XX 5 XX ネガティブヤンデレの取り扱い(前編)
(やっちまった……)
床には粉々に散らばったビーカーの破片とその中のどす黒い液体。黒い液体は見た目の重苦しさからは予測できないくらい流動性が高いようで、みるみるうちに薄く広がり、床へと吸収されるように消えてしまった。この大惨事は私がぼんやりして周りを確認せず裏庭から続く廊下の角を曲がったことが原因で起きた。急いでいたらしい青年との正面衝突を防げず、結果、彼を吹っ飛ばしてしまったのだ……吹っ飛んだのが私の方ではなく、青年の方だったことは――まあ、察してほしい。
「ああ、ど、どうしよう……これじゃあ、ま、間に合わない……そ、それに、もう同じ物、つ、作れないし――僕はどうしたら…………ああ、そうか、もう、死ぬしかないのかもしれない……よし、死のう」
「わあ、ビーカーの破片で手首切ろうとしないで! てか、それぐらいじゃ、私達死ねないから!」
私は今、廊下に座り汲んでいる細身の青年の腕を掴み、押し問答をしているところだ。目の前の青年は、【キスイタ】のネガティブヤンデレこと、人魚のシアン=セレニア――はい、つまりは私が関わりたくなかった問題の攻略対象の一人です。
ちなみに、セレニアというファミリーネームは学校では知られていない。というのも、セレニアはセイレーン由来のため、名前で種族がばれてしまうからだ。このように、私のファミリーネームであるセレアンスロゥプ(獣人)も含め、ここでは全ての種族がファミリーネームを伏せ、ただの一個人として学校に通っている。
まあ、種族によって名前の付け方にも固有のものがあるから、探す気になれば特定の種族を探しだすことは可能かもしれない。学校の校則で種族の詮索することなかれって書かれてるからしないけど。
改めて画面内ではなく、目の前に存在している彼を観察する。太陽の光を浴びてキラキラと輝く穏やかな泉のように透き通ったシアン色の長い髪、深海に引きずり込まれたかのような錯覚に陥る群青色の瞳、きめ細やかな白い肌に華奢な手足。近くで見るとよりいっそうその儚げな美青年具合が分かった……目の下に深く刻まれた隈と必要以上に長い前髪を除けばの話だが。
「じゃあ、あなたが殺してよ。僕、もう、ダメだから……。うん、あれはやっぱり奇跡だったんだ。僕が出来ることなんて始めから決まってて――そう、そうなんだ。もう――」
「ああ、もう、だまらっしゃい!!!」
ウジウジ、グダグダ、ネチネチ――彼のそういったところを本来のゲームの主人公ならば根気よくそれに付き合って更正させていったが、目の前でこれをやられたら正直ウザイ。
「あのさ、一回作れたんなら、同じのなんかすぐできるって! そもそも、やる前から、ムリとか、できないとか言うんじゃない! そういうのは、やれること全部を全力でやった後にして!」
「でも――」
「だあ、もう! 『でも』とか『だって』っていう言い訳してるうちにやんの! 分かった!?」
「は…………い」
ビクビク、オドオドしながら、私を見上げる彼に、今度はため息をつきながら言う。
「あのね、簡単に死のうとしないで。正直、あんたに死なれても迷惑。誰も喜ばない」
私の突き放した冷たい言葉に、悲痛な面持ちのシアンは口を開きかけて閉じ、絶望的な表情で下を向いた。
「だからさ、誰かを喜ばせるように生きなよ」
「……?」
「死んだらそこで終わりだけど、生きてたらいくらでも変えれるし、変われるでしょ?」
私は、顔を上げて驚いた表情をする彼のシアン色の髪をわちゃわちゃと撫でた。
「今回は私が前方不注意でぶつかっちゃったから、あんたは悪くない。でも、弁償とかはちょっとできそうにないから、その奇跡で出来たモノとやらをもう一回作り直すの手伝うよ!」
「???」
「もう、ほら、ここ片付けてあんたの研究室行くよ!」
関わりたくないとずっと思っていた最悪の攻略対象だけど、私はこの子達が嫌いなわけではない。むしろ、幸せになれるのなら、その手助けはしたい。だって、私の愛したキャラだから――でも、できれば、私と関係ない所でお願いしたいかな?
