怒りを映す紅の瞳
部屋に近付いてくる別の気配にリシェアオーガが気付き、微笑んだまま閉じられた扉を見つめる。
「エルア、コウ、ユコ、べルア、如何やら、その大馬鹿者共が来たようだ。
暫くの間、静かにしておれ。」
命令と悖れる言葉に、姿なき声達は頷き、部屋に静寂が戻ったが、それは直ぐに打ち消された。ドカドカと響く、数人の足音と騒がしい声。
段々近付いてくるそれに、リシェアオーガはほくそ笑んでいた。
真実を何も知らずに、騙されたまま近付く獲物を待ち構える捕獲者………
いや、制裁者。
無邪気な神子の姿を演じ、罠を仕掛けた、戦の神。
全ては、この為に用意された事。
精霊達を、この国の人々を、脅かす、邪な輩を廃する為に張り巡らされた物。
己の気配と持てる力を偽り、か弱き神子を演じた甲斐があったと、リシェアオーガは嬉しそうに、不敵な微笑を浮かべる。
騒がしい音が近付くにつれ、その笑みを心の内に隠し、表面では怯えた顔を作りながら、扉が開かれるのを待つ。静かに佇んでいると、漸く部屋の扉が勢い良く開けられ、数人の男達が入って来た。
彼等は、豪華な寝台の上で座り込んでいる神子を、その目で捕え、真っ直ぐに近付いてくる。急に部屋の扉が開けられた事に驚き、怯えた表情の神子の顔を間近に見た彼等は、一往に下品な笑いを浮かべる。
「初めまして…神子様。御噂通りの美しさですな。」
様々な色の髪をした彼等の中で、最も上の身分らしい男が、片手で神子の顔を上げさせ、その顔を確認する。
僅かながらでも、精霊の血を引いているらしい彼等の顔は、人間にしては美しい部類であったが、如何せん振る舞いが強引で、無礼であった。
名前を名乗らない彼等へ、震える声が聞こえる。
「何で…時間をくれるって…言ったじゃないの…」
怯えている様に聞こえるそれに、彼等の笑みは深まる。
「あ奴…ダイナが何か言った様ですが、私共には何の事やら。
しかし…女性で無くてもこの美しさなら、十分慰み者になれる…神子を穢せると思うと…興奮するな。」
下非た言葉を吐く男へ、勇気を奮った神子が言葉を返す。
「僕に…触れるな!!」
強烈な拒絶に一瞬、彼等の動きが止まった。
その間に神子は、彼等との間を取る。逃げと取れるそれに彼等は、寝台に繋がれた鎖を掴み、神子を自分達の方へ引き寄せる。
力無く元の位置へと戻された神子は、気丈にも彼等を睨み付ける。
「慰み者って…僕を性欲の捌け口にするの?!
今まで多くの精霊をそうした様に!!」
思い掛けない質問に彼等は、一瞬、感心した顔になるが、直ぐ元の下非た笑い顔に戻り、首謀者と思われる男が、逃がさない為に神子の左腕を捕らえる。
「そうですよ、神子様。これから貴方は、私によって穢される。
くっくっくっ…はははは…ダイナの悔しい顔が見れるってもんですよ。今まで相手をさせた光の精霊より、遥かに御美しい光地の神子様…覚悟は宜しいかな?」
「宜しく無くても、無体は止めないのでしょ?
……一つだけ、聞いて良い?精霊の中に…木々の精霊はいたの?」
観念したように顔を下げ、再び質問を投げ掛ける神子へ、男は楽しげに答える。
「ええ、居ましたよ、沢山ね。泣き叫び、許しを乞うても抱き続けて、死に至らしめた者もいましたし、子を孕んで絶望し、自ら命を断った者も…ね。
所詮、精霊は私達の子を産ませる為の道具、何をしようと私達の勝手、思うがままですよ。」
そう言って、神子を押し倒そうとした男の腕が、一瞬にしてあらぬ方向へと曲がった。大きな悲鳴と共に、床に転がる男を、周りの者達が心配したその時、不思議な事が起こる。
「あ~あ、我等が主を怒らしちゃったよ~。」
「ほんと、愚かで、お馬鹿な人間達ですね。」
「そうだな、我等が主の逆鱗に触れるとは…何とも無謀な輩だ。」
「…神子様の怒りを買うなんて…。
本当に自分達の事しか頭にない、連中だったんだね。」
四人分の姿無き声が部屋に響き、彼等は辺りを見回すが、声の大元は見つけられない。そして…
「本当に愚かで、如何し様も無い輩だ。
精霊に無体を強いたばかりか、己らを創りし神々にまで牙を剥くとは…。」
先程まで、怯えた声で話していた筈の神子から、強い口調の言葉が紡がれる。この事実に驚き、件の神子へと視線が集まる。
俯かれた顔がゆっくりと上げられ、紅の瞳が彼等を捕える。
始めに見た、澄み切った青空色の瞳で無く、血を映した様な真っ赤な瞳で彼等を見据え、更に言葉を綴る。
