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ひとりの帰り道  作者: 本田
5/12

秘密

 明日からゴールデンウィーク。そして、父のロンドン出張。

 これからしばらく洋食続きの父のために、今日の夕食は付け合せに至るまですべて和食をそろえた。海外の日本料理店ではお目にかからないような、父の好きなものばかり。

「できたよ」

 前日の夜にトランクの中身の最終チェックをする。ヨーロッパ出張はなれたものだから、さしたる準備も要らないだろうが、最後まできちきちやらなければ気が済まない性格なのだ。

「今いく!」

 今日は食後のコーヒーの代わりに日本茶を用意しだ。海外出張の前日はいつもこうだ。今日の茶葉は、この間会ったときに母がくれた、母が京都から取り寄せたものだ。

「今日の壮人の料理が楽しみだったんだ」

「期待に添えるといいけど」

「いただきます」

 父が先に箸をつける。

「美味い」

 顔を上げて、にやりと笑う。その父の顔を見てから俺も食べ始める。どうやら、期待を裏切らずに済んだようだ。

「やはり壮人の料理が一番だな」

「ありがとう」

 まだ4人家族だった頃、うちでは母より父が料理をすることのほうが多かった。母はその頃から教室で生徒に教えていたし、それ以外にも展示会や雑誌の取材で遅くなることも多く、保育園に俺たちを迎えに来るのはほとんど父だった。

 その頃の父は今とは違い、出張もあまりなく、今よりずっと早く帰ってきていた。だがあれは多分、家でもできる建築の仕事を、持って帰ってきて家でしていたに過ぎない。父以外立ち入り禁止の書斎は、いつも設計図で溢れていた。父は母の代わりにそうしてくれていたのだ。

「ゴールデンウィークの予定は?」

「部活とバイト」

「寂しいな。デートとかの予定はないのか?」

「デートの予定を立てるには、相手が必要だよ」

 連休の間に、一日だけ有里と買い物に行く予定があるが、あれはデートじゃない。

「友達と遊ぶとかは?」

「全部部活とバイトで埋まってるから」

 有里と会うことは、とりあえず父には言わない。自分でもなぜか分からないけど、言う気がしないのは確かだ。

「まあ、一人で楽しくやれよ」

「そうするよ」

 父には言わなかったが、ゴールデンウィーク中に有里と俺はある計画を立てていた。この連休中、母もニューヨークでの展示会で家を留守にする。だから、この計画は父にも母にも内緒だ。

 食後に皿を洗い、それからあの日本茶を淹れる。

「どう?」

「壮乃華が寄越したんだろ?」

 一言も言わなかったのに、よく分かるな。

「うん。この間会ったときにくれた。京都から取り寄せたって」

「だろうな」

「何でわかるの?」

「俺の好みの味だから」

「なるほどね」

 御見それいたしました。とでも言いたい。どうして母は一緒に住んでいる俺よりも、父のことがわかるのだろう。


 翌日、朝、父を送り出して、午前中だけの部活に顔を出す。

「次、壮人!」

「はい!」

 相変わらず俺はセンスがなくて、継亮は力がない。でも、継亮のほうは確実に的に当たる確率が高くなってる。力は鍛えられるが、センスは鍛えられそうもない。

「俺、やっぱだめかも」

 目の前の的には矢が全然刺さってない。壁にはびっしり刺さってる。まるで、外そうと思って射ってるみたいだ。隣の継亮の的は、まばらに刺さってる。俺のはみんな的の外だ。しかも、力ばかりあるから、片付けるときに、矢が壁に深く刺さりすぎて、なかなか抜けない。

