XX 16 XX 真珠の涙(前編)
「ねぇ、あの黒髪ロングの子が主らしいわよ」
「うわあ、服従契約なんてえげつない。っていうか、服従契約なんて初めて見たぁ」
「えぇ~、シェロンくんって変態だけどわりといい物件だったのに、これじゃあアタック出来ないじゃん~、先こされたぁ……」
あちこちから聞こえる声(総合して女生徒が多い)とシェロンのものではない複数の好奇な視線に泣きたくなる。女生徒の話からして、どうもシェロンは少しばかり注目されているような能力の持ち主だったらしい(変態なのも周知の事実のようだが……)。それに加え、女生徒は総じて噂好きだ。瞬く間に話は広がり、まだ戦闘学特論の講義が終わったばかり(服従契約を結んでから2時間程しか経っていない)なのに、早くもこうして奇異の目に晒されるハメになっている……。
うん……シェロン絡みで私へと羨望や嫉妬の視線を向けてくる女子生徒はいるものの、私絡みでそういった視線をシェロンへと向けている男子生徒がいないのがほんのちょっと――うん、本当にちょっとだけ、何かに負けた気がして切なくなっているのは勘違いだと思いたい。
……とにかく、その無遠慮な複数の視線やヒソヒソ話のせいで、お昼時にも関わらず、いつものように学食や購買に直行出来ず、人混みを避けるように学園の外壁に沿って必要以上に大回りに寮へと帰ろうとしている始末だ。
しかも、女子更衣室で着替えている最中に奇異の目で見続けられるのが嫌すぎて、戦闘学特論の講義が終わった途端、脱兎のごとく飛び出して来たため、現在の格好はその時に使用している黒地に赤いラインが入った体にピッタリフィットの体操服だ。もちろん、上下別れたタイプのモノであり、つなぎタイプのモノではない。
ああ、そうそう、体操服が体にピッタリフィットなのは、魔力が組み込まれた服だから着用者の体に合わせての伸縮が自由自在になっているためだ。そのおかげで今は胸の辺りが苦しくないのが最高だ。じゃあ、学校指定の軍服もサイズ関係なくね? と思うかもしれないが、普段着にまでわざわざ魔力を練り込んだ服を着ても意味がないし、制作費がバカ高いから、やはり普通の服にするのが妥当だ。
それでは、なんで魔力を組み込んだ服が戦闘学特論で必要になるのかということなのだが、この講義では文字通り『戦闘』が主である。必然的に危険度も上がり、この講義時には防護服となるこの体操着――ここでは、字面的に戦闘服というのだけれど――が必要不可欠になる。
私がシェロンと共にこの戦闘服を着て顔を出した時、ほとんどの学生がシェロンの首に首輪のようについた服従契約の黒い茨のような痣に気がついた。そして、なんと非常に嬉しくないことに、その黒い痣は私の左手首にもあり、私が主であることが即座にばれた。
クッ、ここでの私の勉強不足さが悔やまれる!!
もし左手首の痣を知ってたら、私の方だけはリストバンドとかして隠せたのに!!!
そう、たとえシェロンが首の痣を見せびらかすように戦闘服の上着を手に持ち、黒いタンクトップ一枚で、その見事に引き締まった少し筋肉質(ムキムキってほどではないが、以外とガッシリしてて驚いた……いわゆる細マッチョというやつだろうか?)で綺麗な体を見せつけていても、私の方は隠せたのに!!!
……いや、隠せたか???
この変態、私にベッタリくっついてるぞ?
首輪をつけた相手なんて一目瞭然じゃないか?
