XX 6 XX ネガティブヤンデレの取り扱い(後編)
「水色の花……裏庭の――大樹?」
「え――」
驚きに満ちた彼の瞳を見返し、私は確信を得る。
「シアン。あの本棚にある花瓶の花って、裏庭にあった大樹の根元にあった花?」
「あ、え――その……」
シアンが戸惑うのをよそに、私はシェロンから逃げるために登った――寿命をまっとうした大樹を思い出していた。
(まあ、結局私が倒しちゃったんだけどね……)
「シアン。聞いてもいい? あなたはなんで大切な研究の完成品を持って外に出たの? しかも、それが最後の完成品で、貴重な材料まで使ってたのに――なんで? そもそも廊下でぶつかった時、かなり慌ててたよね? それに、間に合わないっても言ってた……」
(もし仮に論文の提出が間に合わないっていうのなら、もうすでに完成品があるのだから論文は書けるはず……そもそも、完成品添付の論文なんて聞いたことがない)
「…………」
彼は視線を下に落とし、ギュッと軍服の裾を握った。
「本棚に並んでるのは毒とそれに関する治療の本だし、裏庭の大樹の根元にあった花達は前に見たとき元気がなかった……でも、ここにある花は元気に咲いてる。シアンが走ってた廊下は裏庭に続く廊下だし――毒で弱ってた花達を元気にするために何かしようとしてたんじゃないの?」
(シアンの研究分野は魔薬学の中でも毒物とその治療薬が主だ。花が弱ってた理由が毒によるものなら、なおさら助けたいと思ってもおかしくない)
私はシアンが怯えないようにそっと彼の手を握った。軍服の裾を強く握りすぎたその手は、もともとの白さに輪をかけたように白く、冷たくなっていた。
「そ、そうだったとして、き、君も僕を笑うの!?」
私の手を振り払い、バッと顔を上げた彼は悲痛な面持ちで私を睨みつけていた。
(……笑う?)
「なんで笑うの?」
「ば、バカにするんでしょ! 無意味だって!」
「???」
シアンの剣幕に戸惑い、私はコテンと首を傾けた。
(シアンの言ってる意味がマジで分からん……え? 誰か、説明プリーズ)
「……?」
私の困惑が彼にも伝わったのだろう。怪訝な顔で彼も首をひねった。
「シアン、私、無意味なんて思わないよ? むしろ、優しいなって思う」
「え……? だ、だって、小さな花の精霊は目に見えないし、大した力もないし、寿命がもともと短いし、今、い、いくら寿命を延ばしても意味なんて――」
「命を助けるのに意味なんているの?」
シアンが息をのむのが分かった。
「助けたいと思うから助けるってだけじゃダメなの?」
信じられないものを見たというように目を見開く彼――深海のように深い群青色の瞳が、やはり綺麗だと思った。
「まあ、自分の利益で人を助けるって場合もあるだろうけどさあ。うーん、そうだな……たとえば、目の前で子供が転びそうになったら思わず助けようとして体が動いちゃったとか、そういうのって、理屈じゃないんじゃないかな? こう、考える前に行動しちゃうっていうか、助けたいって思ったから助けるっていう単純な思考っていうか。まあ、私は基本的に考えるよりも感じろって精神の持ち主だから単純なのかもしれないけどさ」
シアンはまだ驚いた表情をしているが、目は乾燥しないのだろうか?
「だからさ、シアンはシアンの思うように助けたらいいんじゃない?」
力なく、彼がその場にしゃがみ込んでしまう。
「え? あ、ごめん、ダメだった?」
フルフルと膝に顔をうずめた彼が首を横に振る。その動きに合わせ、彼の指通りの良さそうな長い髪が揺れる。
「あ、もし、理由が必要なら、自分が助けたかったからってことで! 自己満足に他ならないけど、自分は嬉しくなるから、無意味なんかじゃないでしょ! あなたを助けて私はハッピー! あなたも救われてハッピー度は二倍だよ!!!」
「…………」
私の無駄に明るい声が研究室内に響き、途端に静かになる。
(……ハッピー度ってなんだよ、自分。……頼むから、何か反応して! 私、恥ずか死ぬ!!!)
脳内がパニックになっていると、クスクスというかすかな笑いが聞こえてきた。
発生源はシアンだ。
「ああ、笑うことないじゃん!」
(よ、良かったあ……反応あったよう)
泣きそうになりながらもそう返すと、彼はようやく顔をあげてくれた。
サラリと流れた長い髪の間から群青色のきれいな瞳が見える。上目使いなうえに、うっすらと潤んだその瞳に、透き通るように白い肌――形の良い艶やかな唇がそっと動く。
「ありがとう……」
「!?」
ふんわりと……でも、本当に嬉しそうに頬を染めて笑った彼――
(か、可愛すぎでしょ!?)
快心の一撃に私のHPは一気にひんし寸前だ。
(イケメンの至近距離の微笑みはヤバイって! シェロンで慣れたつもりだったけど、度合違うし、何より変態じゃないし!?)
