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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

MAGGOT'S DEAR

作者:

 命とは、この世界から消滅した、たった一つの生命の塊に過ぎない。それはきっと不変の事実で、これから命の価値が上がることも下がることもないのだろう。悪人さえ放置される時代だ。それ程、世界は忙しなく機能しているということである。

 僕は今から約数日前に、この世から消えた存在だ。それは極めて突発的なものであり、予測し得るものではなかったと断言できる。

 そして僕と共に、地球から一つ生命の灯火は吹き消された。それは最愛の妻であり、僕の良き理解者であった。彼女との出逢いで得たものは数え切れぬほどあったが、改めて今考えてみれば失ったものなど何もなかった。それ故に彼女の存在は絶大で、僕の生きる理由でもあったのだと思う。

 気が付けば僕と彼女は、互いが放出した冷めた湯のような血の海で溺れていた。

 殺人、だったと記憶している。

 相手の顔には興味が無いが、彼に対しての怒りは忘れはしない。

 僕が最後に見たのは、裸に剥かれた彼女だった。白い肌が赤黒い静脈血で汚れ、腹からはナイフの柄。自分からも同じものが流れていることは、その時は殆ど関心がなかった。

 僕は恐らく、嗚咽混じりの咆哮をしたと思う。

 声のこだまでそこが森の奥なのだと知った。鳥も見つけ出すことのできないような、深く昏い森だ。

 やがて喉が掠れ、ヒューヒューと息が漏れる音がしなくなり、叫ぶのを辞め、生きることを諦めた。

 隣を見れば、美しい妻が醜い姿で息絶えていた。血液の絨毯は地面に染み込んでいったが、代わりに感じた初冬の土の冷たさが、酷く身に染みた。


 瞼を開く。視界は掠れ、乳白色しか見えなかった。粘着質の液体の中に閉じ込められているような感覚を覚えた。

 日を追う毎に、徐々に密室の空間は狭まっていった。身動きが取れなくなる頃に、僕は自らの手で滑ったプールの外壁を破壊した。

 今思えば、それは殻のようなものだったのだと思う。奇妙な色彩、身の毛のよだつ柄をした檻は脆くも崩れ去った。

 こうして僕は、新たな生命として生まれ変わることができた。不思議と生前の記憶も朧げ乍ら残っており、人間だった頃のように躯を動かしてしまいそうになる。

 己の体躯を注意深く観察することに、少しの躊躇いや抵抗があった。

 八本程ある黒く短い脚、潰れた顔面。ずんぐりとした白く長い胴体の表面は湿っているのか、てらてらと光っている。

 人間のそれとは余りにも掛け離れており、現実から目を背けたくなるような不快感がそこにはあった。

 動き回る土の温度に覚えがある。それは紛れもなく、死ぬ前に触れたあの冷たい土──。

 死んだ場所と生を受けた場合が同じなど、誰が喜ぶだろうか。そこは厭な過去を掘り起こす為の舞台であり、己に向けられた凶器でもあるのだから。

 しかしよく考えてみれば、僕がこうして戻ってこれたのだから、彼女もこの場に新たな命として存在するのではないか。その時の僕はそう思った。勿論、そのような浅はかな考えは見事に裏切られてしまうのだが。

 結論から云えば、彼女はそこに居た。ただ、それは僕が最後に見た光景と同じ形で。

 彼女は今も、裸体に乾いた血を張り付けて死んでいる。僅かな差異は酸化して茶色になった血液と、そこに群がる蟲たち──。

 きめ細やかな肌も今では土で汚れ、無数の生命体により侵食されている。所々に蟲の歯型と思われる小さな穴が空き、そこからは細長い胴体や、白い細やかな球体が覗いていた。悍ましいという言葉に相応しい惨状だ。

 しかし彼らに抱く感情は、戦慄よりも嫉妬に似たものの方が強い。既に魂のない器だとは云えそれが彼女だったこと、それが彼女であり続けることには変わりがない。

 彼女が他の者にこうやって凌辱されていると思うと、やはり悲くなるものだ。皮膚を突き破って侵入してゆくそれらの躰が、段々と見えなくなってゆく。それに従って彼女の入り口は大きくなり、更に彼らを受け入れる──。


 気付けば僕は、他の蟲のように彼女を蝕んでいた。愛を忘れたわけではない。寧ろ、彼女を愛する気持ちは生前のそれよりも強くなっている。

 だから僕は昼夜、彼女に欲を吐き出す。彼女は、死ぬ前に僕たち二人の子どもが欲しいのだと云っていた。

 勿論、新しい生命が生まれることはない。

 だがもしそれが叶うなら、生まれてくる生命はどんな形をしているのだろう。


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