XX 19 XX 真珠の涙(後編)
懺悔するように苦しげに、静かに――シアンは語り始める。
「……花の精霊を助けようと思ったのは――優しさからのものではないんだ…………ただ、僕に――似ていたからなんだ」
「それは――色が?」
花の色は水色……ちょうどシアンの髪の色と同じような色合いだ。しかし、彼はやはり悲しげに――ゆるく首を振る。その姿に私の胸が先ほどから痛みを主張している。それでも私は――私だけは彼から目をそらしてはいけないと、その姿を目に焼き付けるようにしっかりと見つめる。
「あの花は僕と同じで体に――毒を、持ってるんだ。そして、その毒のせいで死に絶えてしまう馬鹿な花……」
彼は俯き、泣きそうになりながらつぶやいた。
馬鹿な花……シアンの口から出たその言葉に、悲しい苛立ちを覚える。たとえ、そうして死んでしまうのが分かっていても、それでも――懸命に生きようと根を張る花々を私は馬鹿だとは思えない。そして、その生き様を自分と重ねて、それをすべて否定しているシアンの姿に胸が苦しいほどに詰まる。
「僕の体には――血には……神経毒が流れているんだ」
(それも……知ってるよ――その身に宿る毒でシアンがどれほど苦しんでいるのかも、全部……全部知ってる)
そう、私は知っている。ゲームの中での彼が、その身に宿る毒に苦しみ、もがき、それでもどうにもならないと、どうしようもないと自身を諦め、世界を諦め――日々陰鬱とした中で、それでも心のどこかで希望を求めていたことを……知っている。
(知って――いるんだ。だから――)
「もう、ここまで言えば分かってるかもしれないけど、崖から落ちた時に君の体内に入り込んだ毒は……僕の毒なんだ。たぶん、僕、どこか怪我をしてその血が君の傷に……」
バッと顔を上げた彼は、いっそう苦しそうに眉根を寄せた。
「あれは全部僕のせいなんだ。僕が原因で君を危険な目に合わせて、僕のせいで君は死にかけて、僕のせいで――」
「シアン」
「ッ――」
息継ぎなしで言い募ったせいで呼吸が乱れてしまっている彼に、私は優しく微笑む。いや、自分は今、ちゃんと微笑んでいられてるのだろうか?
だって……だって――胸がこんなに痛くて、苦しくて、悲しくッて……そんな感情が全部ごちゃまぜで、声だって少し震えている。
苦しいんだ……彼の口から【僕が原因で】【僕のせいで】という自身を傷つける言葉が出るのが――
痛いんだ……彼が悲しい顔を――苦しい表情をするのを見ると、心がたまらなく軋んで――傷ついて、抉られて……痛むんだ……
(お願い、もうそれ以上、自分を――私を……追い詰めないで――)
「もう――いいよ、シアン」
「ごめん……だから、僕が君を助けるのは当たり前で、むしろ君は僕を恨むべきで――」
私の言い方がまずかったのか、シアンがなおも言い募る。
「シアン、もう大丈夫だから」
シアンの両目からこぼれ落ちそうな綺麗な真珠の涙に指先で優しく触れ、床へと落とす。
気を抜いてしまえば私まで泣いてしまいそうなほど心が痛い。ゲームをしている時はそこまで痛まなかったはずの心が、彼の過去を知っている私の心が――今になって彼の理不尽な世界を恨むようにジクジクとした断続的な痛みを主張している。
それでも、私はその痛みを我慢して、彼のために――いや、私のために……彼の全てを肯定するように微笑む。
私が【ここ】にいるのは、それをするためだと言うように、想いが溢れる。
「私、シアンを恨んだりしないよ? それに、シアンが原因だったとしてもシアンが助けてくれたのはシアンの意思で、私の恩人はシアンってことに変わりはないから」
「――え?」
「それに、私はシアンの血に毒があるからってシアンのこと嫌いになんかならないから」
彼の群青色の瞳からポロポロととめどなく零れ落ちてくる濁りのない魔力の結晶――いわゆる真珠が、パラパラと足元へと転がっていく。それと共に、私の胸に刺さったトゲのようなものが溶けていくように、胸の痛みが消えていく。
(ねぇ、シアン……私は何があってもシアンのこと、嫌いになんかなれないよ? きっと――あの時、シアンの毒で死んで、私が幽霊になっちゃってたとしても、嫌いになんて……なれない)
よく分からないけど、そんな確信を胸に抱く。まさか、こんな気持ちになれるなんて思ってなかった私は、少々戸惑いつつも、その母性とも慈愛とも取れるような満ち足りた感情を受け入れる。
そうやって自身の感情が整理できてくると、今度はあまりにも照れくさすぎる思考の数々に、こう――背中の辺りがむず痒くなってきてしまう。
「てゆーかさ! むしろ、一回毒を受けたことで抗体ができてより体が強くなったんじゃないかな!」
空気を一新するため、おどけて冗談のようにそう言ってみるが、実はこの抗体とやら、本当のこと。
人魚の皆様はまだ知らないが、シアンのこの毒、一度体に入れてしまえば抗体ができる。そうでないと、ゲーム的にもマズイというのが制作陣の話だろうというのはまあ、メタ発言かな?