遅かれ早かれバレるんなら初めから諦めて開き直った方が良いのかもしれない……思わず虚ろな目で周囲にいる野次馬連中から目をそらす。
服従契約……今はほとんどすたれたもので、主がする命令に従者は【何でも】従わなければいけない呪いの契約だ。
普通の――良識的な考えをお持ちの方ならまあ使ったりなんかはしないだろうと思われているものだからこそ、皆さん興味本位で見に来ているのだろう。そのたくさんの野次馬達の声と視線を前に、やはり簡単には開き直ることができず、小さな唸り声を上げてしまう。
(うぅ、私は珍獣か何かか……)
「ルチア、どうしたの?」
「どうしたのって――あんたが私の下僕になったせいで、注目集めすぎて嫌になってるんだってーの!」
思わず私の斜め後ろを歩いていた諸悪の根源――シェロンにグッと顔を近づけ小声で言うと、彼は頬を真っ赤にして、私から視線を逸らした。ちなみに、彼も私と同じで戦闘服姿だ。もちろん、今は上着のチャックをキッチリ上まであげさせているため、痣は見えない。
「??? そっちこそどうしたの?」
「あ、なんか、これでやっと皆公認のルチアの下僕になれたんだって思ったら、急に照れちゃっグハッ――」
変なことを口走った彼のみぞおちに思い切りパンチを入れると、軽く吹き飛んだ彼が学校の外壁にぶち当たり、外壁が崩れた。
その様子を見ていた周りの学生がサッと青ざめ、一瞬で私から距離を置いたのが分かった。たぶん、物理的な攻撃では敵わないと悟った彼らの防衛本能だろう。魔力での防御が可能な位置まで後退し、少しばかりの動揺が顔に表れている。そんな彼らに、私はここぞとばかりに睨みをきかせる。
たぶん、あとひと押しでこの奇異な視線から解放される。
私は少しばかりの殺気を視線に込め『さっさとどっか行けよ。見せもんじゃねーんだぞ?』と不良顔負けのガン飛ばしとやらをやると、彼らはそのままそそくさと去っていった。そんな彼らの背を見ながら、『フッ――勝ったぜ』(戦い(?)には勝ったけど、乙女としての何かは崩れ去った気がする)などと思っていると、シェロンとは違う澄んだ声が聞こえた。
「ルチアーノ、あ、会えてよかった……」
か細い声がした方を見ると、シアン色の長い髪が風で舞うのを押さえながらこちらへと走り寄ってくる美青年の姿があった。
(うん、さっきの私よりもシアンの方が女の子らしいんだけど――?)
「……シアン、うん――今日の朝方ぶりだね☆」
少しばかり乙女としての自信を喪失しながらも、私は精一杯明るい挨拶を返した。
(……強く生きるんだ、自分)
そんな私に、彼は頬を染めて下を向いた。
「ああ、うん、その――」
非常に可愛らしい反応だとは思ったが、下を向いたせいで見えなくなった群青色の瞳が残念だと思い、思わず彼の頬を両手で包んでしまう。私の行動に、彼は目を白黒させながら頬を真っ赤に染めた。
(あ――やっちゃったわ……私の体、思い立ったら即行動☆ しちゃうのやめようか? ……うーん、この後どうしよう?)
咄嗟に手を伸ばして触った彼の頬はとてもスベスベしていて羨ましいほど手触りが良かった。彼の白くてきめ細やかな肌が赤く色付く様は、本当に愛らしく、思わずその気持ちのいい手触りを堪能しつくして彼を困らせてみたいなあ……なんていうイタズラ心まで湧いてきてしまいそうだ。
「え、な、ななな、何かな!?」
(うん、そういう反応を返されると余計にイタズラ心が刺激される……まあ、今はやらないけど――)
私はイタズラ心を心の奥へと押しやり、彼の頬に手を伸ばしてしまった理由を頭の中で整理する。とりあえず、やってしまった行動というのは収集がつかないので、正直な言葉を彼にぶつけるのが良いだろうと結論付け、私はそっと口を開いた。
「……あのね、シアン。シアンの目は綺麗だからさ、顔、あげた方が良いよ。目が見えないと話してて不安になるし――」
その言葉に、シアンはしばしの沈黙の後、魚のように口をパクパクさせ、顔を青くしたり赤くしたりしている。
(? もともと、人魚だし、関係あるのかな?)
あまりに不思議で面白い行動に、じぃっとその様子を見ていると、彼の瞳がうるうると涙の膜を張り始めた。
「わっ! ご、ごめんね! 急に捕まえて!」
急いで彼の頬から手を離すと、彼は緩く首を振り、ぼそりと何かを呟いた。いくら耳の良い獣人と言えど、言葉半分に飲み込まれた言葉は聞き取れない。何やら、君は本当に――などと言っていたようだが、後半は分からない。
「ごめん、やっぱり嫌だったよね……」
「ううん、ぜ、全然嫌じゃないから!!」
少しばかり肩を落とした私に、顔を真っ赤にしながら必死にそう言ってくれる彼にホッとする。
(てか――シアンって本当にいい子だよね……この子のどこがネガティブヤンデレなんだろう?)
