EP01
EP,01
冬の凍てつく寒さがなくなり、桜の花がほころび始めた今日この頃。季節はすっかり春となり、四月のはじまりは、嬉しい出会いと淋しい別れの季節。それでもどこか希望に満ち溢れた新年度は、新しい出会いと輝きに活気を帯びている。
国道20号と環状線が入り混じるこの街、七尻市も、例に漏れず新しい季節に街ごと活気があふれていた。自治体と街に住む若者が力を合わせて春祭りを行ったり、市長が朝から駅前でこれから仕事に向かう人々に笑顔で挨拶まわりをしたり、市立の小学校に初めて登校する新一年生に街のボランティアが見守り隊をしたり、とにかく、七尻市はおじいちゃんから若者、赤ん坊まですべての人が、この春の訪れを穏やかな気持ちで迎えていた。
そう、街の人は思っていたのだ。
「大丈夫ですか!?」
「大変だ、息をしていないぞ!」
「救急車は?」
「先ほど呼びました!!」
大通りは混み合い、長蛇の渋滞が起きている。クラクションを鳴らす車、怒鳴る運転手たち。わざわざ車から降りて、何が起きたと確認しに行く人々。渋滞だ起き始めてから約30分、それは全く進まないのだ。
その、車の列の最先端。響き渡る喧騒は、悲鳴と泣き声、怒号に笛の音。渋滞の根源であるそこ、七尻市西郵便局の前で、大勢の人だかりができていた。老若男女関係なく人々は集まって、目を伏せている者、あるいは何かに話しかけている者、電話をしている者、通りがかって驚いている者。とにかくみんな同じなのは、必死の形相をしているということ。人だかりのそばには赤い車が一台あり、車体に寄りかかっている男性は真っ青な顔で俯いている。
そこからおよそ5メートルほど離れた、12階建てのマンションの前。そこに、丸岡光也は呆然と立っていた。
「……いやいやいや」
丸岡は口をあんぐりと開けて、ただただ人々を見つめていた。右手にはすぐそこにあるスーパーの名前が書かれたレジ袋を提げており、背中に「萌」と書かれたくたびれたワイシャツ、ジーパンという姿である。おかっぱ頭をゆっくりと揺らして、しかし視線は外さない。どうやら、開いた口は塞がらないようだ。唇の端からよだれが垂れる。
空は濃く、真っ青に晴れわたる。日差しも気温も過ごしやすい優しさで、近所の高校が記念に埋めた道路脇の梅の香りが、ほんのりあたりを漂う。活動するにはもってこい、素敵な1日になりそうな日だ。
遠くからサイレンの音が聞こえてくる。そして、間も無く救急車が人々の前に到着する。誰かが写真を撮ってる人を怒鳴りつけている。
人の波が揺れて、その場には数人しか残らない。すぐに救急隊員がぞろぞろと降りて来て、ひとりは誰かと話をして、あとの何人かは担架を持ってきてしゃがみ込む。
ごろり。
「……いや…いや、いやいや」
丸岡は愕然とし、頭を抱えて膝を折った。心なしか指先は震えて、顔が真っ青になってゆく。
担架に乗せられる、血みどろの体。片腕と両足はおかしな方向に曲がっており、頭部はお椀のようにぺしゃんと潰れている。”それ”があったところには欠けた歯のような物がいくつか転がっており、髪の毛が血と混ざり合って散乱している。
ごろりと曲がった、その首。黒い瞳が丸岡を真っ直ぐに見つめる。
それはまぎれもなく、死体と化した丸岡の体だった。
***
救急車が遠ざかっても、人々は絶えずその場を見つめていた。大勢の警察官が交通整理をしていたが、相変わらず道路は混み合っている。
そんな、緊迫した街の一角で、丸岡は先ほどから狂ったように行ったり来たりを繰り返していた。
「いやいやいや、待て待て待て。おかしいだろ……おかしいだろぉ!!」
雄叫びを上げようが道路に飛び出ようが、誰も気づかないし振り向きもしない。そりゃそうだ、丸岡は、先ほど轢死したのだから。
一時間前、日課の散歩に出ようと思った丸岡は、母親に一声かけて家を出た。それからぐるりと近所を一周して、家から徒歩3分の距離にある「スーパーゆうゆう」に入り、大好きなバニラアイスクリームと母親に頼まれた海苔を買って、帰路に着こうとしていた。丸岡はいわゆるニートであるため、この習慣が基盤であり、当たり前だったのだ。
だからまさか、あと何十歩で家の玄関までたどり着くというところで事故に遭い、さらに轢死してしまうなんて誰も考えない。むしろ考えつく方がおかしいだろう。
なので、丸岡は混乱していた。誰も自分に気づかない、そして何故か天国だか地獄だかへも行けない。ただただここを行ったり来たりしている。俺はどうすればいいのだ。とりあえず、家に帰ればいいのか。
混沌とする脳内は、いつまでも良い結果を導き出せない。写真をぺらぺらぱらぱら撮りまくっている野次馬どもを睨んでは、得体の知れない恐怖に頭が痛くなる。
「あのお、すいません」
この騒ぎで、さくら大会は中止になったかもしれない。と丸岡はふと思った。この通り沿いの七尻駅南口で開催される、桜の木の写生大会だ。たしか、今日だったよな。うちのばあちゃんも自治体から参加するとかなんとか言ってたっけ。丸岡の頭に、笑顔のおばあちゃんが浮かぶ。今年で84歳、元気なうちにいつか結婚するからと約束していた。俺の晴れ姿見てね、と。
それももう叶わない。丸岡の目に涙が浮かぶ。
「すいません、あの」
ああそれから、姉ちゃんにちゃんと謝らなかったな。
喧嘩をしていた2歳年上の姉は、いつも丸岡と喧嘩をしていた。意見が全く合わないのが常で、二年以上話さないこともあった。
それでも、姉はいつも丸岡のことを気にかけてくれていた。いつまでも職が決まらない丸岡のために就職リストを作ってくれたり、かわいい女友達を紹介してくれていたりもした。
一ヶ月前から、喧嘩をしていた。結局、謝れないまま死んでしまった。丸岡はついに涙をこぼす。
「すいません!!あのぉ!!」
怒号に近いその声に、丸岡は振り向いた。
「あんだよ!?」
「あの、丸岡光也さんですよね」
見据えたその先、ふわふわ浮かんでいるそれに、丸岡は自分の正気を疑った。やはり、頭のどこかを強く打ってやられたのかもしれない。だから俺は、いつまでもここを離れられないのかもしれない。
視線の先にいたのは、謎の生き物だった。
紫色の体はスライムの形容で、ぐにゃぐにゃと伸び縮みしている。頭部には申し訳程度にまあるい目ん玉が二つ付いており、小さなおちょぼ口がぽっかりと空いている。
丸岡はとりあえず、自分の頬をつねった。だが、どうやらこれは、現実のようで。
「初めまして!私、冥界案内人のシロと申します!」
……誰だこいつ?
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初めまして!作者の片瀬です。
第1作目、いかがでしたでしょうか。丸岡はこの先どうなることやら…
末長くお付き合い願います!