XX 4 XX 忘れた頃にやってくる
「はあ……」
なんとか軍服に詰めた自身の大きな胸。前世にはまな板だったが、この世界であってもわりとある方だとは思う自慢の女の武器――この胸を一回り小さい軍服に詰め込むのが朝のひと仕事だ。嬉しい限りであるが、やはり、オーダーメイドで自分に合ったものがいいと思った。
(面倒くさがらずにちゃんと採寸してもらえば良かった)
採寸に行けばオーダーメイドの軍服を無料で用意してもらえたはずなのに、私は自身の背丈にあった既製品を注文した。
(まさか、胸がひっかかるとは――まあ、嬉しい誤算ではあるけど、主人公、胸デカかったんだなあ……)
しみじみと思いながら軍服の襟元をただし、鏡の中のマゼンタ色の瞳を見つめる。
(ああ、でも、胸抜きにしても慣れないなあ……やっぱり息苦しい)
大学のような学校なのに軍服があるのは、種族特有の民族衣装等で種族がばれるのを防ぐためだ。いい例が私の種族。長年獣人族特有のゆるゆるした民族衣装に慣れていたせいか、私は三週間経った今でもキチッとした制服には慣れることができない。
(地球の時は中高ずっと制服だったのにね……)
ふと転生前のことを思い出し、苦い顔になる。正直、転生前にはあまりいい思い出がない。だからこそ、私はこの世界でいい思い出を作って、最後に笑って良い獣人生だったって逝けるよう、頑張らなくちゃいけないんだ!
★ ★ ★
(決意と言うのは、どうしてこうもあっさりと粉々に砕けちゃうんだろう……)
大きな食堂の一角で、私は頭上にある大きな窓ガラスを見ていた。太陽の光が差し込む清々しい朝食。それなのに……私の目の前には、ハアハア言って、頬を上気させ、恍惚とした笑みを浮かべている変態――シェロンがいた。
彼が下僕になると言った日からさらに一週間が経った今、私はシェロンのことをきちんと名前で呼ぶようになっていた。正直、変態呼びをするとシェロンが変に喜ぶっていうのと、私が周りから注目を集めちゃうのが嫌だっていうことからの名前呼びだった。
「シェロン、そっちにある――」
「ハチミツだね。どうぞ」
「シェロン」
「カフェテリアにはもういつものホット苺ミルクを頼んでるから、あと三秒待ってね?」
「……」
「どうしたの?」
(どうしよう……本当に下僕みたいに――というか、犬みたいになってる!?)
名前を呼ぶだけで全てを悟って行動してしまう彼には驚くが、全てされるがままになってしまっている自分にも驚きが隠せない。
(うん。このままじゃ、私……自分のことすらまともにできないダメ女になっちゃうって!)
「シェロン」
私が深刻な面持ちで名前を呼ぶと、彼は猫舌の私用にぬるく作られた苺ミルクを私の元へと置きながら首を傾げた。
「? 何か足りない物あった?」
「ごめん、もう、自分のことは自分でやるから、何もしないでくれる?」
「え――もしかして、何か気に入らないことでもあった?」
そう言い、満面の笑みで金色の瞳をキラキラと輝かせている彼を思わず殴り飛ばしたくなってしまうが、その衝動をグッとこらえる。そう、私は知っている。彼がこの表情をしている時――それは、私からのお仕置き(私はそんなつもりは毛頭ない)を待っている時なのだと……。
(――ここで殴ってもシェロンが喜ぶだけだし、話し合いが無駄に長引くから我慢だ。我慢)
もちろん、話し合いが必要でない時は遠慮なく吹っ飛ばすことにしているが、今日は私の将来設計瓦解の危機のため、なんとか握りしめたこぶしを下へとおろした。
「気に入る気に入らないの問題じゃなく、一から十まで全部あんたがやっちゃってたら、そのうち私一人じゃ何もできなくなっちゃうでしょって話。今まで全部一人でやってきたんだから、あんたがする必要はないんだって」
「ルチア――俺は君の道具だよ」
いつものことながら何の脈絡もなく、彼は真顔でとんでもないことを言ってくれた。だから、私の「は?」という呟きがいつも以上に冷めた言い方になってしまったのも仕方がない。
「君のことを俺がするってことには大きな意味がある。そもそも、道具は自分じゃ動けない。誰かに使われて初めてその意味を見いだせるモノ――それが道具だ。だから、道具の使い手であるルチア、君が思う存分使ってくれればいいんだ。誰でも便利な道具があれば使うだろ? 君はそれと同じだと考えて、ただ道具に命令すればいいんだよ。その可愛い口でただ言ってくれればいいんだ。君の望みを――全部」