「大丈夫!」

 自分のセンスのなさにがっかりしていたら、肩を叩かれた。

「洲鎌さん・・・」

「俺だって、最初は壮人並みだったよ」

「洲鎌さんが?」

「うん。でも、ほら、今はまずまず・・・」

 俺の隣できゅっと弓を引き絞って矢を放つ。その矢は真っ直ぐに的の真ん中に当たる。

「ちょっと右にずれたかな・・・」

「ど真ん中ですよ」

「ううん・・・興輝!」

 洲鎌さんに呼ばれて、鬼藤さんがそばに来る。

「あれ、いつもみたいにして」

 今度は鬼藤さんが弓を引く。一番重い弓。きりきりと音がしそうなほどいっぱいに引いて、すとんと放つ。

「嘘!」

 洲鎌さんが先に放った矢を二つに裂くような形で今度こそ本当のど真ん中に当てた。

「ね?」

「すごい・・・」

「壮人は興輝と同じくらい力あるから、的に当てれるようになったら、今の、できるよ」

「俺は無理ですよ」

「決め付けない!俺なんか、壮人みたいな力も、継亮みたいなセンスも無かったんだから。しかも、入部当時から、力もセンスもある興輝とふたりでやってきたんだよ?何度弓を置こうと思ったか、わかんないよ」

「どうしてやめなかったんですか?」

「勝ちたかったから」

「鬼藤さんに?」

「うん。ずっと負けっぱなしだったから・・・中学の頃からずっと」

「同じ中学なんですか?」

「ううん、違うよ。中学のとき、俺、壮人や継亮と一緒で剣道やっててさ、興輝もそうだったんだ」

 最初に会ったとき、見覚えがあると思ったのは、神奈川の県大会を見に来たことがあったからだ。総合体育館のどこかで、袴姿の鬼藤さんと洲鎌さんと、俺は出会っている。ただ、俺は都大会だったから、手合わせしたことはない。でも、印象的なふたりだったから、顔は覚えていた。

「小学生の頃から剣道やってたから、中一の頃から県大会に出れてて、興輝もそうだった。でも、俺は三年間、三回出たけど、一度も優勝したことはない。一番いいとこ準優勝・・・三年とも、興輝と当たった時点で負けてきた」

 鬼藤さんと洲鎌さんが対照的に見えるのは、きっと、ふたりが歩んできた道が、対照的だからだ。センスも力も、天賦の才として神から与えられ、常に勝ち続け、光の当たる場所を歩いてきた鬼藤さん。そして、その影を歩いてきた洲鎌さん。

「そうだったんですか・・・」

「運命だと思ったよ・・・秋沢に入ったとき、入学式のあとに部活見学にきたら、そこに興輝がいたの」

 俺と継亮のときと同じだ。

「一年のとき同じクラスで、俺は入学式の名簿見たときからわかってたんだ。鬼藤興輝が同じクラスにいるって。でも、興輝は俺のことなんか眼中になくて、名前も忘れてた」

 鬼藤さんは向こう端で継亮の構えを直してる。

「だから、今度は負けないようにしようって、俺の顔も名前も、一生忘れらんないようにしてやろうって思って興輝と同じ弓道始めたの。結局ここでも負けてんだけどね」

 洲鎌さんは笑ったけど、その笑顔は寂しそうとか、悲しそうとかじゃなくて、すごく、輝いてた。光のそばにできる影の道を歩きながら、この人は、どうしてこんなふうに笑えるのだろう。俺が今までであった人の中で、一番きれいに笑う。

「大会の賞状、たくさん部室にあるじゃないですか。洲鎌さんのだって」

 そう、部室の壁は大会の賞状だらけ。どれもこれも、名前は“鬼藤興輝”か“洲鎌睛摩(せいま)”。でも、洲鎌さんは首を振った。

「よく見てみて。俺のは全部、準優勝どまりだから・・・でも、俺、これでいいと思ってる。俺にとって興輝は一生勝てないヒーローなんだ」

 にこって笑った洲鎌さんはめちゃめちゃ眩しく見えた。それはきっと、洲鎌さんも俺が絶対に手に入れられないものを持っている人だから。逆境でも最高にきれいな笑顔。そして、負けても悔しいと思うより、素直に相手を尊敬できる、ヒーロー。俺にはヒーローはいない。まだ、見つけられていないのか、それとも一生、現れないのか。

