XX 21 XX いろんなフラグ立ってますよ
あの研究室の一件からシアンは変わった。
俯きがちだった顔をしっかりと上げ、今では群青色の理知的で綺麗な瞳がよく見えるようになった。睡眠不足も解消され、目の下の隈も見る形もない。そして――
「ルチアーノ、あ、明日の放課後も今日みたいに、僕の研究室に来てくれない?」
何かと私の周りに引っ付いてくるようになった。まだ外に出るのには抵抗があるのか、今と同じように自分のホームグラウンドである研究室に招待しようと思うところは変わらないみたいだけど、いい傾向だと思う。
(ただ、問題は……)
ちらりと横を見ると、私の視線に気付いたシェロンがニッコリと笑う。結構な至近距離でのその反応に思わずひきつった笑みを返した後、もう一度シアンを見ると、彼はシェロンをキッと睨んでいた。
「そろそろルチアーノと二人きりにしてくれないかな、変態さん?」
「俺はルチアの下僕。地の果てでもお供するから、それは無理な相談だね」
(なんだ、これ……)
シアンが自分の主張をキッパリ言いのけるのはすごくいい変化だと思う。
思うんだけど――
(どうしてこうなった?)
私の右腕にシアンがギュッと引っ付き、左腕にシェロンがガッチリ絡み付いている。
「ルチアーノが困ってるから離れてよ、この変態!」
「ルチアは根暗、お・ま・えに困ってるんだ。ルチアの下僕は俺だけで十分。おまえはお呼びじゃないってこと、理解したらどうだ?」
(……ああ、頭が痛い。ついでに腕も痛い)
ここが外でなくシアンの研究室である分だけマシだけど、たまーに外でも勃発するこの事件……正直、最近悩みの種だ。外からは楽しそうに騒ぐ女子学生達のキャッキャッとした声が聞こえるのがまた恨めしい。
(私も女の子達とキャッキャッウフフしたい……てか、この状況は何? 私はオモチャか何かか?)
「僕は下僕になんかならないよ! む、むしろ――」
(お、シアンの顔が赤くなった)
「??? 下僕希望じゃないのか?」
左側から聞こえたキョトンとしたシェロンの声に思わず呆れたため息が出てしまう。
「下僕になりたいなんて思う物好きはあんたくらいだと思うよ」
「じゃあ、ルチア――ルチアの下僕はこの先ずっと俺だけ?」
「ああ、はいはい、シェロンだけですよー」
私の投げやりな言葉に、左側のぬくもりが離れた。
(あれ? やけに素直だな)
「ルチアの下僕は俺だけって立ち位置があるなら、とりあえずは引く。ただし、根暗……お前がルチアにふさわしくないと見なしたら、俺は全力で引きはがすから――覚悟しておけよ?」
「い、言われなくても、僕だってルチアーノにふさわしい相手になれるようにが、頑張るから!」
(ん? あれ? 何? 下僕の立ち位置ってなんだか分からんけど、シェロンは私の父親か何か? しかも、シアンの今の発言だと――)
「!?」
(え、シアンとの間に恋愛フラグ立ってたとか!? いやいやいや、そんなまさか! だって、崖でファイトー、一発!!! 的なのをやらかしちゃう女だよ? 怪力で薬研粉々にした女だよ!?)
開いていた窓からふんわりと柔らかい風が入り込み、華やかで優しい花の香りが頬を撫で、背筋をつたった汗を冷やす。
「ルチア、俺は外で待ってるから、何かあったら呼んで。君のためなら何があっても――そう、たとえ、素っ裸だったとしても駆けつけるから!」
「前半よかったのに後半ただの変態じゃん!? 頼むから服だけは着てくれ!!!」
シェロンが研究室から出ていき、私とシアンだけがそこに残される。
(――って、しまったあぁ!!! いつものくせでシェロンにツッコミいれてたら引きとどめ損ねた!)
「る、ルチアーノ……」
キュッと私の右腕に腕をからめた状態のまま、シアンが上目使いで私を見つめる。
(クッ――上目遣いとか! 無駄に可愛いし、反則でしょうが!?)
私が心の中でツッコミを入れていると、シアンは真剣な表情で口を開いた。
「ルチアーノ――僕、変わるよ」
一瞬ピンク色の変な雰囲気に流れるかと思って慌てていたのだが、思っていたのとは違うシアンの決意ある瞳とその言葉に嬉しくなり、私は元気よく頷く。
「うん、シアンなら変われるよ!」
「だから……ぼ、僕のこと、ずっと傍で見ててくれないかな?」
「うん!」
思わずこれに対しても元気よく頷いたが、その言葉の意味に思わず首をかしげてしまう。
「…………うん?」
(ちょっと待て……今の意味は――?)
