XX 38 XX 誰ですか、このただのイケメンは?
「魔力出力場所の術式では、出力した魔力の属性と相反する魔力が生まれるから……あれ? これじゃあ相殺されて反応が起こらなく――いや、だからこそ、式を調整して出力したい属性が一定量になるようにするわけで……ううぅぅぅ」
分厚い本に刻まれた数式を睨み続けてみるが、そんなことをしても答えが出るわけもなく――
「だああああああ!!! もう、分っっっかんない!! そもそも、出力段階で魔力の調整しないで、注ぐ魔力量の方調整したら良いじゃん! 暗記しようにも例が多すぎてわけ分かんないんですけど!? はああぁぁぁ……」
まさか魔法溢れるファンタジー世界に来てまで苦手な数学をやる羽目になるとは思わず、グッテリと自室に備え付けられている勉強机に突っ伏す。
「注ぐ魔力量の方を調整――だと魔力の扱いが苦手なルチアは魔道具を使えなくなっちゃうね?」
「う、それは困――って、うわあああ! シェロン、いつの間に!?」
「今の間だよ、ルチア」
イスから転げ落ちそうになる私の背を片手で軽く受け止め、彼は蕩けそうな笑みを浮かべる。彼の長い金髪が私の頬に当たるその距離に、私は彼の整った顔面を殴り飛ばそうと拳に力を込めてしまう――が、鼻をくすぐる甘い香りになんとか踏みとどまる。
「あれ? 殴らないの?」
不思議そうに目をパチクリする彼に深いため息が出てしまう。私は体勢を立て直しつつ、彼の体を優しく押しやり、彼の右手に乗っかっているトレーを睨みつける。
「だって、せっかくのホットココアとチョコレートケーキが台無しになるじゃない」
「たとえ台無しになってもすぐに新しいのを持ってくるから存分に殴ってくれて良かったのに!! ああ、でもそうだね。今度からはトレーを置いてから声をかけるようにするよ」
「その前にノックもなしで部屋に入ってこないでほしいかな、変態さん? そもそも、扉に魔力術式編み込んだ施錠までしたはずなのに、なんでアッサリ入ってきちゃってんの!?」
トレーに乗ってる差し入れを中央の丸テーブルに置くシェロンに合わせて席に着いたが、よくよく考えると彼は不法侵入者だ。……いや、よくよく考えなくてもそうなのに、慣れすぎている自分がいることに驚いてしまう。
「ああ、魔力術式にちょっと穴があったから直しておいたよ。魔力が流れなきゃいけない部分にいらない線が入ってたからね。あの回路だと部屋が開かなくなっちゃうよ?」
「え、どこだろう? ありが――じゃなくって!!! 直してくれたのは感謝するけど、勝手に入ってこないでよ!」
「そうそう、あのままだと誰でも開けられちゃいそうだったから、俺なりに魔力術式にアレンジも加えてみたよ。これで君と俺以外は入れないだろうから安心だね☆」
「アンタが入ってこないようにってわざわざ作った物なのに、それじゃ本末転倒じゃん!! むしろ、アンタしか入ってこれないとか、もっと危険だわ!!!」
「ルチアが俺のためだけに作ってくれただなんてッ!! どうしよう、素晴らしく愛を感じるよ!!!」
「どこをどうなったらそうなるの!? 頼むからこの全身から溢れる拒絶を感じて!!!」
「あ、そうだった。ついつい、君からの愛に酔いしれて説明を忘れるところだったけど――ルチア、今日のチョコレートケーキはこの間君が食べたいって言ってたケーキ屋さんのなんだ。人気店だから昨日の夜から並んで朝一番に買ってきたんだよ!」
「ッ――!? も、もしかして、一日に限定8個しか販売しないっていう、あの幻のチョコケーキ!?」
「うん、そのチョコケーキだよ」
「だから昨日の夜いなかったのか――うわあぁぁ、ありがとう、シェロン!!!」
「君が頑張ってるようだったからね」
ニコニコと笑う彼に胸が少しだけキュッとしたが、私は気付かないふりをしてありがたく差し入れをもらった。
ちなみに、以前は彼の差し入れや気遣い溢れる(?)贈り物に対しせめてお金を支払おうとなけなしのお小遣いを送りつけていたのだが、全て返されたあげく――
『俺が好きでやってることだから、俺に尽くさせてくれないかな?』
――と潤んだ瞳で言われ、半ば強引に尽くしてもらうことになってしまった。やっぱり、私は押しに弱いらしい。
(クッ――自分では全身から溢れる拒絶とか言ったけど、これじゃあ、全然拒絶できてないじゃんか……)
自分の流されっぷりに自身で呆れながらもチョコケーキを口に入れた瞬間、萎れていた気持ちが一気に最高点に達した。
「ンッ――!! 何これ、口の中で蕩ける!!!」
チョコレートスポンジの中に入っていた丸いチョコの中に、濃厚な液状チョコレートがギュギュッと詰まっていて、噛み締めた瞬間に弾けたそれが口内に染み渡るように広がっていく。
もう一口と口の中に入れて噛み締めた瞬間、今度はホワイトチョコレートの味が口一杯に広がった。
「食べる場所によって味が違ってる!? 何これ、スゴイ!!!」
小さなケーキの中に沢山詰まったサプライズ感に目を輝かせながら食べていると、先程までのちっぽけな悩み事(?)などどうでも良くなってきた。
