことに自分が一番安心したのがわかった。でも、いいたいことは止まらなくて、一通り全部怒鳴った。いつもの父なら、絶対に許さなかっただろう。でも、父は一言も挟まずに、最後まで全部黙って聞いた。

「悪かった・・・次の便で帰る」

「わかった」

「それまで、頼む」

「わかった」

 俺は頷きながら、電話を切った。怒鳴ったあとは、“わかった”としか言わなかった。俺も、有里と同じ症状にかかったらしい。

 そのあと訪れた夜は、ものすごく長かった。徹夜などしたことないから、真夜中に起きているのがこんなことだと、俺ははじめて知った。夜は長く、静かに、俺たちを責めもせず、受け入れもしない。

 夜の間、俺も祖母もあまり話さなかった。何よりも祖母は疲れていたし、眠らなくてはならない状態だった。その上、祖父が倒れてから、ほとんど何も口にしていない。何か食べてもらおうといろいろ家から持ってきたが、どれもだめだった。

「壮人、ちょっと寝なさい」

 なぜか俺が寝ろといわれる。大人はいつも、子供の心配している。俺もいつか、そんな大人になるのだろうか。

「俺は昼間寝てきたんだよ。だから、おばあちゃんが寝て。俺、ちゃんと見てるから」

 俺の言葉に、祖母は頷くだけで、実際には一睡もしなかった。そして真夜中、祖父は一度目を覚まして、俺と祖母の手を少し握り返してきた。俺たちは頷いて、祖父も頷いた。それからまた眠った。

 母が病院についたのは、翌朝八時。空港からすぐにタクシーを飛ばしてきたらしい。有里も、同じくらい早くに病院にきていた。

「お帰り・・・ごめん」

「何に謝ってんのよ?」

 着替える暇もなかったのだろう。病室に駆け込んできた母は着物姿のままだった。

「壮乃ちゃん?」

 入ってきた母を見て、祖母は驚いて立ち上がった。俺は母に電話をしたことは言っていなかった。自分でも頭が混乱していて、伝え忘れたのだ。

「お義父さんは?」

「夜中と、あと、明け方に一回起きたの。手、握ってくれたし、目の焦点もちゃんとあってたわ・・・お医者さんも、とりあえずは大丈夫だろうって」

「よかった・・・お義母さん、寝てないでしょ?」

 母の問いに、祖母は疲れたように笑っただけだったから、俺が変わりに答えた。

「うん」

 本当に祖母は一睡もしていない。

「有里、着替え頂戴」

 母は空港から有里に連絡して、着替えを持ってこさせていた。空いている病室を借りて着物から動きやすい洋服に着替えると、母は祖母を家に帰そうとした。

「壮乃ちゃん・・・本当は、ニューヨークで展示会だったのよね」

 祖母は母の予定を知っていた。

「そんなもの、どうでもいいんです」

 母は軽く笑う。どうでもいいわけないのに・・・。

「ごめんね・・・」

「大丈夫ですって。お義父さんもちゃんと元気になりますから、お義母さんも、お義父さんが起きたときにちゃんとそばにいられるように、いまは休まないと」

 母の説得で、有里と祖母は一度家に帰ることになった。やっぱり、母はすごい。

「有司は?」

「昨日の夜、やっと連絡ついて、次の便で戻るって言ってたけど」

「ロンドンからじゃ十二時間かかるわね」

 母は溜め息をついた。

「ちょっと、電話してくるわ」

「うん」

 いきなり帰国したのだ。携帯は鳴りっぱなしだろう。だが、母はすぐに戻ってきた。

「向こうの人、なんか言ってた?」

「向こうの人?」

「ほら、ニューヨークの仕事の」

「ああ、今のは有里に。お義母さん、何も食べてないでしょ?だから、食べさせてって、言っただけ。仕事の携帯は、ほら」

 母がトランクの中からブルーの携帯を取り出した。画面は真っ暗。

「うるさいから、電源切っちゃった」

「いいの?」

「気にしない、気にしない」

 こういう母は尊敬する。母は思い切りがよくて、潔い、男だったらかっこいい人だ。

 昨日の朝からあまりにも緊急事態で、俺も有里も今日が学校だということなど、すっかり忘れていた。気づいたのは、昼間、継亮から着信があったときだ。一時間の間にあまりにも何度も不在着信やメールが来るので、病院の外に出て、継亮に電話をかけた。

『やっときた』

 電話の向こうで、継亮のほっとしたような声。

「なんかあったの?」

『それ、俺の台詞だろ?』

「え?」

『えっ?じゃねーよ、昨日も部活無断で休んで、今日なんか学校無断欠席かよ?』

 学校無断欠席?継亮のその言葉の意味を理解するのに、数分間かかった。

俺は無断どころか、俺は小学生のときから学校というものを休んだことさえ一日もない。生来病にかからぬ異常なまでに丈夫な身体、それに何より、休むなど、父が許してくれなかったからだ。

「あ!今日学校だった!」

『マジ?忘れてた?』

「うん」

 時計を見ると、もう昼過ぎ・・・本当なら五時間目の授業中のはずだ。

『なんかあったのか?』

「って言うか、継亮、五時間目の授業中じゃ・・・」

『ああ、サボって体育館の屋根から空見てる』

「なにそれ?」

『俺のことは置いといて、どうした?』

 継亮に昨日からの出来事を説明した。記憶が曖昧で、上手く説明になっていない部分もあったと思うけど、継亮は黙って最後まで聞いてくれた。

『大変だったな』

「まあね・・・でも、命に別状はないみたいだから」

『そりゃ何よりだ』

「心配かけてごめん」

『いいって』

「じゃあ、そろそろ病室に戻るよ」

『おう。明日も休む?』

「まだわかんない。休むときは連絡いれるよ」

『今日のことは、高沢先生と浅見に伝えとくわ』

「ありがとう」

 電話を切ってから考えた。どうして浅見先生なのだろう・・・あ、有里の担任だからだ。継亮と有里は同じクラスだから・・・継亮は俺が有里と一緒にいることを知ってる・・・。





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