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僕らは帰りのバスの中で誰一人として話すことなどなく、暇つぶしをすることもなく放心状態となっていた。誰も今日見たことで盛り上がろうとしなかった。宇宙船なんかも一瞬頭に描かれるもすぐに消えてなくなり、盛り上がりを見せることはない。もう二度とあそこへ行かない。口に出さずとも僕は全員から同意を得たような気がした。
家に着き一番最初に僕を待っていたのはやはり父であった。
ビルで見たのは本当のことであったらしく、無言で僕を威圧するその様子に確信を得た。
殴られる覚悟はあったが、父は僕は殴ろうとはしなかった。代わりに一言だけ僕に二度と近づくな、とだけ伝えると頃合を見て息子を呼ぶ祖母の声に従って風呂場の方へと向かっていった。
本日二度目の奇跡であったのだろうが自覚はなく、靴を脱いで家に上がろうとしたところを父と代わって現れた祖母に制止された。
「光一、あんたその格好であがるつもりかい。ちょっと待っときな」
祖母が母に僕の姿を伝え、まだ料理の途中であった母が僕が風呂場まで向かうために雑巾を床にひいて道を作ってくれた。その上を踏んで風呂場まで行き、湯を張ってくれていた父にお礼をいってからいつもより早めの湯浴みをした。服を脱ぐ前に鏡で自分の姿を見ると、あの排気口に溜まっていた煤のせいで黒くなっていた。
シャワーで念入りに煤を落とし、湯船に浸かると思わずおじさんのようなため息が漏れた。
疲れと緊張感がちょうど良い湯加減によってほぐれ、体の芯まで温まる。
しばらくぼーっとして立ち上がる湯気を眺めつつ、今日のことを振り返った。
あそこでみた宇宙船とは一体なんだったのだろうか。なぜ宇宙船があんなところに。
そもそもここは一体どこなんだ。
僕は急に根本的な部分を思い出した。ここにいる理由、ここへ来た理由。
あれ以来、首相とは会っていない。その友達にももちろんあっていなし、あっちゃんのその後も全くわからない。携帯の番号は交換しているが、別れてから着信はない。少し古いがハガキでも書いてみようかと考えたが、彼らの現住所なんか聞いていないのである。
縁はあの日以降なくなり、僕は確かにあの日悲しんでいたのはずなのだが、学校がはじまり新しいクラスと友達、難解な授業に追われる毎日で彼のことなど全くといっていいほど忘れてしまっていた。
僕が単純な人間だけなのだろうか。
考えれば考えるほど疑問は泡のように湧き上がるが、半透明のドアに映る父のシルエットが僕を呼ぶのでそこで止めにした。
翌日になって僕は学区へ行くためのバス停で正志をみつけた。
最前列にならんでいたのだが、僕に気づくと後ろの低学年の生徒に譲ってやり、最後尾に並び直した。
「おはよう。家の人になんか言われた?」
「おはよう。父さんに二度と近づくなって言われたよ。正志は?」
「僕はグーパンチだったよ」
最初から気になっていた鼻が黒くなっているのは煤ではなく、拳によるものだったことを知らされた。 皮膚の内出血によってできた痣は見るからに痛々しい。
「岬は?」
「今日は日直。だから一本早いので行ったんだと思う」
バスがやってきた。僕らは前列から二番目のいつもの席に座った。
低学年の子たちが席や狭い通路で遊びながらそれを注意する高学年の生徒たちの中で、僕らは昨日のことは一切話さず、最近買ったばかりの新しい玩具の話題で盛り上がった。