でも、シアンとキスしてそのまま窒息させられるように死んだ【死のキスEND】を私は忘れてない……あれは――いや、あれもまたトラウマだ。
シアンは血と言ったが、彼の神経毒は血だけでなく、彼の体液全てに流れている。そりゃあ、キスですら命がけですよ。しかも、そのせいで子作りできないとか――この世界では致命的な欠点なんです。そして、それを知っちゃったシアンはルチアを逃がさないように歪む歪む……。
ハッピーエンドではちゃんと抗体が出来て子供も産まれていたが、それ以外のエンドでは『ルチアーノが他の誰かとなんて――見たくない』って、病み具合が半端なかったですよ、はい。
たとえ、抗体ができたとしても、海の底で泡(魔力の泡ではなく、大きな気泡)の中に幽閉され続ける【深海の檻END】もあるから、本当に安心できない……。キスイタには、パラメータが何種類かあるのだが、その中の一つである信頼度――これが低いと碌な目に遭わない。しかも、それにプラスして執着度が高いと本当に悲惨な目に合う。
そもそも、好感度が執着度になってる時点で、製作陣の悪意しか感じられない……。
えーと、ま、まあ、とにかく、製作陣の悪意は置いといてですね……今まではシアンのこの毒を一度受けた者は二度とシアンに近づかず、彼には毒があるから怪我をしないようにと、大事に大事に檻の中に入れられて育てられたのだ。一族の誰も毒への抗体ができることに気付かなかったのは仕方がない。
シアンより前の毒持ちはそもそも毒持ちという時点で殺されていたし――。人魚の姫の子供ってだけで生き残ったのはシアンが初めてだったのだ。もちろん、そんなシアンを害であると言い暗殺をたくらんだ一部の者もいたらしいが……その結果は今のシアンを見れば分かる事だろう。
まあ、そんなわけで、彼を殺そうという動きはそこかしこであったものの、彼の血の真相を知ろうとする者――解明しようとする者は今までいなかったというわけだ。だから、彼が本当の意味での最強新人魚という真実も理解されていない。
なぜ最強新人魚かだって?