★ ★ ★
「ど、どうぞ……」
オズオズと研究室のドアを押し開けたシアンに促され、私は彼の研究室へと足を踏み入れる。
暗幕で締め切られて夕日の光が一切入ってこない暗い部屋……だが、シアンが軽く魔力をのせた言葉を発すると、部屋全体がほんのりと優しい光に包まれた。ようやく見えた内装に心躍る。だって、ゲーム中で見てきた背景がそこに広がっているのだ。興奮しない方が難しい。
背景でもすごいとは思っていたが、こじんまりとした研究室の右にある6段もの仕切りがついた棚の存在感が圧倒的だ。左右の端から端まで、果ては天井に至るまでギチギチにはめ込まれたその棚にズラッと並んだゲテモノの数々にはゲーム中よりも驚かされる。
……たぶんその棚に並んでいるゲテモノのすべてが研究に必要な物なのだろう。
透明なガラス戸越しに陳列されている干からびたトカゲのような物体、毒々しい赤色に黒い斑点が付いた花、液体に漬けられたギュウギュウに詰まった紫色の芋虫のような虫……
(うん……正直、夜に一人で見たくない)
部屋に入り少し時間が経ったことで頭が冷静になってきたせいか、今はゲーム中の背景への興奮よりも、虫が背中を這いずり回っているようなえも言われぬゾワゾワ感の方が上になる……私はもともと、ゲテモノやホラーが苦手なんだ。
ふと、何かの目玉と目が合ってしまい、顔が引きつるのが分かる。
(ああ、どうも、こんにちは……って、この懐かしい雰囲気――完全に理科室だわ。人体模型とかある感じでしょ、これ!?)
まあ、実際は人体模型等はなく、代わりに左横にも右横にあるのと同じような棚が備え付けられていた。右の棚と違い、こちらは分厚い学術書や過去の論文、用語集、実験データなどが陳列している。本のタイトルはすべて毒とその治療について関係があるものばかりだ。一部、解毒ではない単なる治癒魔法についての論文も見受けられる。
(ここも、原作通りだ……)
ふいに彼の生い立ちについて思い出し、胸が苦しくなる。そんな時、その分厚い本と本の間に作られたスペースに鎮座している小さな白い花瓶の中で元気に咲き誇る水色の花を見つけた。暗い部屋に不釣り合いな可憐な花ではあったが、なんとなく既視感を覚える。
(……もしかして、ゲームで見た?)