「かっこいいですよ」

「ヒーローだからね」

「いえ、洲鎌さんが」

「俺?なんで?」

「とにかく、かっこいいです」

「どうもありがとう」

 すごく素直な人だ。優しくて、穏やかで、生きること自体を、本当に心のそこから楽しんでいる。何にもとらわれない、自由な風のような人。ここ一ヶ月ほど見てきた洲鎌さんはそんな人なのだ。その自由さも、俺にはけして手に入れられないものなのかもしれない。

「睛摩!いつまで語ってんだ!片付けろ!」

「はーい」

 気づけば十二時を回っていた。それぞれ片付けて、帰る支度をする。俺は自分で射った矢がなかなか抜けなくて、いつも苦戦する。そして、いつも帰るのが最後になる。

「継亮、終わった?」

 着替えて継亮と部室から出ると、隣の部室から声がした。

「終わったぞ」

「じゃあ帰ろう」

 顔をのぞかせたのは半沢匡弥・・・有里のいってた気になる相手だ。俺と同じくらい背が高い。色が白くていかにも優しそうな感じ。なるほど、有里はこんな感じが好みか。

「じゃあ、また明日」

「おう」

 継亮たちはチャリだから、俺は一人で電車で帰る。

「本田!一緒に飯、行かない?」

 校門を出る前、継亮と半沢がチャリで追いついてきた。

「え?」

「いや、せっかくだから。俺たち、駅前まで付き合うからさ、駅前のファミレスで飯食わね?」

 俺はいいけど、これじゃあ、半沢が気を遣うのでは・・・。

「せっかくだから行こうよ」

 半沢も誘ってくれた。

「ありがとう。じゃあ、行こう」

「後ろ乗って!」

「え?それって違反だよ?」

 自転車のふたり乗り・・・昔はよく見かけたけど、今は違反になったからめったに見かけない・・・って言うか、見かけたらだめなんだって。罰金だって。

「いーんだよ。見つかんねーよ」

「でも・・・」

「早くしろ!」

 継亮にせきたてられて、俺は継亮のチャリの後ろに乗る。

「いくぞ」

「おう」

 半沢も別にふたり乗りに関しては何も言わない。いつもきっとこんな感じなのだろう。

「ちょっと、継亮・・・」

「ん?」

 乗ってから気づいたが、継亮のチャリの後ろに乗るのは自殺行為だ。運転が荒すぎる。俺はチャリなのに、ちょっとした乗り物酔い状態になった。

「大丈夫?」

 心配してくれるのは継亮じゃなくて半沢。

「チャリ乗れないのかよ?」

「乗れるけど・・・」

 そういえば、しばらく乗ったことないけど、継亮よりは上手く運転できると思う。

 学校から駅までは、チャリなら十分くらいだ。駅前のファミレスで3人で昼食を取る。俺は父とふたりか、もしくは一人で食事をすることがほとんどだから、土曜の昼ごはんを誰かと食べるなんて、ものすごく久しぶりだ。

「あ、おれ、一組の半沢匡弥」

 席についてから、自己紹介をされた。

「本田壮人です」

 なんとなくぎこちない感じ。

「本田は匡弥のこと知ってるよ」

「なんで?」

「わかんねーけど、俺たち6人のフルネームを覚えてる」

「面白いね。記憶力いいんだ?」

 始まったばかりの授業や、中間テスト、部活の話なんかをしながら食べる。平日の昼にクラスで一緒に弁当を食べるやつはいるけど、こんな風に話が弾んでいるわけじゃない。ただなんとなく会話もないまま一緒に食べている感じだ。いま会話が弾んでいるのは、継亮のおかげかもしれない。継亮は一見無愛想だし無口っぽくて話しかけづらいけど、一度話せばすごく話せる奴だ。