だって、シアンはすべての毒物への耐性を持っているのに、薬の恩恵を受けることが出来るというありえない能力を持っている。彼の体の細胞は必要な物と不必要な物を分別することが出来る。そして、それこそが彼特有の特殊能力。尾ひれはその恩恵によるハンデみたいだけど、彼はそれすらも魔薬学で直してしまえる。
(そう、だから、シアンはもっとずっと、自分がすごいんだってことに自信を持って良いのに――)
「抗体ができて体が強くなったって――そん、な――」
私の思考を途切れさせ、か細い声でそう言った彼は、ハッとした表情になる。
「そっか、解毒する時のように魔薬で毒そのものを体内からかき消すんじゃなく、僕の尾ひれが毒を受け入れるようになればあるいは――なんで今までそこに辿り着かなかったんだろう! 毒との共存……前例は聞いたことがないけど、試してみる価値はあるはずで――」
いつの間にか止まった彼の涙と少し元気になった彼の姿に安堵し、私は今度こそ満面の笑みで彼を見つめる。
「うん、やっぱりシアンはスゴイよ! すぐにこうやって突破口を見つけれる」
「ッ――い、や……ぼ、くは……僕は、ルチアーノが言うようにすご、くなんかなくって……む、むしろ……いるだけでダメな――そんな存在、で……」
彼の顔が強張り、唇がフルフルと震えている。彼は自身の瞳を隠すように下を向き、その長いまつ毛を伏せる。彼にこんな顔をさせる【原因】――私はそれと対峙し、再び胸の奥が軋んだ。
「……僕……は、僕、は――【呪い子】だから」
せっかく、一度盛り返したはずの彼の心は、彼が抱える過去という闇の底に再び沈み込んでしまう。
そう、その単語こそが彼のネガティブ思考の一番の原因で、一番のトラウマ――
「僕、は――群青色の瞳の……【生まれ損ないの呪い子】なんだよ――」
群青色の瞳は不吉で毒素を持つ証……古い因習に囚われた人魚の人々はシアンのことをそう呼んでいた。彼が髪を長く伸ばしてその綺麗な瞳を隠すようにしている理由……それこそがこれ。よくもまあ、そんなに長ったらしい嫌な呼び名を付けたものだと今更ながらに思う。
(……こんなに、この群青色の瞳は綺麗なのに――)
思わず、シアンにそんなことを言ったそいつらに苛立ちが生まれてしまうが、グッと堪え、とりあえずは目の前にあるシアンの頭部へとかるーくチョップをかます。
「はい、ネガティブ禁止!!!」
「アダッ――」
涙目になりながらチョップが当たった場所を押さえて顔を上げた彼の鼻先に、私はニッコリ笑って人差し指を突きつける。
「それならさ、シアン。シアンはすごいんだってこと、その【呪い子】なんて言った奴らに見せつけてやらなくっちゃ! 自分の代からその群青色の瞳が奇跡の色って言われるくらいすごいことをしてさ!」
「……君、は――本当に面白いこと言うね」
数度瞬きを繰り返した彼は、眉毛を八の字にして困ったようにはにかむような笑みを浮かべた。
「シアン、過去は切り離せないし、変えられない。だけど、進む先はいくらでも選べるし、変えていける。一番大事なのはさ、シアンがこれから先――未来にどうなっていきたいのかなんじゃない? 確かに経験則は大事で、シアンのことを【呪い子】なんて言う人達もいるだろうけど……そんな経験則をシアンの良さで塗りつぶして、そいつらに一泡吹かせてやろうよ!」
「大事なのは――どうなりたいか……」
ポツリと漏れ出た言葉に、私は力強く頷く。
「そして、シアンはもう、それを持ってるんじゃないの? 変わりたいって、そう、思ってるシアンなら――」
「ッ――」
シアンは一度息を飲み、「そっか……そうだったんだ――」と呻くように言い、片手で両目を覆った。
「シアン、私、シアンの瞳ってラピスラズリみたいな色ですんごく綺麗だなって思う。だからさ、過去に負い目なんか感じないで、ちゃんとその瑠璃色の瞳で自分の歩く道を見よう? 下ばっかり見てたらいろんなものにぶつかっちゃうし、先行きが分かんなくて進むのが億劫になっちゃうから――前を見ようよ、シアン」
「ほん、と……に、君は――」
彼の手で隠れた瞳から、キラキラと輝く真珠がポロポロこぼれ、ようやく――ようやく、彼は自嘲気味な笑みではなく、諦めたような笑みを作った。諦めとは言ったが、今まで彼がしてきた後ろ向きの諦めとは違う。
「ああ、もう……今まで色々悩んでた僕がバカみたいだ」
「悩むのだって大事なことだから、バカなんかじゃないよ? 悩んで、考えて、迷って、苦しんで――そうやって出した答えだからこそ、価値があるんだと思うし、そうやって出せた答えだからこそ、最良の道なんだって思えるんじゃないかな?」
「そう、だね……うん、きっと――そうなんだって思えるよ……ありがとう、ルチアーノ」
彼は手をどけ、赤くなった目元を隠さず、晴れ晴れとした顔で微笑んだ。その付き物が落ちたかのような可愛い笑顔に、私の心臓が飛び上がった。
(うっわ、不意打ちの一撃!? なんですか、今のめっちゃ可愛いんですけど!? 癒し!? 癒しなのか!? やっぱり私の癒しはここに!?)
