箱入り神様かんさつにっき
お米一粒を無駄にすると目が一つ潰れる。
と、俺はそのように脅されて躾けられたわけです。
おかげでごはんは一粒のこらず平らげます。
お茶碗にへばりついた一粒一粒もMY箸で拾い上げて食べるようにと育てられました。
そのおかげか、今では焼き魚を綺麗に食べるねと褒められるくらいには、箸の扱いにも上手になりました。
しかし。
よもやそれがこのような事態を招くことになるなど、どこのどいつが予想がつくというのかというのだこんにゃろめ。
「遊! 次はそっちへ行くのだ」
「はいはい、いまお手伝いしますよ」
それは朝の味噌汁とともにやってきた異世界でのお話でした。
「………、?」
ちょっと止まって、周囲を見渡し、小首を傾げたその瞬間。
目の前で己に平伏する金ぴかの神官たちと、その中央に置かれた漆黒の美しい小箱が一つ見えました。
「神子! 私を助けるのだ!」
そして、その小箱のなかで涙目でこちらを見つめている小さな猫耳神様一名。
「―― 俺の朝飯はどこへ行ったんですか?」
呟く言葉も棒読みとなる、召喚直後の俺こと渡里遊の一コマでした。
そのときの周囲にいた金ぴか服の神官さまやその後にお逢いした王様の話を総合してみると。
この国の名前はヒトヤ神聖界国。
よく神様が顕現するということから、現存する国の中で最も大きな力を持つこの国に、現状一柱の神様が降り立った。
それが件の猫耳神様。
ジンニ―様である。
聞くところによると、こちらの世界での神様というのはすべからく小さなお姿をされているらしい。
具体的にいうなら掌サイズ。
しかし、この神様。
小さいながらも存在するだけで天候は安定し、人の心は安らぎ、世界は安全に発展するということで、上にも下にも置かぬ勢いでお世話させていただくのがこの金ぴか服の神官さま方のお仕事であるらしい。
そして、尊い神様に対して直接お肌を触れたりするなどということはまずあり得ないという信者ども。
ここで問題が発生する。
神様が米粒大といえども、神官さまや王様などの人間の身体はニアイコール俺。または大なり俺。
そして、この世界の人間が小さなものを摘まむために用いる方法はナイフとフォーク。
「…その心は?」
「うえぇっ…や、やつら! こ、こわいのじゃあああああああ!!」
猫耳垂らして、鼻水とか涙とかで顔中を濡らしながら、箱入り神様ことジンニ―様は俺に告げたのである。
この世界には箸という文化は存在していない。
あるのは手づかみかナイフとフォークなどのカトラリー類のみ。乳幼児用として存在するスプーンに至っては、大人になってまでそれを使用するということはとても恥ずかしいことだとされている。
さて、よく考えてみよう。
箱入り神様という言葉の示すとおり、箱の隅っこにつまつまと埋まるのを至上の極楽と考えているジンニ―様。
そんな彼の目の前に己の身体と等倍の長さの刃渡りの食器用ナイフや胸までの長さの突起部を持つフォークが差し出されてきたら。
……どうだろうか?
そして、それらに挟まれたり押し上げられたりするとしたら。
……どうだろうか?
俺だったら怖い。
「あ、あやつらっ! この前はわしの自慢の尻尾を切りそうになったのじゃぞ! あんまりじゃ!」
ジンニ―様は、そのご自慢の茶色の尻尾を猫のように膨らませながら訴えた。
そんな訴えを聞きながら、周囲を見渡すと死にそうな顔で平伏している大神官がいた。
「その前は、ナイフの上にワシの身体をごしごし押し付けおるし!」
そして、大神官の横で首に包帯を巻いた神官がいた。
もしかして、お詫びに死のうとかした? その包帯?
「…で?」
わざわざ俺を召喚したわけは?