「僕、強くはないけど、もっといろんな研究して、絶対に出世する。だから、だから、僕の――」
(え、待て待て待て、やっぱりシアンとの恋愛フラグ、いつの間にか回収しちゃってた!? で、でも、今のシアンならヤンデレ要素抜けてるっぽいし、怖くないからいいのか? いやいやいや、そういう問題じゃなくってですね、とりあえずこういうのはもっとずっと親交を深めてからにするべきだよね!? ああ、そ、それに、今はほら、恋愛とかに現抜かして死亡フラグ立てまくりたくないし、その――うん、とにかく、私には色々と早いですよねっ!?)
大混乱する中、シアンは顔を真っ赤にしながら言葉を続けようと息を吸う。右腕に伝わるシアンのいつもよりも高い体温に、こちらまで体温が高まっていくような気がする。
(いや、待って! マジで待って!! 誰かこういう時の上手な回避方法をっ!! 私、まだ心の準備がッ――)
「ぼ、僕の、お友達になってくれませんか!」
「ほ、へ――?」
予想だにしていなかった『お友達』という言葉に目が点になり、その意味を理解した瞬間、自分の今までの考えがあまりにも自意識過剰すぎたことに気付き、羞恥に悶える。
(どわあああぁぁ! 私はバカか、つーか、何様だ!? 恋愛脳だったのは私じゃん! 何が恋愛フラグだよ、これ、ただの友情フラグだよ!? うわ、恥ずい……これ、今までの心の声全部なかったことにしないと恥ずか死ぬッ――)
自分の勘違い女っぷりに片手を額に置いて疲弊していると、シアンが慌てて私に絡めていた手を放し、あたふたとしながら手をパタパタと動かし始めた。
「あ、あの、やっぱり、お友達とか、おこがましいですかね……で、でも、僕、ルチアーノとお、おと、お友達になりたく存じまして!」
真っ赤な顔で一生懸命言葉を発している彼を見て、私は今までの自身の恥ずかしい考え全てがどうでも良くなり、たまらず笑い出してしまう。
「ああ、もう、シアンってば――私達はとっくに友達でしょ! そもそも、友達じゃなかったら、こうやって毎日のように研究室に遊びに来たりしないって」
「あ、あれ――? そ、そっか……そう、なんだ――」
そう言って、シアンがはにかむように笑うのを見て、私は苦笑する。
「それよりもさ、シアンがまだ私を友達じゃないって思ってたことの方がショックなんだけど……」
「え!? ご、ごごご、ごめッ――」
戸惑い焦るシアンがあまりにも可愛くて、私は彼が忙しなく動かしていた手を取り、キュッと優しく握る。
「これからもよろしくね、シアン! ああ、あと、私はシアンが出世しなくてもずっと友達のままだからね!」
頬を染めたまま目を見開いたシアンに、私はニッコリと笑い、自身の心の内にあった想いを紡ぐ。
「だって――友達に損得とかは関係ないでしょ?」
「る、ルチアーノ……うん!」
「ああ、もう、泣かないの! ほら」
感情が高ぶり、いつものごとく涙を零してしまう彼に、私は仕方がないなと笑いながら彼の眼尻に溜まる真珠を優しく床に落とした。その時、あることに気付き、衝撃が体を駆け巡る。
(あ……あれ? そういえば、私、この学校入ってから始めて友達できたんじゃない!?)
本来のゲーム内であれば、ゲーム開始直後に【クレア】という女の子がルチアの友達になってくれていたはずなのだが……最初は攻略対象から逃げ回るのに必死で、その次は変態から逃げ回るのに必死で――という感じで、そういえば一度も彼女を見かけていない。
後々は親友ポジションへと昇格する彼女の存在がないことに今更ながら気付き、大きく脱力する。
(と、とりあえず――友達ができて良かったああぁぁ……)
シアンが泣き止み、研究室を後にした私は、新世校に来て初めて友達が出来たことに浮かれた気分のままシェロンを引き連れて寮へと帰った。
(いやあ、これでボッチ学生生活は回避だね! まあ、シェロンがいるから厳密に言えばボッチではないんだけど、シェロンは友達枠じゃなさそうだし……うん、とりあえず、新世校での初友達ゲットだぜ☆)
こうして、私が鼻唄混じりに寮へと帰っている頃、研究室に残ったシアンが一人ガッツポーズをし「よし、まずは友達から」と小声で言っていることを知らない私は、終始ほっこりした気分で夜を過ごした。
そう、この時の出来事で【いろんなフラグ】がバッチリ立ってしまっていたことに、私は全く気付いていなかった……。