シェロンの熱に浮かされたような甘ったるい言葉の羅列に熱い視線、その全てに胸やけがする。
「たとえそれで君が何一つ自分じゃできなくなっても、最後の瞬間まで俺が全部してあげる。だから、心配はいらないよ?」
ニッコリと微笑む彼に、一瞬で体から血の気が引いた。
彼といるとダメ女になっちゃうのー(笑)なんてレベルじゃない。彼なしじゃ生きられない依存女になってしまうかもしれない。
ゾワゾワ感から目をそらし、なんとか心を強く持って彼の無駄に綺麗な顔を見つめる。彼は私が何か言葉を発する前に、その長い金色のまつ毛を伏せて悲しげに笑った。
「まあ、でも君が嫌だって言うなら、諦めるよ……」
「あ、良かった……諦めてくれる理性はあったんだね」
「うん。残念だけど、放置プレイも嬉しいからね」
(ん――?)
「それに、今日は記念日だから、君の意思を特に尊重したいって思うし」
聞き逃してはいけない単語が出てきた気がするが、彼が微笑みながらあまりにも嬉しそうに言った言葉に意識が移る。
「記念日……」
(なんのだ?)
正直、まったく見当がつかない。そもそもシェロンと何かの記念日が出来るくらい月日を重ねたわけでもない。でも、シェロンがこんなに喜んでるってことは、何か大事な――
「そう、俺がルチアの下僕になって一週間記念日だよ」
「うん、全然大事じゃなかったし、正直心底どうでもいいし、そもそも下僕になるの許してなんていないからな!?」
「君のそうやって冷たいところ、やっぱりすごくいい――」
「だからハアハアし始めるな気持ち悪い」
「ああ、でも、今日はプレゼントを持ってきたから、これだけは受け取ってほしいかな」
「は? プレゼント?」
「もちろん、下僕一週間記念のだよ」
下僕一週間記念――正直ドン引きだ。
「君のことを想いながら精一杯選んだんだ」
優しい眼差しに、嬉しそうな表情をする金髪金眼のイケメン……思わず何の記念日なのかを忘れてコロッと堕ちてしまいそうだ。そして、理由はどうあれ、私のことを想ってプレゼントを用意してくれたというその気持ちにほんの少し――本当に一瞬ではあるが、心のどこかで嬉しさを感じてしまった自分がいたことが本当に悔やまれる。
(ああ、もう……毒されてきちゃったんだなあ)
彼の変態ぶりにドン引くことは多々あるけど、いい加減ここまで付きまとわれていると慣れてきたっていうのもある。
座ろうとすると椅子をどけた彼が四つん這いになって下にいたり(もちろん、この後彼に蹴りを入れて4階の窓から外に落とした)、私が使って捨てた割り箸をゴミ箱から回収されたり(もちろん、この後最大魔力を込めた回し蹴りで彼を空の彼方へと飛ばして割り箸は燃やした)気持ち悪いと思うことがそれはもう山のようにあったが、最近は――まあ、非常に不本意ではあるけど慣れた。
たまにさっきのように言いようのないゾワゾワ感が背筋を這うことがあろうとも慣れた。むしろ、慣れないとやっていけない……。
(フッ、私って結構チョロインだったんだな)
今の状況は彼が言うような道具の使用者と道具本体のような関係でも、女王様と下僕のような関係でもなく、変態ストーカーの被害者と加害者という構図が正しいとは思うけど、最近、この何をやっても離れていかない彼になんとなく絆されてきてしまっているようだ。
(慣れって怖い――まあ、変態の仲間入りだけは勘弁だけど……)
彼が魔力で形成した収納空間から某乙女ゲーム豪華版の箱を二つほど並べたくらいの大きさの箱を取り出し、私へと差し出してくる。
「受け取ってもらえるかな?」
ここで受け取らないっていうのが、やっぱり被害者としては正しい選択なんだろうけど……彼のことを嫌いになりきれない私は、ついこの箱を受け取ってしまった。
(まあ……高価すぎる物だったらさすがに返そう……)
「とりあえず、ありがとう……開けてみて良いかな?」
私の言葉を聞いて恥ずかしげに頷く彼に、私まで少し恥ずかしくなってくる。
(ああ、もう……やっぱりさ、イケメンってズルくない?)