「ナイフでもフォークでもない方法で、わしを優しく摘まめる人間が欲しいと思うたのじゃ!」
そこの部分だけはいい笑顔でジンニ―様は言い切った。
あくまでもお世話されることを前提としている神様には、他力本願駄目絶対と言い渡したい俺だった。
今日もジンニ―様はお気に入りの箱の隅で眠っている。
何がそうさせるのかは知らないが、尊い神様は箱に住まうのが好きだ。
無言で箱のなかを走りまわったり、ジャンプするのが好きならしい。
薄い和紙で作ったジンニ―様用ミニお布団(およそ5センチサイズ)は、俺が箸で掛けてあげたものだ。
「ジンニ―さま。朝のお風呂に入られますか?」
声をかけると、ジンニ―さまは素直に頷いた。
俺の横で神子さまのお仕事のお手伝いをしてくれている神官の一人が、温かな湯を張った葉っぱの舟を一艘用意してくれていた。
わざわざ葉脈まで書かれたそれは、神殿御用達の陶器職人の渾身の作品である。
「移動しますよ? 少し揺れるので気をつけてください」
「うむ」
ジンニ―さまは既にお風呂に入る気満々の表情で、凛々しく返事した。
俺はテーブルにしか見えない、神《ジンニ―》様専用の神座にセットされたお風呂道具のある場所へ、ジンニ―様の入ったお箱を移動させた。
「それじゃあ、今からお運びしますからね?」
「うむ。運んでくれ!」
万歳した格好で、ジンニ―様は返事した。
俺は漆塗りのMY箸を右手に持ち、万歳したままのジンニ―様の身体を優しく挟んで持ちあげた。
「痛くないですか?」
「大丈夫じゃ!」
満足げなジンニ―様は、尻尾を左右に揺らしながら朝のお風呂を楽しんだ。
「ややや、可愛らしいのう」
供物としたミニアヒルのおもちゃはどうやら気に入られたらしい。
湯あがりのジンニ―様に、今朝のしぼりたてのミルクを捧げる。
小指の爪ほどの大きさの専用コップを、箸で持ちあげ、ジンニ―様に手渡した。
「風呂上がりのミルクは格別じゃなあ」
ナイフとフォークでは決して真似できないこのサービスはジンニ―様にも好評である。
「ジンニ―さま。今日はこんなのはどうですか?」
「うむ。遊の用意する者はいつも面白いからの。今日はなんじゃ?」
神子と呼ばれている俺であるが、最近どうもジンニ―様の遊び相手と位置付けられている気がする。
最初は『神子』【神子】と呼ばれ続けていたのだが、気に入られたのかジンニ―様が俺の本名で呼ぶようになってきた。
興奮した大神官に、とても名誉なことなのですと力説されたのは記憶に新しい。
「この前は上り綱でしたが、今日はこのような感じでしつらえてみました」
ジンニ―様、運動するのお好きなようですからね。
お願いして用意してもらった小枝や細ロープの網などを使った力作。
子供大好きアスレチック遊具の再現である。
勿論、俺だけで作ったわけではなく、補助に廻ってくれている神官さんたちとの共同作品である。
「しっかり地面に固定しておかないと危ない遊具なので、木箱の裏に直接固定してあるんですよ」
説明しつつ、いつものMY箸移動を行う。
最近は箸の使用法に慣れたようで摘まむというよりも、乗せるという方が正しくなってきた。
そっと俺が箸を揃えて差し出すと、ジンニ―様は膝立ちで乗っかりそのまま捕まって移動するのだ。
「網をくぐるもよし、上るもよし、梯子を渡るもよし、お好きにどうぞ」
そう言って遊具をしつらえた木箱に移り終わったとたんに、ジンニ―様は駆けだした。
どう見ても公園で遊ぶ幼児の姿です。
「―― さあて、俺らは次の作品でもするかー」
「はい! 神子さま!」
見守り役の神官一人をジンニ―様の傍付きにして、遊具製作チームとなりつつある神官たちと次なる作品つくりへと埋没した。
「…ジンニ―様」
「うむ」
「俺は別に決して怒っているわけではありません。しかし、これとそれは別ですよね」
「う、うむ」
「じゃあ、きっと俺の断腸の思いでこのようなことをジンニ―様にしなくてはならないこの思いを理解していただけますね?」
「み、みぎゃ。 遊! 遊! 遊! ごめん! ごめんなのじゃあああ!」
今日も遊のMY箸が冴える。
毛並みのよろしい猫耳神様ことジンニ―様を遊の箸が抑えつけていた。
「とっととそちらで燃えてる俺の作ったロボ二号撤去してください」
「はい、神子さま」
「うわああん、わしのじゃくううううう」
俺の箸の先には、遊具製作チームで流行らせた某ロボフィギアを好奇心で奪った挙句にノリで燃やしたジンニ―様が泣いていた。
絶対にもうロボフィギア触らしてやらねえ。
ちゃんばらごっこ通り越して魔法虐殺していいなんて言った覚えは俺にはありませんよ。
「ありがとう、いつもありがとう! 神子どの!」
珍しく、ヒトヤ神聖界国の王様から呼び出された。
そして、深い感謝の言葉を捧げられた。
「はあ」
礼節に自信がない俺は、ジャッパニーズらしく曖昧な笑顔でそれを受け止めた。
俺が召喚されてからの、この半年。
箱入り神様の機嫌に比例してこの世界の治安と収穫が倍増しているらしい。
いままでに顕現したことのある神様たちは最大でも一カ月くらいしか顕現してはいなかったらしい。
やはり、ナイフとフォークがいけなかったのかと、目の前の大神官たちが過去のお世話記録を読み漁りながら反省会をするくらいの顕現期間の差異。
「神官たちには、是非神子さまを見習って、これからも世界安寧のために修業を積んでいってほしいものだな」
「はっ! ただいま、神子さまの箸さばきを参考に神官一同箸の扱いを練習中です」
満足げに告げた王様の言葉に反す大神官さま。
昨今、遊のMY箸を見学に来た揚句、作成のポイントを聴取していく輩がいると思ったらそういうことでしたか。
お土産という名の付け届けを多数もらいながら、今日も箱入り神様のお世話に向かった遊。
そして、彼はちょっとそれを後悔した。
「ジンニ―様。その方がたはどちらさまですか?」
「うむ。わしの仲間のルキア―ドとヤミルとアグリじゃ!」
「よろしく、神子」
箱のなかには毛並みのよろしい猫耳神様が四柱並んでいらっしゃる。
箱の中には神様がいらっしゃる。
箱の中には神様がいらっしゃる。
その耳は猫の耳。
その尾っぽは猫の尻尾。
神様をお世話するには漆の箸が必要です。
皆さん、是非是非箸の捌き方を学んでください。
つまんで、はさんで、押さえて、すくって、裂いて、のせて、はがして、支えて、くるんで、切って、運んで、混ぜて、異世界を救ってください。
神子仲間ただいま募集中です。