「それはそうと、本田さ」

「うん」

「一組の久峨有里ちゃんと付き合ってんの?」

「はぁ?」

 思わずパスタを口から吐きそうになった。継亮にまでこんなこといわれるとは思わなかった。いつ見たの?おれと有里が一緒にいるとこなんか。

「あ、ちょっと、大丈夫?」

 慌てる半沢と、頷く俺。でも、継亮だけ自分のペースで食べ続けている。なんて奴だ。一緒に慌てろよ。

「いや、ごめん、ちょっとびっくりして」

「何に?」

 継亮の質問にだよ。

「継亮の質問にだよ!」

 代わりに半沢が答えてくれた。

「そんな驚くようなこと訊いてねーだろ」

「いや、別に付き合ってないよ」

 水を飲んで一息つく。

「あっそ」

「何で?」

「入学式の日からあの子可愛いなって思ってて、で、本田が仲よさそうだったから」

「紹介しろってこと?」

「いや、別に」

 俺は継亮と話しながら、半沢の顔を見てしまった。でも、特に反応なし。

「じゃあ、俺、そろそろ帰るね」

 もっといろいろ話していたいけど、今日は約束があったから帰る。

「おう!じゃあ、また明日な!」

「うん。今日はありがとう」

「気をつけてね」

 ふたりと別れて、電車に乗る。今日は、いつもとちょっと違う景色。


「ただいま」

「おかえりなさい」

 一歩足を踏み入れた途端肌に感じる独特の涼しさ土の匂いと、小さな頃の記憶を呼び起こす薄暗くて広い、昔ながらの玄関で、出迎えてくれたのは祖母だった。

 東京のとある片田舎・・・古くて大きな平屋の家。黒く滑らかに光る柱や床、天井の梁も、塗り壁も、俺より、父より、ずっと歳をとっている。東京都内ではいまではめったに見られないくらい広い空と、遮るもののない田園風景。俺が最も好きなものが、ここには揃っている。

「有里、きてる?」

 父にも母にも言わなかった有里と俺の休日、それはこのゴールデンウィークの間、この家に泊まることだ。

「ええ。おじいちゃんと一緒に夕食の収穫に行ってるわ」

「そう」

 この家に来ると、夕食や朝食のための野菜を、そのときそのときで家から歩いてすぐの畑に収穫しに行く。いつでも新鮮な野菜が食べられる。小さい頃は収穫に行くのが楽しみだった・・・気づけば、それは今も楽しみだ。

「壮人も着替えて行ってみたら?」

「そうするよ」

 平屋の一軒家。7つもある部屋の中で、いま使われているのはたった2つ。居間と寝室だけだ。

 この家に来るのは去年のお盆以来だ。そのときも、ご先祖様のお墓参りのあとに玄関先に顔を出しただけ。いつものお盆休みなら家に上がって、親戚の人たちと談笑したり、夕食をご馳走になったり、そして、いつもなら泊まっていくのだけど、高校受験を控えた俺には、そんな時間はなかった。お正月も毎年泊まりに着ていたけど、受験のせいで今年はそれもしなかった。

「壮人はどこの部屋にする?」

 空いている部屋ならどこでも好きな部屋を寝室にできる。小さい頃は全部の部屋を来るたびに、あるいは泊まっている何日かの間に、ひとつひとつ順番に回って寝てみたりしていたが、最近はいつも同じ部屋に決めている。

「有里は?」

「“お兄ちゃんがきてから”って、荷物も居間に置きっぱなしよ」

「そっか」

 とりあえず俺も居間に荷物を運ぶ。有里は小旅行用のトランクできたらしい。

 最近の俺の部屋は8畳の縁側に面した和室。一番風が通り、一番空がよく見える。都心の狭苦しいマンションに住んでいると、外にひらけた広いところに憧れるのかもしれない。

「いつもの部屋もあけてあるよ」

「有里にきいてからにするよ」

 両親の離婚後、母についていった有里はこの家に来るのは何年ぶりだろう。最後に有里と母と、家族4人できたのは小学校二年の夏休み。それから一度もきたことがないのだとしたら・・・7年ぶりだ。

