XX 49 XX 朱い毒華
「こ、こここ、この裏切り者おおおおおぉぉぉぉ、ですわあああああぁぁぁ!!!」
フラウの言葉を遮り、半分泣き叫びながらキッチンへと駆け込んだ私は、恨みごとをこぼし、銀色のボールの中の白い生地を手際よくかき混ぜていく。
フラウとリコリスは私の個室にあるキッチンに入ることができないため、私が一人になりたい時はいつもここに来る。フラウにとってのトレーニングルーム、リコリスにとっての情報処理室がこれと同じだ。互いに互いの個室には入らないこと、共同スペースでできる仕事は共同スペースで行うこと、眠る時は必ず交代で寝ることを規則として、私達は共同生活を送っている。
ちなみに、現在、フェル様の護衛には、フラウよりも年長者であるダリアお姉様が付いている。
(大人の魅力溢れる【巨乳】――いいえ、この際、凶悪な胸のことは考えないようにすべきですわ……)
自身のツルペターンな幼いボディを見つめ、思わずズーンとしてしまった。
妖艶な微笑みが似合うダリアお姉様は、もともとフェル様の兄上様の親衛隊だったのだが、兄上様の命令で、まだ幼かったフェル様の守護をしていたことから、フラウとは長い付き合いらしい。まあ、周りからは兄上様が付けたフェル様の監視だなんだと言われていたようだが、結局のところ、兄上様亡き後もずっとフェル様の守護を行っているほど、フェル様への忠誠心が厚い。
昔は、剣のフラウと盾のダリアでフェル様を物理的に守り、智のリコリスが様々な謀略からフェル様を守っていたらしい。
私は一番最後にフェル様に取り立ててもらったので、昔のことは話としてしか知らないが、皆のことを尊敬している。まあ、フラウやリコリスには、恥ずかしくて言ったことはないけど――。
三人の中で特に尊敬――いや、憧れているのが、ダリアお姉様だ。あの溢れ出る色香、漂う気品、その全てが色々と未熟な私には眩しくてしょうがない。教育係として教えてもらった時からずっと色あせず、その憧れは強く残っている。私のこの髪型だって、ダリアお姉様に憧れてショートにしたのだけど……お姉様の黒曜石のように艶やかな髪みたいに美しく広がるのではなく、ペタンと収まってしまって大輪の花は咲かせられそうにない。
(それに、ダリアお姉様は容姿だけでなく、性格も美しい……若輩者の私がフェル様の側近になった時も、表の親衛隊を私達三人に任せ、自身は影に潜み、四六時中フェル様の護衛をすることを自ら提案して――ああ、もうあの気高さには、本っっ当に痺れましたわ!!!)
ダリアお姉様のことを考えてテンションが上がってきたことで、ふと、フラウの憧れている対象を思い出し、思わず、勢いに任せて白い生地を叩きつけてしまう。
「ああ、もう!! フラウはもともと、私がフェル様にお仕えするよりも前にルチアーノ=セレアンスロゥプに会っていますし、彼女を憧れって言っていましたし!? 百歩譲ってではありますが、彼女を簡単に認めてしまうのは、まあ、仕方がないと言っても良いですわ!! でも! でもですわ!! リーコーリースー!!! リコリスはああああぁぁ!! リコリスだけは!!! 私の仲間だと思っておりましたのにッ――彼女の傍で彼女の情報を集めれば集めるほど、リコリスまで懐柔されてッッ――あ、あんまりですわ!!!」
お菓子作りは案外力仕事のため、イライラをぶつけるのにちょうど良い。魔力で動く器具もあるが、こうしたストレスは手動でのお菓子作りで発散させるのが私のストレス解消法だ。
「そもそも、そもそもですわ!! あんなにウロチョロウロチョロと私の周りをッ――」
ダンッと生地を叩いた瞬間、テーブルに投げ捨てていた軍服の上着ポケットから、写真がバラバラと床へと滑り落ちた。
「クッッッゥゥゥ――」
床にばらまかれる形になった写真達――そこには、猫獣人姿のルチアーノ=セレアンスロゥプがたくさん映っていた。
ベッドの中、丸まり、無防備な寝顔を見せる彼女。怪力を抑えるための銀の手錠を両手首にはめている姿に、時折ピクピクと動く猫耳――そう、あのモフモフした猫耳!!