さてさて、私がどうして今までやってこなかった勉強を知恵熱まで出して頑張っているのかというと、3日前のある出来事がきっかけになっている……
☆ ☆ ☆
「抜き打ちテストなんてヒドイ……」
机に額をつけた状態でうだれている私に、最初に声をかけてきたのは、隣に座っていた変態――ではなく、可愛らしい声の金髪美少女、エンゼ=シルキー=リャナンだった。
「あらあら、この程度の問題すら解けないなんて大変ですわ!」
彼女の声に顔を上げると、仮面のような笑顔を浮かべた巨乳美女――フラウ=ディーナ=リャナンが、フワフワの桃色の髪を揺らしながら私の顔を覗きこんできた。
「あらあら、どこか具合でも悪かったんですの?」
フラウの言葉に続くように、キャリアウーマン風の女性――リコリス=フェイ=リャナンが朱い眼鏡のフレームを右手で軽くかけ直し、冷たい表情で座っている私を見下ろした。
「あらあら、きっと『おつむ』の具合が悪かったんですね」
「う、うううぅぅぅ」
あまりの出来の悪さに反論が出来ず、ただ唸るだけの私に彼女達はどことなく満足そうだ。
「ルチアは勉強なんて出来なくて大丈夫!! 俺はルチアの下僕で道具だから、俺の成績はルチアの成績!! ほら、問題ないだろ?」
さも当然というように胸を張る彼の姿に、毒華三姉妹の綺麗な眉がピクリと上がる。
「あら、やっぱり、底辺の輩は言うことが違いますわ!」
「あらあら、教養のない主の道具だなんて、ただの宝の持ち腐れですの!!」
「あらあらあら、こんなお馬鹿さんがあの御方のご友人だとおっしゃるなんて、厚顔無恥もここまでいくと尊敬の域ですね!!!」
ズズズイッと毒華三姉妹に詰め寄られ、その威圧感にタジタジになってしまう。
(美人だと余計に迫力あって怖いんだけど!?)
「「「品もなく学もないのに――精霊王様に近付かないで」」」
「ですわ」
「ですの」
「ですね」
☆ ☆ ☆
……ということです。
ちなみに、フェルはというと――
『ボクには親衛隊の子達を止めることは出来ないよ。あの子達なりにボクを心配して行動してくれてるんだからね。だけど、君とは友達でいたいからちょっと寂しいかな』
直訳は
『オレはあいつらを止める気はねーぞ。精々頑張れよ、損しかないお友達さん?』
だ。きっとそうに決まってる。
「絶対にフェルの心開いてその性根叩き直してやるんだからあああぁぁぁ!!!」
ということで、まずは勉学を頑張っているわけだ。でも、今まで戦闘訓練に励んできた私に突然の座学……正直、ちんぷんかんぷんすぎてどこから手をつけて良いのか分からず、とりあえず基礎本の暗記をしようとして――今に至る。
まさか、攻略に勉学も必要だったとは……
勉強から逃げていたここ数日の私を恨むしかない。
「ルチア、ちょっとごめんね」
「ヒギャッ――」
この間のことに想いを馳せていると、いきなりシェロンの顔が目の前に迫ってきて、反射的に全力で拳を振るってしまった。仄かに香る彼の匂いに心臓が飛び跳ね、動揺のあまり全力で彼を殴り飛ばしてしまったが……うん、壁に亀裂が入る程度の被害で済んで良かった。
「な、ななな、何してくれちゃってんの!?」
「ああ、やっぱり、君の拳は良い、本当に良いよっっ!!」
「そうですか、それはようございましたね!!!」
(こっちは心臓飛び出すかと思うほど驚いたんですけどね!?)
「それで――なんでいきなり近づいたのよ」
「殴られたかったからだよ? 最近、勉強勉強で殴られ足りなくて」
(聞いた私がバカだった……)
言い返す気力もなくため息をつくと、彼が優しく微笑んだ。
「体はもう大丈夫みたいだね」
「へ――?」
細められた温かい金色の瞳に、近付いてきた理由が、知恵熱で寝込んでしまっていた私の体調を気にしてのことだったのではないか……と思い至り、一気に顔へと熱が集まった。
「ルチア? まだ具合が――」
「だ、大丈夫」
声をなんとか絞り出し、距離を詰めてこようとする彼から顔を背ける。
(こういうところ、本当にやめてほしい。シェロンは変態でストーカーで、正直危ない奴なのに――)
「魔力術式――か」
その言葉に顔をあげると、先程まで私が読んでた参考書を片手にシェロンが何やら考え事をしているようだった。
ペロリと美味しいケーキを食べてしまった私はココアを飲みきり、ため息をつく。
「シェロンにとっては簡単だろうね。それ、基礎中の基礎の本だから」
「いや、基礎だからこそ大切だし、難しいよ。応用は基礎あってのモノだから、基盤である部分が疎かだと脆いんだ」
彼の真面目な返しに、少しばかり驚く。
(え、何これ――?)
「うーん、この本、少し言い回しがくどくて分かりにくいね。この部分ならこういった方が解釈がしやすいし、この言い方だと齟齬が生じて――」
サラサラと噛み砕いた分かりやすい内容の図式と説明がノートへと書かれ、思わず綺麗な彼の横顔を凝視してしまう。ツヤツヤの肌に長い金色のまつ毛、枝毛など皆無のキラキラ輝く長い金髪……そこにいるのは、いや、いらっしゃるのは、変態の『へ』の字も、ストーカーの『ス』の字も見えないただの【イケメン】。
(誰だこのイケメンはッ――!!!)