「似た兄妹だね」

「そう?」

「ふたりとも、言うことが似ているわ。小さい頃から」

「そうかな?」

「壮人は有司にそっくりね」

 確かに、外見は父に似ている。と自分でも思う。でも、中身は多分、どちらかといえば母に似ている。有里はその逆だ。

「有里は久しぶりだけど、訪ねてきたとき、すぐにわかったわ」

「小さい頃と変わってない?」

 祖母は首を振った。

「壮乃ちゃんにそっくりだから」

 壮乃ちゃん・・・母はこの家で、今でもこう呼ばれている。父がいるときはしないが、俺だけのときは、祖父も祖母もよく俺の知らない頃の母の話をしてくれる。

「有司がもう少し、辛抱強かったらね」

 祖母は溜め息混じりに言う。普通だったら、祖母は息子と別れた嫁である、母の悪口を言うのかもしれない。でも、祖母が叱るのはいつも父ばかりだ。確かに、短気なのは父のほうだが・・・。

「ふたりとも気が強いから、お互い様じゃない?」

「そうかもしれないね」

 言って、祖母は笑った。

「ただいま」

「あ!」

 俺が畑に出る前に、有里と祖父が帰ってきてしまった。なぜだかそれがおかしくて、祖母とふたり、顔を見合わせてまた笑った。

「壮人、来てるなら畑までくればよかったのに」

 父ほどではないが、祖父も背が高い。大体いまの俺と同じくらいか。

「そうしようと思ったんだけど、いく前にふたりが帰ってきたんだよ」

「で、何の話してたの?」

「え?」

「外まで笑い声が聞こえてた」

「有司と壮乃ちゃんの話だよ」

「私も聞きたい!」

「じゃあ、夕食のときにね。それより、美味しいもの収穫できた?」

 祖母は縁側に座り、有里の抱えたかごの中をのぞく。かごの中には色のきれいな新鮮な野菜が綺麗に詰め合わせてある。きちきちと詰めるのは有里だ。父と同じ。買い物に出掛けると、父は俺が買い物かごに入れたものを、そばできちきちと詰めなおしたりする。

「見て!お隣の松谷さんから頂いたの!」

 そう言って有里が見せてくれたのは、つやつやとした宝石みたいに綺麗ないちごだった。

「あら、よかったね」

「うん」

 いちごに喜ぶ有里は小さい頃のままだ。

「夕食作るの、手伝う」

 有里と祖母は収穫を抱えて、連れ立って台所に行ってしまった。時計を見ると、時刻は6時。いつもの土曜なら、俺と父もそろそろ夕食の支度を始めている頃だ。

「壮人は先に、風呂でも入るか?」

「おじいちゃんは?」

「久しぶりに壮人に背中でも流してもらうとするか」

「いいよ」

 祖父の背中を流すのも、久しぶりだ。


「いただきます」

 畳の居間のちゃぶ台に車座になって座って、夕食を食べる。この家族の雰囲気が俺はたまらなく好きだ。これも、ないものねだりなのだろうか?

「あー・・・美味しい!」

 心のそこからそう思える。人が作ったものだからか、家族で食べているからか。

「壮人は本当に美味しそうに食べるね」

「壮乃ちゃんみたいだな」

「本当。壮乃ちゃんも、こんな風にいっつも美味しそうに食べてくれてたわ」

 そういえば、母は食事をするとき、すごく美味しそうに食べる。俺はいつもそう思っていたが、自分の食べるときの顔など見たことがないから、母に似ているなんて、知らなかった。なにも言わないけど、父も俺の食べる顔を見ながら、そんなことを思っていたりするのだろうか。