シアンから花をもらうイベントは実際あった。
(でも、花の色は主人公の瞳の色と同じマゼンタ色だったような――)
「その……ふ、普段、僕以外入らないから、ちょ、ちょっと散らかってて……ごめん」
私の思考はこの部屋の主、シアンの慌てた声によって遮断された。彼は研究室の真ん中にある大きな黒い机の上で散乱している殴り書きされたレポート用紙と【魔薬学開発促進会】の論文資料をワタワタとまとめている。【魔薬】という読み方で正直嫌な思いになるだろうが、これはいわゆる魔法薬のことだ。
魔薬学開発促進会は、毎年春先と秋頃に論文の審査をし、それぞれで選考に残った論文を次の年の夏と冬に学術誌として刊行する超大規模学術論文誌発行元として有名な団体だ。私にはチンプンカンプンの内容だろうけど、ゲームで出てきた知識なので名前を知ってはいる。
「全然散らかってないよ! むしろ、きちんと整頓されててスゴイって思う」
(そうそう、散らかってるっていうのは、前世の私の部屋――)
一瞬よぎった前世のアパート……もとい、汚部屋を頭を横に振ることで振り払う。
正直なところ、シアンの研究室で散らかっているのは先程まで実験していたであろう黒い机の上だけで、他は随分ときれいだ。
黒い机の横に設置された白い流し台にある大きなタライに水を溜め、実験器具をその中に入れた彼は、そそくさと下にローラーが付いた黒い丸椅子を差し出してきた。
「ま、待たせてごめん。これ、座って良いから」
「あ、こっちこそ、気遣わせちゃってごめん。てか、そんなに固くならないで、自然体でいいから」
シアンのあまりのカチコチぶりに、ほんわかと和む。
「自己紹介が後回しになっちゃったけど、私はルチアーノ。皆からはルチアって愛称で呼ばれることが多いから、どっちか好きな方で呼んで! 改めてよろしくね」
「あ、ぼ、僕はシアン。じゃ、じゃあ、ルチアーノさ――」
「さんはいらないよ?」
思わず苦笑してしまう私に、彼は心底申し訳なさそうに身を縮こまらせた。
(いやあ、やっぱりまだ固いなあ……)
「……る、ルチアーノ。その、せっかく来てもらって悪いんだけど、さっき作った薬品をもう一度作るっていうのは、ほ、本当に無理そうなんだ」
「理由を聞いてもいい?」
さっき廊下で会ったときはつい頭ごなしに強引にいっちゃったけど、冷静になった今、私もようやく彼の言葉に耳を傾けられる。
(熱くなりやすいのってダメだね。反省反省)
「ひ、必要な材料が足りないんだ……その……【昼寝草】っていう植物なんだけど、し、知ってるかな? すごく高価な物で、じゅ、受注すると半年は届かなくって、入手がちょっと、め、面倒な物なんだけど――」
「なんか面白い名前の植物だね。あと、ごめん、その草について知らないから説明プリーズ」
「そ、その、ひ、昼寝草っていうのは、言葉の通り昼に地面の中で寝る草なんだ」
「寝る? 地中に潜るってこと?」
「うん……地中に潜ってる間は、土と同化して草の形を、た、保てないから、草として採取するには夜にするしかないんだ。でも、昼寝草は魔力嵐が吹き荒れる土地の、や、柔らかい崖に生息していることが多くて――だ、だから、その、簡単に言うと、よ、夜にならないと生息地の特定ができないっていうのと、単純に場所が悪くて、き、希少な種類っていうので――」
「入手しずらい……と。でもさ、入手が面倒ってだけで、学校の東にある【惑いの森】は魔力嵐が吹き荒れてるし、崖が多いから生息してるんじゃないの?」
「あ、それは……まあ、もしかしたら、せ、生息してるのかもしれないけど――別にきょ、教授を通してまた外に注文を取り付ければいいし、む、無理に今入手しなくても――」
諦めたような自嘲気味な笑顔……いや、ようなではない。
(シアンは諦めてる…………研究することを?)
その答えは、なんとなく違う気がした。研究は完成しているんだし、シアンが言うようにまた材料を入手すればすぐにできるだろう。
(じゃあ、シアンは何を諦めてる――?)
シアンの苦しい表情に私の胸まで苦しくなる。
さっきから、頭の隅で何かが引っ掛かっている。
(今、材料が必要な理由――)
見落としがなかったか、頭をフル回転する。
(何か重要な……)
ふと、シアンと廊下でぶつかった時に彼が言っていた言葉を思い出す。
『ああ、ど、どうしよう……これじゃあ、ま、間に合わない……』
そこまで考えた瞬間、ハッと気が付いた。
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ここまで読んでくださり、誠にありがとうございます。
今後も読者の皆様に面白いと思っていただけるような作品を作っていけるよう頑張りますので、何か意見や感想などがありましたら、是非とも作者までお願いします。
さて、本編の話に戻りますが、今回ルチアは何に気が付いたのでしょうか?
よろしければ、読者の皆様も話を思い出し、考えていただければ嬉しいです。
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