XX 14 XX 優しい温度(裏)
~シアン視点~
((ルチアーノが寝た後))
「え、ちょ、ちょっと!? え――!? な、何? だ、だい、大丈夫?」
嬉し恥ずかしい白衣から学校指定の軍服姿になっているため、彼女に躊躇なく近寄れる。
とうの彼女は床で猫のようにくるりと丸まり、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「あ、え? …………寝ちゃった――だけ? そっか……はああぁぁ……よ、良かった……」
僕は脱力感と安心感からか、彼女の隣にペタリと座りこんでしまう。
(あ――そういえば……さっき、倒れた時にすごい音がしたけど……)
そっと彼女の体に触れてみる。その瞬間、慣れない柔らかさと温かさに驚いて、ビクッと手を引いてしまった。
(お、おおお、落ち着け、自分。け、決してやましい気持ちじゃなく、怪我がないかどうかを見るだけなんだ……そう、彼女を起こさないように、そっ――)
「ヒッ――!」
反射的に喉からひきつった声が出てしまった。その原因は僕の伸ばした手に頭をこすり付けてきた彼女……。
(け、怪我は――!? な、ななな、なさそうみたい……)
落ち着かなさを残しつつ、彼女の体をサッと観察してみるが、痣なんかは見受けられない。正直、治癒力の高い僕達なので、怪我をしてもすぐに回復してしまうだろうが、怪我は痛みを伴う。早々に魔力で治癒してその痛みを取り除いてやりたい、彼女に苦痛を与えたくないと思ってしまう自分がいて、その考えに達した自分自身に驚く。
そんな驚きに身を固くしたまま、僕は彼女を見つめる。心臓はまだ鳴り止まないが、彼女があまりにも幸せそうな顔で眠っている様子を見て、今度は次第に温かい気持ちがこみ上げてきた。思わず緩んでしまう口元を隠しもせず、僕は彼女の顔にかかった艶やかな黒髪を手でそっと払う。
僕のために、こんなに頑張ってくれた誰かを見たのは初めてだった――。
人魚達からは『生まれ損ないの呪い子』と言われ続け、ずっとずっと『僕は害でしかないはずなのに、なぜ生きているのだろう』と思いながらも、ひたすら自身の毒のことを研究し続けた。もしかしたら、僕が生きていることに意味があるのかもしれないと、無我夢中で毒をなんとかしようと研究した。
でも、それでも、この身に宿る毒を消滅させることなんてできなくて……そんな時にあの花達を見つけ、思わず自分と重ねてしまった。身に宿る己の毒に身体を蝕まれ死んでしまう水色の――ううん、【シアン色の花】が正しいのかもしれない。あの誰にも気付かれず、無意味に命を散らしていく花の精霊達――あれこそが僕だった。
僕はあの花とその精霊達を助けることで、僕自身も助かるのではないかという甘い夢を見ていただけだった。だから、彼女とぶつかって魔薬がダメになった時も、ああ、僕は夢すら見てはいけないのかと全てを捨ててあの花達のように死んでしまおうかと思った。
だって、僕が『生まれ損ないの呪い子』なのは変わらないし……変えられないことだって、心のどこかでずっと思ってたのだから――。
それ、なのに……
それなのに、彼女は――
「あなたは……期待してくれるの? こんな……こんな生まれ損ないの僕なん――」
『僕なんかに』いつも言ってしまう言葉を僕は飲み込んだ。
(自分の価値を下げるのはやめて……か)
彼女の言葉に、涙腺が緩む。
ポロポロと零れ落ちるのは、腕輪で制御しきれない結晶。白くて丸いそれは、パラパラと床に散らばっていく。人魚の出来損ないなのに、涙だけは一人前の人魚……それが、僕。