「ねえ、お母さんとお父さんの話して」

 有里がせがむ。

「そうね・・・じゃあ、初めて壮乃ちゃんがうちにきたときの話でもしようかしら。ね?」

 祖母の言葉に、祖父も頷く。

「最初はびっくりしたわ。初めて家に来たとき、なんでもない平日だったのに、壮乃ちゃん、着物だったから」

 俺は、洋服の母より、着物の母のほうがしっくりくる。入学式はもとより、授業参観のときでも、母は着物できていた。着物を着るのが好きな人なのだ。

「それで?」

「でも、それよりもね、驚いたのは、とても綺麗で素敵なお嬢さんだったから・・・壮乃ちゃんの写真、あったわね」

 祖父は隣の部屋から古いアルバムを持ってきた。

 アルバムから、一枚の写真が落ちた。

「一枚落ちたよ」

 写っていたのは、俺だった。

「昔の父さん?」

「いや、これは、眞人(まさと)だな」

「俺?」

 そっくりだけど、写真はセピア色でものすごく古い。

「いや。有司の兄だよ」

「あ、俺と同じ名前なんだった」

 父の兄は父が高校生のとき、事故で亡くなった。だから俺も有里も母も、会ったことはない。

「伯父さんとお兄ちゃん、そっくり。お父さんとも似てると思ってたけど、伯父さんとの方が、似てるかも」

「そうかもしれないね」

 みんなが俺の顔と伯父さんの写真を見比べる。

「だから、お父さん、お兄ちゃんのこと壮人って名前にしたの?」

 俺の名前は母の字から一文字、有里の名前は父の字から一文字取ったものだ。

「壮人って、壮乃ちゃんのお父さんが付けた名前よ」

「京都のおじいちゃんが?」

 母方の祖父は、俺たちが生まれてからすぐになくなったから、記憶はない。祖母のほうは、俺たちが生まれるよりもずっと前に亡くなっていた。母もあまり話さないから、どんな人だったのか、よくは知らない。ただ、いまのうちの父なみに厳しい人だったということだけは、伯母から聞いたことがある。

「そう・・・壮乃ちゃんのお父さんは、知ってて付けてくれたんだ」

「じゃあ、有里は?」

「それは、私たちがつけたのよ」

 知らなかった。自分の名前を誰が付けたかなんて、考えたこともなかった。聞かなくても、父がつけたものだと思っていた。

「結婚が決まって、壮乃ちゃんのお父さんがご挨拶にいらしたときはびっくりしたわ」

「性格が有司にそっくりな人だったもんな」

 久峨の祖父のことは、みんながこういう。

「じゃあお母さん、自分のお父さんにそっくりな性格の人と結婚しちゃったんだ」

「有里もそうなるかもしれないよ」

「もっと優しい人がいい」

 有里自身は父に似ているから、性格は母みたいな人じゃないと、きっとやっていけない。ってことは、俺の相手は、結局父や有里みたいな性格の人ってことに・・・この考えは怖いから、そのときがくるまで忘れよう。

「ほら、これがはじめてうちに来た壮乃ちゃんだ」

祖父が指差した一枚の写真。若い頃の父と母がこの家の前に並んで立っている。母は綺麗な着物姿だ。父はジーパンにチェックのネルシャツという、至って普通の格好。きらびやかな和服とジーパンの普段着。いつもこんな感じでデートに行っていたのだろうか?街ではさぞかし目立ったことだろう。

「ね、有里にそっくりでしょ?」

 若い頃の母はいまの有里にそっくりだ。

「でも、お母さんのほうが可愛いわ」

「有里だって、同じくらい可愛いよ」

「嬉しい」

 アルバムは父と母の写真でいっぱいだ。

「着物の立ち振る舞いがとてもきれいで、しつけのいいお嬢さんだと思ったの・・・でも、それだから少し心配だったの」

「なにが?」

「有司は放っといたら育ったような奴だったからなあ・・・釣り合わないんじゃないかと思って」

 祖父は言ったが、俺の知っている母は礼儀に厳しい人ではない。人生何でも楽しめばいいと思っているような人だ。どちらかといえば、しつけに厳しいのは父のほうだ。『挨拶の声が小さい』とか、『正座を崩すな』とか、『返事が遅い』とか、ほぼ毎日怒られていた。そう、父は結構怒りっぽかったのだ。そして、母は『それくらいいいじゃないの』としか言わないような、のんきな人だ。