そんな考えを持ちながら、何が出てくるかと箱を開け――私はその状態で思考を停止したくなった。
「君に合うと思ったんだ」
ポッと顔を赤らめた彼に、今はドキドキなんかしない。むしろ、手がフルフルと震えている。
喜びで震えてるのかって? もちろん、違います。ええ、違いますとも……怒りで震えてます。私。
(アハハ、怒りって頂点に達すると震えるんだね☆)
歯をギリリと鳴らし、私は箱のふたを閉じた。
「どうしてこれにしようと思ったの? この、ド変態」
低く唸るような声が出る。
「え? ダメだった? ちゃんと戦闘用にもなるよ? 君の身体能力なら使いこなすのも容易いだろうし、何より――」
彼の瞳が潤み、まるで昇天するかのような表情になる。
「言わんでいい。言わんで。気持ち悪いから」
「ああ、ルチア。やっぱり、君の軍服姿っていいね。うん。すごく、良い」
「だから、ハアハアすんな! イケメンが台無しだろうが! ていうか、毎回毎回、私のドキドキ返せぇ!」
テーブルにドンッと箱を置くと、彼は珍しく驚いた表情をした。
「君……ドキドキしてたの? 俺に?」
「ッ――」
自分の失言に耳まで真っ赤になってしまう。思わずシェロンから視線を外そうとすると、彼も何故か耳まで真っ赤になっていた。それはいつもの変態染みた頬の上気とは違い、本当に真っ赤で――
「あ、その、ちょっと、ごめん。その、見ないでくれる……かな? 今はちょっと、心の準備が――」
突然両手で顔を隠して下を向いてしまった彼の耳は、やっぱり真っ赤なままだ。
「…………ヤダ」
彼のそんな姿を見てこぼれた自身の言葉に、私も驚く。
(でも、シェロンにはいつも振り回されてばかりだし、たまには私だって――コイツの上に立ちたい――)
「顔見せてよ、シェロン」
彼は、私の言葉に渋々といった感じで両手を下におろし、ノロノロと顔を上げた。
「シェロン、顔真っ赤」
「ルチア、君だって」
そう言って互いの顔をしばし見つめ合った後、二人で同時に笑ってしまった。
朝一の講義が始まる時間。
不覚にも、少し愛おしいと感じてしまったこの空気……私はその日一日とても浮かれていた。
そう、私は浮かれていたんだ。なんだかんだ言ってこの変態のことがまあまあ許せるようになってきていて、シェロンも私に好意(かなり歪んだ変態じみたものだが)を寄せてくれているのが分かってて……。なにより、ここが一番問題ではあるのだが、変態でストーカーで正直気持ち悪いと何度も思ったはずの彼を――可愛いと思ってしまった自分がいるのに気付いて……少し気が抜けてしまっていた。
だから忘れていたんだ。ここがあの【キスイタ】の世界で、病んだ攻略対象達がすぐ近くにいるということを――きれいさっぱり忘れていたのだ。
あ、ここ、重要なので二度言わせてもらいました。そう、つまりはですね、逃げられなかった必然の問題に立ち向かうってことですよ。皆さん、悪いことは言いません。厄介な問題はこじれる前に解決しましょう……
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さて、シェロンがルチアに贈ったプレゼントは結局何だったのか、よろしければ読者の皆様も考えてみてくださいね。
こちらも忘れた頃に登場いたしますので、どうか気長にお待ちくださいませ。
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