人魚なのに能力で出した泡がないと水中で呼吸すらできない人魚の生まれ損ない――そんな僕の居場所というものは、当然、生まれた時からどこにもなかった。海底の檻の中に入れられて、ずっとその外を見つめているだけだった。
ようやく、新世校から与えられたこの腕輪――学生証のおかげで二本足で歩けるようになって、研究室までもらえたけど、こんな出来損ないの僕にはやっぱり居場所なんてものはない。
だからずっと僕だけしかいないこの研究室にいるつもりだった。誰からも期待されず、誰からも必要とされず、ただ、この暗い空間で一人……ゆっくりと死んでいくつもりだった。
(それなのに……)
「あなたは……ルチアーノは――僕を……必要としてくれますか?」
僕から誰かを好ましく思うのは初めてのことだ。自分から誰かに必要とされたいと思うのも、もちろん初めて。そして、こんなに誰かを愛おしいと思うことも……。たった一日ですべてが変わった。彼女と出会って、すべてが変わった。
するりと彼女の頬を撫でると、寒いのか僕の方へとすり寄ってきた。
(あったかい……)
僕は彼女の温もりを感じ、再び涙がこぼれそうになる。
(深海で魔力の泡に包まれていた時よりも、ずっと、ずっと――あったかい……)
胸がいっぱいで、苦しくって、僕は温かい彼女の隣で目を瞑った……。
「ねぇ」
「!?」
突然、男の低い声が聞こえて飛び起きると、そこには長い金髪に鋭い光を放つ金眼を持った青年がいた。彼はそのきれいな顔に、張り付いたような上っ面だけの笑みを浮かべている。
「そろそろ、俺のご主人様を返してくれる?」
「ご、ご主人……様?」
「うん。ルチアは俺のご主人様だよ?」
金色の長いまつ毛を伏せ、殺気を込めた視線を投げつけてくる彼に、本能が警告音を鳴らしている。
「あなたは――」
彼はそのスラリと伸びた長い手足を優雅に動かし、スッと僕との距離を詰めてくる。……背中を冷や汗が伝う感覚が気持ち悪い。彼は僕の怯えた様子に笑みをさらに深め、ジャリッと僕の涙で出来た魔力結晶を踏み潰した。
「俺はルチアの下僕だよ。ルチアの命令ならどんなことでもやる忠実な――ね。でも、ルチアがどんなに俺のことを嫌っても拒絶しても、俺はルチアの僕。そこだけは変わらないし、変えさせない。そんな俺が【ルチアの望んでいないかもしれないこと】を見逃したりはしない」
彼の言葉はなんとなく矛盾している気がする。だって、彼女の命令ならなんでもやると言っているのに、彼女が拒絶しても僕で居続けようとする……それは彼女の命令に反することになるのではないだろうか? それに、もし本当に彼女のことを思うなら、潔く彼女を諦める覚悟もしなくてはいけないはずだ。
でも、非常に不快なことに、彼のそのドス黒い気持ちを……僕は知っているような気がした。
「未熟なあんたになんか渡さないよ? 俺のご主人様は――」
正直、無茶苦茶な言い分だったが、彼女を姫抱きにして研究室から出ていく彼の背を見て、僕も決意を固めた。
「僕だって――諦めない」
(たとえ、今はまだ叶わずとも……)
そう、【未熟】と言われれば、いつも後ろ向きになっていた自分とはもうさよならだ。僕はずっと締め切ったままだった暗幕を開け、朝日を見つめる。
『生きてたらいくらでも変えれるし、変われる』
彼女の言葉が鮮明に蘇る。
「僕も……変わるよ」
……もちろん、そのすぐ後、日の光に弱い研究材料が文字通り灰になり、またもや嘆いてしまうことになるのだが、それはまた、別の話だ。
(ああ、もう、ほんとに僕ってかっこ悪い……とりあえず、日の光に弱い研究材料はちゃんと異空間の保管庫にしまっておこう……)
僕はもう一つの決意も胸に掲げ、部屋に入ってきた金色に輝く朝日を睨んだのだった。
~シアン視点END~