思わず止めてしまった息をひっそりと吐き出す。
「そんなこと、い、言われたのは、初めて……で。その、とにかく、さっきは……いきなり怒って、振り払っちゃって――ごめん」
頬を染め、一生懸命謝ってくれるシアンにほんわかした気持ちになり、私の息も無事に落ち着いた。
「そんなに気にしなくて大丈夫だよ。むしろ、私、失礼なこと言っちゃったりやっちゃったりする時があるから、不快だと思ったらどんどん言ってよ! やっぱり、言ってもらわないと分からないからさ」
しゃがみこんだまま立とうとしないシアンに、私は右手を差し出す。
「だからね、シアンはもっと自分の思ったこと言っていいんだよ? 私はほら、図太いから。シアンも遠慮しないでよ!」
私の差し出した手と私の顔を交互に見た彼は、面食らったような顔をしている。
「ね?」
いつまでも手を伸ばそうとしない彼の手をギュッと掴むと、彼はビクリと反応したが、先程のように振り払われたりはしなかった。
(ゆっくりでいいから、シアンがもっと自分を出せるように……自信が持てるように……そう、なったらいいな)
彼が怒るシーンは、ゲームでは見ていない。いつも一人で消化し、ただ病んでしまうのが彼だ。ゲームの主人公はそんな彼を誉め続けることで自信をつけさせたようだが、その結果、自分を認めてくれる存在である主人公への依存体質が出来上がってしまった。
(できれば、シアンが皆に認められるようなそんな存在に……いや、誰が認めなくてもシアン自身が自分を認めてあげられるようになってくれたら――)
手を差し出した状態でしばらく待っていると、彼は少し困ったように微笑み、立とうと体に力を込めた。
私は彼が立ちやすいように彼を引っ張る。
(うん……やっぱり、私がやってあげるだけじゃダメだ。シアンから行動した時に助けてあげる――そういうふうにして、シアンの成長を見守ってあげたい)
彼が立ち上がる姿を見て、私は彼の母親のような気持ちでいた。以前のように関わらないという選択肢はいつの間にか消えていた。
「シアン。私、昼寝草探しに行くよ。もうすぐ夜だし、見つけてくる!」
「で、でも……惑いの森は魔力嵐が吹き荒れてるから、魔力を使ってもぼ、暴走しちゃうから、危険だし、本当に生息してるかどうかだって、わ、分からな――」
「昼寝草がある可能性はあるんだよね?」
「そ、それは……」
まだ握ったままのシアンの手がギュッと私の手を強く握る。
「可能性があるなら全部やってみないとだよ。もともと私のせいってのもあるけど……」
「そんな! あれは、僕が走ってたのが悪いし――」
シアンの言葉を遮り、私はギュッと彼の手を両手で握った。
「あのね、私もさ、あの花達を助けたいんだ。まあ、助けたいって言っても私には薬を作ることはできない――けど、シアンならできるでしょ? それなら、私、その手伝いをしたい」
「そ、それでも、む、無理だよ……昼寝草には毒もあるし――」
「さっきも言ったけど、無理って言葉はなし! 惑いの森には魔物もいないし、今日の夜がだめでも明日! それがダメでもその次の日! 私は絶対諦めないよ!! まあ、そんなにかかっちゃったら間に合わないかもしれないけど、代わりに次の命が救えるかもしれないし」
そもそも惑いの森に昼寝草がないかもしれないというネガティブ発想をもみ消し、元気に言い切る。
(病は気からって言葉もあるくらいだし、気持ちの問題は大きいよね……うん。とりあえず、なかったらなかったで、その時に他の打開策を考えよう)
「…………どうして?」
私が心の中で決意の表れであるファイティングポーズを取っていると、彼は俯き、絞り出すように弱々しい声を出した。
「?」
「どうして……そ、そんなに、諦めないでいられるの? やったことがむ、無駄になるかもしれない……のに」
「やったことで無駄だってことはないよ。もしかしたらその時は無駄だったって思うかもしれない。でも、そこで費やした時間や労力ってのは、ずっと先のどこかで、絶対に何かの役に立つ。それが何十年、何百年先になるかは分からないけど、絶対に報われる――って、まあ、これはうちの【ばっちゃ】が教えてくれたことだけどね」
なんとなく、理想論のような気もするが、私はばっちゃのこの教えが好きだった。
まあ、ここでのばっちゃっていうのは、私が地球にいた時の祖母のことだが、何十年先に――の部分をこの世界に合うように言い変えてある。もちろん、何百年単位の寿命が普通のこの世界にはまだまだ慣れはしないけど……。
おっと、考えが少し逸れちゃったけど、これについてはもう一つ自分の中での答えも出てたんだった!
私は前世の20数年と現世の20年を経て得た自分なりの答えを胸を張って言う。
「それからさ、無駄だとしても、何もしなくて後悔するより、何かして失敗する方がずっとかっこいいじゃん!」
私と同じ体温まで温まったシアンの手をそっと放すと、彼は泣きそうな顔で笑った。
「君は、すごいね」
「へ? いやあ、すごくはないかと……むしろ、よく、バカなの? って言われるよ」
「いや、君は――そうだね、もしかしたらバカなのかも」
彼がクスクスと笑う。こんな表情はゲームの時少ししか見れなかったから新鮮だ。
「ええ、なんか、シアンに言われたらへこむんだけど!?」
私のノリの良いオーバーリアクションに、彼はまた頬をゆるめた。
「ああ、いや、ごめん。でも、僕も……僕も、その考え方を見習いたい」
「そっか――バカだけど見習いたいの?」
「うん。バカだけど、僕は――――好きだな」
「!? あ、ああ、うん。気に入ってくれたようで、その、よ、良かったよ」
そう言った彼の顔が何故か真っ赤に染まり、さっきとは逆に私の方がどもりまくってしまった。
(この人魚様、絶対天然キラーだよ! イケメンの使いどころめっちゃ的確についてきちゃうんだけど! 対処に困るんですけど!?)
混乱した頭で、とりあえずシアンの言葉に頷いていたら、なぜか、惑いの森へはシアンと行くことになってしまっていた……。
(あれ? この状況おかしくない!? こんなイベント、ゲームにはなかったよ!?)