情報収集のため、彼女の部屋に忍び込んだ時、こっそり撮影した数々の写真……
最近のイライラは、急に彼女の部屋の魔力術式の施錠が複雑になり、あのモフモフを拝めないこともあ――
(って、待て待て待て――ですわ!? 別に私は彼女のモフモフなんて、モフモフなんて――)
「触ってみたいですわ!!」
(触ってみたいなんて思ってないですわ!!)
キッチンにこだまする自分の本音が出てしまった声に、頬が真っ赤になる。
「う、うぅ、ルチアーノ=セレアンスロゥプめ……だ、だだだ、誰が屈するモノですか――私がモフモフ好きと知っての罠だと知っているのですわ!?」
☆ ☆ ☆
「エンゼ、気付いておりますかね?」
「気付いていないと思いますの」
エンゼがいなくなった共有スペースで、リコリスの問いかけに、フラウが困ったように笑う。
「ルチアーノ=セレアンスロゥプの成績が上がったのは事実――でも、確実にエンゼの成績が下がっておりますね」
「それもこれも、彼女が素直にルチアーノ=セレアンスロゥプへの好意を認められなくて、モヤモヤしているからだなんて……本当になんというか――」
「エンゼは愛すべきお馬鹿さんですよね」
朱い髪を耳にかけ、フッと笑うリコリスに、フラウもまた楽しげに笑った。
「まあ、私達の可愛い妹分の行く末を見守りましょう――ですの」
「たとえ、ちょっとストーカー気質でも、可愛い妹分には変わりないですからね」
★ ★ ★
淡い緑色の魔力灯すら消灯された深夜の図書館……
見回り用の魔力術式である青い焔がフラフラと漂う空間に、私本来の――小さな精霊の姿で入り込んだ。
華の精霊のようにあまりにも存在が希薄すぎる精霊は、同じ精霊であるか、契約者にしか見えない。
だからこそ、こうした隠密行動に適している。
朱い髪を耳にかけ、私は一人、不敵に笑う。
(そう……エンゼは可愛い可愛い妹分で、愛すべきお馬鹿さん――だから…………これは、仕方がないことですよね?)
本棚の奥の細い隙間へと滑り込み、私は1cmほどの黒い本を手に取った。本来の姿では、ちょうど良い大きさのそれは、精霊でも触れることができる特殊な素材でできている。その本を片手に、いつものように決められた手順で魔力術式を展開しようとした時、ふと、彼女の言葉が思い浮かんだ。
『リコリス。私は、あなたの主張を醜いだなんて思わないよ。声を張り上げるのが無理なら、さっきみたいに消えそうな音でも良い。あなたの本心を聞かせてよ……』
(…………貴方ともっと早く出会えていたら、違った道もあったのかもしれませんね――)
脳裏に浮かんだ彼女の存在を消すように、私はいつもよりも大げさに魔力術式を展開した。本がパラパラと捲られ、ただの呪術学の本だった文字がみるみると他の文章を形成していく。
(ああ、フラウ、すみませんね。長い付き合いになるあなたも騙したままで――でも、私達はフェル様の可憐な華――フェル様のためだけに咲き、フェル様のためだけに散りゆく華――)
呪いのような言葉を心の中で囁くと、自身のペリドット色の瞳が、仄暗い輝きを発した気がした。
「きっと、赦してくれますよね?」
文字に指を滑らせると、全ての文字が本から剥がれ落ちるようにヒラヒラと消えていく。黒い文字がまるで蝶のように空中へと舞い上がっては消える様を眺めながら、私は口の端を歪め、微笑んだ。