「もう、この茶番も終わりだ。
エルア、コウ、ユコ、べルア、姿を現して、この大馬鹿共を成敗せよ。」
「「「「承知しました、リシェアオーガ様。」」」」
四人分の返事か聞こえ、何も無かった筈の空間から、同じ数の人物が現れる。
二人は神子と共に来て、別室で捉えられている筈の剣士達。
白地に黄色の長龍の裾模様がある騎士服を着込んだ少女と、黒地に黒く光る長龍の裾模様がある騎士服を着込んだ少年。
対照的な彼等と共に、同じく砥粉色に、白い長龍の裾模様がある騎士服を着込み、風の神の祝福を受けた、白い髪と虹色に変化する瞳の男性。
最後の一人は、この国の将軍であり、炎の神の祝福を受けて生まれ、炎の剣に担い手でもある青年。
しかし青年の服は、この国の将軍の物で無く、紅の地に踊る炎の裾模様がある騎士服…これが意味する事柄を彼等は悟った。
この国の将軍で無く、炎の神の騎士。
紅の騎士とも呼ばれる神々の騎士と精霊剣士…いや、長龍の文様がある精霊剣士や精霊騎士など、存在しない。
それは…たった一つの事を示す。
「ま…まさか…神龍が…?何故…ここへ??」
やっとの思いで口から出た言葉に、騎士達で無く、神子から返答がある。
「答えは簡単だ、私が此処に居るからだ。
我が騎士達と紅の騎士よ、存分に暴れて良いぞ。但し、命は取るな。」
序でとばかりに追加された命令に、彼等は頷き、神子へ無体を働こうとした者達に向かって、剣を抜かず、素手と持てる力だけで対峙し、尽く倒して行く。
かなり激しい音が部屋中に響くが、外から何の反応も無かった。
それもその筈、この部屋には既に、リシェアオーガによって消音の結界が張って有り、外へ音が漏れない様になっていた。
だからこそ、姿なき声が部屋で聞こえても、誰も駆け付けなかったのだ。
一通り愚かな獲物達が床に平伏すと、寝台から降りた少年が彼等の前へ出る。この時、彼の服装の装飾が、今まで纏っていた物と全く異なった物になっていた。
神子服にあった白地に金と紫の線の他に、金色の長龍がこちらを見据えている物が加わり、上着の下の服が、騎士服へと変っている。
その顔に、怯えた表情は無い。
浮かぶのは、厳しく怒りに満ちた表情のみ。
そして…その身に、怒気を纏っていた。
神子と言う偽りの気配を纏っている所為で、束縛力は弱いが、それでも彼等には十分な程、動きを止められていた。
「な…ぜ…動ける…それに…服装が…」
黒い枷と鎖の制限を全く受けていない様子で、平気な顔をして立っている神子に、彼等は驚いていた。
聞こえた声で未だ自分の身に力を無くす為の物が、着いている事を思い出した少年は、その顔を不敵な笑みへと変える。
「ああ、そう言えば、我の名を名乗っていなかったな。
我の名はリュージェ・ルシアリムド・リシェアオーガであり、ファムエリシル・リュージェ・ルシム・リシェアオーガである。
…知らぬとは言え、そなた達は、愚かにも神である我に牙を剥いたのだ。故に、それ相当の罰を覚悟して貰うぞ。」
楽しそうに告げると、繋がれている鎖を己の腕力だけで、引き千切る。紙で出来ているかの如くに、難無く千切れた鉄の鎖に、床にいる者達は畏れ振るえる。
神子で無く、神。
神の力を持つ以上、この程度の枷では、封じる事は出来無い相手。
そう、大いなる神か、初めの七神で無ければ、封じる事が出来無い神々の一人が、目の前にいるのだ。
彼等の様子にリシェアオーガは、笑顔のまま、罰を告げる。
「こ儘生かして置くのも、周りの迷惑になる。
故に、この場で命を果て、転生によって罪の償いを繰り返すが良い。」
そう言って、彼等の引導を自らの手で行う。剣で無く、手刀だけでその生を奪い、彼等から浴びた返り血を消し去った後、その魂を青き輝石に封印する。
彼の掌で隠れる大きさのそれを懐に仕舞い、消音の結界を外す。
「我の騎士達とフレィの騎士よ。
さあ、これから存分に暴れまくるぞ。」
無垢な神子を演じ続けた所為か、今の出来事でも解消出来ない程、鬱憤が溜まっている様子のリシェアオーガから、楽しそうに告げられた物騒な言葉に、騎士達も同じ表情で頷く。
「リシェア様、余り暴れ過ぎて、この国を壊さないで下さいね。」
冗談交じりの炎の騎士の忠告に、判ったと返事をした彼は、風の神龍を使い、外にいる騎士達へ突撃の命令を下した。