ふと、シアンの可愛らしい反応からそんなことが頭をよぎり、ゲームの内容と現在目の前にいる彼との違いを考えてしまう。その時、不意にゲームでも見慣れていたネガティブの要因――彼の目の下にある隈が心配になってきてしまう。きっと、日々の研究のせいであまり寝ていないのだろう。ついつい、お母さんのような世話焼きの心が出てきてしまい、眉が下がる。
(まあ、隈はあるのに肌スベスベとか――ズルイと思わなくもないけど……。だってさ、前世の私なら夜ふかししたらもれなく『肌の調子は絶不調☆』が付いてきたんだよ?)
やっぱりこの世界はイケメン養育所かなにかだ――などという思いをなんとか意識の端に追いやり、私はシアンの綺麗な顔に浮かび上がる隈を見つめる。
「……ねぇ、シアン――あの後ちゃんと寝た?」
「え、ああ、うん。寝たけど……どうして?」
「隈がひどいから……体は大事にしてね――」
シアンの体調を考えて優しくそう言うが――どうもその言葉が彼が持っていた何らかの琴線に触れてしまったらしい。その群青色の綺麗な目を大きく見開き、とうとう、その瞳からポロポロと綺麗な結晶が零れ落ちてしまった。ギョッとして辺りを見渡すが、周囲には私とシアンと崩れた外壁の破片の中でハアハア頬を上気させているシェロンしかいない。
私は瞬時に戦闘服の黒い上着を脱ぎ、彼の頭からかぶせる。もちろん、戦闘服の下にはちゃんと黒いTシャツを来ている。あ、黒いTシャツには推しキャラのイラストとかショタ最高なんていう変な言葉とかないからね! 普通の無地のヤツだからね!
え、それじゃあ、前世では持ってたのかって?
ほ、ほら、そういう情報別にいらないよね?
今、関係ないから、それ!
シアンよりも私の方が大慌てだが、とりあえず、シアンの顔を周囲から隠すようにしっかりと上着を被せる。人魚はこの世界で絶滅寸前の種族だ。その涙である結晶もその血肉も非常に高価で、下手をすればこの学校の中でさえ、売りさばかれる危険性がある。それに、もし、シアンの特殊な体質が知られれば、それはそれで実験体として扱われてしまうかもしれない。
「シアン、とりあえず、ちょい汗臭いかもだけど、しっかり被っててね」
ちなみに、着替え用に持ってきていた軍服はシェロンが持つと言ってきかなかった(駄々をこねた)ので、面倒臭くなり、預けてしまっている……つまり、それが入った袋は彼の異空間の中――自分の意思で咄嗟に取り出せないため、やはり自身で異空間収納ができないのは本当に面倒だと思う。
(……うん、今、ものすごく更衣室で着替えてこなかったことと着替えを変態に預けちゃったことを後悔してる。ほんと、何が悲しくて講義で汗だくになった後の上着を攻略対象に被せなきゃならないんだ……男女が逆ならまだときめきポイントがあったかもしれないけど――乙女なのに汗臭いってのはかなり切ない……。とりあえず、シアン、君のためだ。少しの間その汗臭さを我慢して、その後はこのことを忘れてね!!!)
私が少し乙女としての尊厳を意識の端にやっていると、シアンが上着の中から声をあげる。
「そ、そそそ、そんなことないよ! ルチアーノの甘い香りが染み付いててちょっと落ち着かないけど、むしろ嬉しいというか、ずっとこうしてたいっていうか、あ、でも、僕にはちょっとまだ刺激が強いというか――じゃなくて、ご、ごごご、ごめん――その、僕……!」
「謝るのは後! とりあえず――ああ、うん、シアンの研究室に行こう!」
シアンの反応からどうもそこまで汗臭くはなかったようだと分かったので、少々ホッとしながらも、たぶん、今の涙を見ていないだろうシェロンをその場に置き去りにし、私達はシアンの研究室へと向かうべく早足で歩きだしたのだった……。