「でもね、壮乃ちゃんはとってものんびりした、自由奔放な女の子だったわ」

 自由奔放。それは、母に一番似合う言葉かもしれない。

「有司はどっちかって言うと、気が強くて、短気で、なんでもきちきちやらないときがすまない奴だから、壮乃ちゃんはそれを全部受け止めてくれる、ぴったりな相手だなって、思ったんだよ」

「よくいろんなことをきちきち、せっかちにやる有司に、壮乃ちゃんが『もっとゆっくりやりましょ』って言うの・・・それをいわれると、有司は一瞬止まって、ちょっと考えるの。それから、『じゃあ、ゆっくりやるか』って。壮乃ちゃんのあの言葉って、魔法みたいに有司に効くのよね」

 そのあとも、父と母の話は続き、結局、布団に入ったのは0時すぎ。結局俺は、いつものお気に入りの部屋に寝ることにした。有里は隣の8畳間。向こうも縁側に面しているが、庭の大きな桜の木が枝をいっぱいに伸ばしているので、こっちの部屋のほうが空がよく見える。

「お兄ちゃん」

 眠るのがもったいなくて、縁側に座って空を眺めていた。とてもきれいな星空。街灯もないから、星はすごくたくさん、その光で外が見えるほどに眩しい。マンションの部屋から見る空とは全然違う。

「起こしたか?」

 部屋と部屋を仕切っているのは襖だけ。隣の音がよく響く。

「ううん。眠るのがもったいないの」

 考えていることは、大体同じ。いまも昔も。離れていても、双子はやっぱり、どこかでつながっているのかもしれない。

「有里もか」

「お兄ちゃんもか」

 有里が俺の口調を真似る。小さい頃、よくそうやっていた。

「星、きれいだぞ」

「うん。でも、今住んでる家もきれいに見えるよ・・・ここほどじゃないけど」

 この家みたいにきれいな空が見える家に住みたい。小さい頃から俺はずっとそう思っていた。その夢は、いつか叶えられるのだろうか。

「どんな場所?」

 有里と母の住んでいる家には行ったことはない。ただ、高校の近くだということだけは知っている。高校自体もそうだが、あのあたりはものすごく自然に恵まれている。夜になれば、星もきれいに見えるだろう。

「水が美味しくて、空がきれいで、空気も美味しい」

「いいことだらけだな」

「でも、京都に住んでた頃より、ちょっと不便」

 京都での有里と母の家には行ったことがある。京都市内の、賑やかな通りに面したマンションだった。外へ出れば、すぐに有名百貨店が建ち並ぶ通りにでられて、清水寺へも歩いていけた。でも、空は見えなかった。今の、俺たちの家のように。

「どっちがいい?」

「ん?」

「今の家と、京都の家」

「今の家!」

 有里は即答だった。便利さより、美味しい空気と水と、きれいな空。有里も俺も、好きなものは大体一緒だ。多分、父と母も一緒だ。でも、父がいまのマンションに住んでいるのは、ものすごく多い海外出張に効率よく行くためだ。それがわかっているから、俺もあの家に住んでいる。いつか、父の出張が減ったら・・・そんな日は来ないかな。

「ここにくるの、久しぶりだろ」

「うーん・・・小学校二年生の夏休み以来かな」

「やっぱりそうか」

「うん」

 ふたりでずっと縁側に座って空を見ていた。流星群でもなんでもないのに、流れ星が一つ、流れたのが見えた。

「願い事、した?」

「うん」

「どんな?」

「秘密」

 有里がにこりと笑う。我が妹ながら、なかなか可愛い。

「お兄ちゃんは?」

「したよ」

「どんな?」

「秘密」

 でもきっと、俺が願ったことと、有里が願ったことは同じだろう。もう一度、家族に戻れますように。口に出したことはないが、願い事をする機会があるたびに、俺はすべてこう願ってきた。

「ふぁ~」

 大きなあくび。

「寝るか?」

「うん、そうだね」

「風邪ひかないようにな」

「はぁい」

 ふわりともうひとつあくびをして、有里は部屋に戻っていった。その後姿を見送ってから、俺も部屋に戻って眠った。



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