心拍数が一気に跳ね上がったせいで冷静な思考回路がショートしかけるが、私はこの世界に来てから何度も繰り返したこの葛藤をなんとか鎮める。
(目の前にいるのはイケメン族美青年科天然キラー属性――そう、イケメンというこの世界にありふれた種族! 大丈夫、手順は分かっているはずだ。ただちに、しかし、落ち着いて行動せよ!! そして、心臓は通常運転業務へと移行! さん、はい!!)
「ッ――」
「ルチアーノ?」
小首を傾げる可愛いシアンに私は反応できないほど悶えていた。だが、それは心の中だけで、決して彼には見せないように、普通を装う。そう、私は戦慄していた。
口の中に広がるわずかな血の味に……
(イッタアアアアァァァイ!!! 舌、舌、私の舌ッ――もろ噛みしたッ!!!)
治癒能力が高いため傷はすぐに回復するが、その痛みに、しばし思考が持っていかれる。まさか、こんな形で思考が通常運転に戻るとは思っておらず、少々動揺してしまうがなんとか持ち直す。
「と、とにかく、シアンは色々とすごい子なんだから自分に自信持ってね!」
口内には未だわずかに血の味が残っていたが、傷自体は回復したようだったので、明るくそう言い放つ。シアンは可愛らしく目をパチクリとして私の言葉を受け止めた。
(……舌もろ噛み事件は、とりあえずなかったことにしよう、うん――ということで、シアンはやっぱもっと自信を持っていいよね! だって、シアンは本当に優しくて優秀な子なんだから!)
気を取り直し、シアンについて考える。今はもう先ほどの心臓の跳ねは落ち着き、我が子を見るような(前世でもいたことはないが)優しい感覚が心に広がっていた。ネガティブヤンデレと言いつつも、彼は自分に自信がないくて極端にネガティブ思考なだけで、すごく優しい子だ。
(シアンは自分に自信を持てればきっと、病んだりなんかしない)
「すごいのは…………ルチアーノの方だよ」
優しく目を細めて笑う彼に、私の頬も自然と緩む。
「ううん。シアンはね、奇跡を起こせる心優しい人魚だよ! 私が保証する!」
温かい気持ちが湧き上がり、シアンに微笑みを向けると、シアンは再び「ありがとう」と言い、またポロポロと涙をこぼした。
(まったく、よく泣く子だな)
少し笑みをもらしながら彼が流す嬉し涙を優しくすくってやっていると、ふと、これが本来のシアンの姿のような気がした。
(自分に自信がなくて、心優しくって、泣き虫……)
コトリと何かが胸にはまった気がした。
(なんか、ゲームでは見れなかった本当のシアンが見れた気がする……)
自分に自信がなかったから、主人公が離れていかないように、主人公が自分しか頼れなくなるように、彼女の足を切断した彼……
心が優しいから、そんな彼女の姿を見るたび、自分を呪い、泣きそうな顔をする彼……
泣き虫なのに、彼女をそんなふうにした罪から彼女の前では泣けず、ずっとずっと心で泣いていた彼……
ゲームでの彼を思い出し、目の前にいる彼がそんな風に辛い想いをしなくて良いように願いを込めてしまう。
(シアン――自信を持っていい。胸を張っていい。その優しい心を捨てないでほしい……そして、願わくば――後ろ向きの過去ばかりを嘆くのではなく、これから掴み取れるであろう未来に目を向けてほしい。なりたい自分になるために……)
シアンの綺麗な真珠の涙がポロポロと零れ落ちてくるのを手で柔らかく受け流しながら、私は彼の本来の姿をまぶしく思いながら見つめていた。




