XX 42 XX 貴方を嫌う理由(前編)
~リコリス視点~
淡い緑色の魔力灯がポツポツと灯る夜の図書館。
魔力を帯びた本から、熟成した草木と古いインクの香りが時々漂い、本の時間が巻き戻る。
本を永久に保存するための魔力術式だが、古い本独特の香りが好きな私にとっては、少し寂しい術式だ。
本が新しく生まれ直している香りを感じられるこの時間帯は、生徒のほとんどが自室へと戻る時間帯でもある。だからこそ、静かで――勉強が捗る。
「はあ……」
朱縁眼鏡を外し、疲れた目を押さえる。
図書館の片隅にある目立たない席。
誰も目に留めないその席が、私だけの特等席だ。
いや、『私だけの特等席だった』と言うべきか……。
誰も気付かない――
誰も気にする人なんていない――
そんな場所であるはずのこの席に、彼女が来るまでは……。
「リコリスってすごいね……」
集中して勉学に勤しんでいた私は、自身の真後ろでポツリとこぼされた一言に、心臓が飛びでそうなほど驚いた。
まあ、表情には出にくい方なので、悲鳴さえ飲み込んでしまえば、鈍感な彼女には伝わらないだろう。
いつの間にか私の後ろに忍び寄っていた彼女――ルチアーノ=セレアンスロゥプ……私は彼女のことが嫌いだ。そんな彼女に弱みや隙など、見せたくない。
眼鏡を元の位置に戻し、視界の横に映る朱い髪を耳へとかける。
「無断で人の後ろに立つなんて、本当に無礼極まりないですね」
「あ、ごめんね。真剣に勉強してたから、邪魔しちゃダメだと思って――」
「それならば、最後まで声をかけないままでいてほしいものですね」
困ったようにヘラヘラと笑う目の前の彼女に苛立ち、キッと睨む。
「声をかけるつもりはなかったんだけど、つい思ったことがそのまま口から出ちゃって……あ、リコリス、クッキー食べる?」
「――貴方って本当に馬鹿なんですね」
勝手に隣へと座って本を置き、勝手にクッキーの包みを広げ始めた彼女に冷ややかな目を向ける。
…………とりあえず、彼女が片手に持っていた本の量が尋常じゃない高さだったことと、おやつとして食べる量を軽く超しているクッキー達には、つっこまないでおこう。
そもそも、彼女のバランス感覚やら腕力やらはもう調査済みだし、彼女の底なし胃袋のことも分かっている。ツッコミを入れたら、まあ、色々と負けな気がする。
「ほほのふへーふはひんひょくほっへーなはは――」
「食べるか話すかどちらか一方にしていただきたいものですね」
ムグムグムグ――
……食べる方を優先させた彼女に呆れた視線を向けつつ、私は本を閉じた。
「ここのスペースは飲食オッケーだから、クッキー食べても大丈夫だよ?」
「…………」
「ほら、毒も入ってないし!」
ニッコリ微笑む彼女の言葉に、少し驚く。
「毒味のつもり――だったのですね……」
私の小さな呟きに、少し悲しげに微笑む彼女にイライラする。
馬鹿が付くほど純粋で――誰かの負の感情など気付けないほどの阿呆女だと思っていた……
「私に嫌われていながら、近付いてくる理由が分からないですね」
「ああ、うん、そうだよね……。私も正直、嫌われてるのが分かりながら隣にいるの、辛いよ――人に負の感情を向けられるのって、本当……辛いし、怖いし……。でも、私はリコリスのこと、好きだから――」
甘っちょろい彼女の考えは、本当に大嫌いだ。
好きだから仲良くなりたい?
好きだから嫌われたくない?
そんな身勝手な感情を押しつけられても、私は――
「リコリスは本当にすごいね」
「…………開口一番にも言ってましたけど、何がどうすごいというのですかね」
「だって、本がこんなになるまで勉強を頑張れるなんてすごいよ!」
目を輝かせ、私を見つめる彼女から目をそらし、付箋だらけの本をそっと隠すように横へと追いやる。
ボロボロの本は努力の証――でも、それと同時に、自身の無能さを示しているような気がして、彼女の純真無垢な瞳を見ていられない。
彼女を知れば知るほど……
彼女の真っ直ぐで綺麗な心に触れれば触れるほど……
私にはないその輝きが羨ましくてたまらなくなる。
彼女のようになれないのは知っている。
私がちっぽけで、どうしようもない人物だというのは知っている。
もう、苦しいくらいに理解した。
彼女が親に捨てられたこと――
今の親とは血の繋がりなんかないこと――
一族のために、新世校に来たこと――
全部知った……
今の親に辿り着くまで、何度も何度も利用され、裏切られ、死にかけていたこと――
たくさんの精霊達から情報を得た……
バカなんだと思う。
そんなに騙されたのに、殺されかけたのに、まだ誰かを信じようとするなんて……
でも、そんな彼女だからこそ――
ドン底から這い上がってきた彼女だからこそ……
余計に劣等感を感じてしまう。
私と同じように、ドン底を経験したのに――
何故、彼女は闇に染まらない――?
あんなにキラキラと笑える?
何故、私は――彼女のようになれない?
イライラする……
そう思ってしまう自分自身が嫌だ。
彼女を見ると、自分がどんどん嫌いになっていく。
だから、これ以上、目の前をウロチョロしないでほしい。私をこれ以上、惨めにしないでほしい……。
「私には――これしかないですからね」
(そう、私の存在意義は――これしかない。これしか…………ないんだ)
「『これがある』の間違いでしょ?」
「は――?」
顔を上げると、キョトンとした顔の彼女と目が合った。
「リコリスはどの教科も頑張ってるよね? しかも結果まで残せてる! 努力がそのまま実になることってすっごく難しいことだよね……それを形にできちゃってるのって、それだけ努力し続けてるってことでしょ? それって、本当にすごいよ!!」
「な、にを言いたいんですか――意味が分からないですね」
「え? だから、リコリスはすごいんだから、そんな後ろ向きじゃなく、もっと胸を張ってれば良いんじゃないってことなんだけど――」
「これがある――? もっと胸を張れば良い――? 貴方は本っっっ当に馬鹿なんですね!!!」
「リ、コリス――?」
「私の存在意味は! 存在理由は! これしかないんです!! 貴方と違って、私は生きていられる理由がなければ、ここに存在すらできないんです! 貴方に分かりますか!? 誰にも認識されない、いるかどうかも分からないちっぽけな存在の気持ちが!? いくら努力しても、弱い華の精霊というだけで、精霊王の力でしか存在を認識できない存在だというだけで、見向きもされない気持ちが!?」
噛みつくように目の前にいる彼女へと言葉を投げつける。
これがただの八つ当たりだということは分かっていた。
でも、一度口から出してしまった言葉は戻らず、続く言葉も止められず、私は今まで秘めていた心の内を吐露してしまっていた……。
2018/05/06 大幅修正
読者の方から、毒華三姉妹がルチアのことをどう思っているのかをもっと知りたいというご意見をいただいたため、この度、大幅な修正をいたしました。ご意見、誠にありがとうございました。
今後も、もっと面白い作品を執筆できるように精進していきますので、どうかよろしくお願いいたします!!




