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授業

作者: 梅ノ木桜良
掲載日:2026/03/30

梅ノ木です。

ご卒業おめでとうございます。

今回のテーマは「最後の授業」です。

思いついたのが一昨日くらいだったんですけど何とか三月中に投稿できて良かったです。セーフ。まだ卒業シーズンだよね。ね!

 えー、まずは皆さん、ご卒業おめでとうございます。


 皆さんが入学してから三年間この学年を見てきましたけれどもね、最初の頃と比べると皆さんとても逞しくなったなぁと感じます。


 皆さんは一年生の前期の頃のことを覚えていますか?あのときは問題を起こす生徒ばかりで毎日のように職員会議にかけられるようなクラスと、クラス内での交流がほとんど無く静かすぎて教員全員が困惑したクラスの両極端に分かれていてクラス分け失敗したんじゃないかという話がそこかしこから出ていたんですよ。正直私も最初担任を受け持った二組があまりにも話し声が聞こえなさすぎるクラスで、ホームルームで教室に行くたびに内心ヒヤヒヤしてました。


 そんなスタートでしたけど、時間が経つにつれて尖ったクラスは丸くなり静寂に包まれていたクラスは少しずつ賑やかさが出てきて教員みんなで胸を撫で下ろしたあのときは今でも覚えています。本当に良かった。あのときは留年や退学寸前の生徒もチラホラといましたけどこうして今日、入学時と同じ人数で卒業を迎えられたことを、こうやって皆さんを送り出せることを私はとても嬉しく思っています。本当にありがとう。三年間お疲れ様。


 …………いつもの卒業式ならここで終わるんだけど。というか今年もこれで終わろうと思っていたんだけど。どうも最後にもう少しだけ皆さんの顔を見ていたいという気持ちが湧いてきてしまった。申し訳ないけれど、少しだけわがままに付き合ってもらえませんか。


 こんなことはやったことないし柄でもないんだけどね、「最後の授業」というのをやってみようかなと思います。急に決めたことなので話すこととか何も決まっていないんですけれどね。


 どうしようかな。


 ………………うん、これにしましょう。


 皆さんはこれからここを発ち、それぞれの道へと踏み出します。大学や短大、専門学校などに進学する人もいれば就職する人もいますし、どれでもない道に挑もうとしている人もいます。


 そのこれからの人生の中で忘れないでいてほしいことがあります。


 それは「自分自身を見失わないこと」と「大切な人のことを大切にすること」です。


 他にも色々ありますけど言い出すときりが無いので私が本当に大事だと思う二つに絞りました。


 こうやって言葉として聞いただけだったら皆さん当然のことだと思うでしょうし、やるに決まっていると思うのではないでしょうか。


 でもね、これって結構難しいんですよ。


 まずは「自分自身を見失わないこと」。


 もし「貴方はどういう人間ですか?」と問われたとき、皆さんなら何と答えますか?答える内容は人それぞれ違うと思います。その内容自体はどんなものでもいいんです。何を答えようとそこに正誤も優劣も善悪もありません。わからない、という答えでもいいです。それはまだ貴方が答えを見つけられていないというだけのこと。焦らず、じっくりと考えて自分だけの答えを探してください。いつかどこかで、これだと思える正解と巡り会える日が来るはずです。


 何なら時間が経って今考えていることとは変わっても構いません。それは皆さんが経験を積み重ねて考えて悩んで想って成長してきた証です。そのときそのときの答えを大事にしてください。誇りを持ってください。それが貴方であり、貴方とともに過ごしてきた人々の軌跡です。答えが変わったということは大事にするものが変わったということなんです。それを受け入れて、その先も歩んでいってほしいと思います。


 でも。


 知らない、とかどうでもいい、とか言って放棄することだけは絶対にやめてください。


 自分がどういう人間なのか、その根幹を知ることができるのは貴方だけです。貴方がそれを言葉にしない限りそれが他人に伝わることはありません。それが最愛の恋人だろうが一生の親友だろうが関係ありません。他人の心の中なんてわかるわけがないんです。


 それなのに肝心の本人が自分について考えることをやめてしまったら誰も貴方のことなんてわかりません。ましてや、それを探す意思もないような人のもとに人は寄ってきません。自分について知らないのに人のことを知ることなどできないんです。


 何より、自分を大切にできない人が他人から大切にしてもらえるわけがありません。だってそうでしょう?自分を大切にできない人が人のことを大切にし続けられると思いますか?私はできないと思います。ほんの短い間ならできるかもしれません。人間、取り繕うくらいならできないこともありませんからね。


 でもそんな化けの皮ははまたたく間に剥がれ落ちます。いずれ無理が来ます。本性が暴かれてしまえば人が離れていくのは自明の理。人は自分の益にならないことには敏感ですからね。本人が気がついたときには既に周りから人はいなくなっているでしょう。


 そこから先、変わらなければそのまま命が尽きる時まで孤独の日々を過ごしていくことになります。生きていけないことはないでしょう。お金さえあれば生活を続けることはできます。しかしそれは何の彩りも輝きもない、無味無臭の孤独です。ただ日々を喰い尽くしていくだけの地獄です。そんな人生は楽しいですか?一片の意味も価値も見いだせないような一生を望む人などいないはずです。


 楽しい人生を望むなら。望む一生があるのなら。


 まずは自分の本質を知ってください。そしてそれを手放さず大事にしてください。それは、貴方自身にしかできないことです。


 何を差し置いてもまずは自分を大切にしてください。自分以外のものを大切にするのは自分を大切にして日々を懸命に生き続けている人にしか不可能です。友人や恋人、仕事にお金。大切なものは人それぞれ様々あると思います。でも、それらのものを大切にすることができる貴方の人生を歩めるのは貴方しかいません。時には逃げてもいい。それが貴方自身を守るためであるならば逃げるのも立派な選択です。自分の軸を見つけて、自分の足で立って、胸を張って生きていってください。


 そして次が「大切な人のことを大切にすること」。


 何を言っているのかわからないかもしれませんね。大切な人なんだから大切にするだろう、と思うかもしれません。


 でもそうじゃない。


 大切な人だから大切にするんじゃない。


 大切に扱うからこそその人が大切な人になるんです。


 大切な人というのはそこら辺から自然に発生するわけではありません。どこかから降ってくるわけでもありません。


 皆さんはそんなことはわかっている、というかもしれません。おそらくこの中にわかっていない人はいないでしょう。


 ですが人とは忘れる生き物です。大切な人のことでさえ意識の中から欠落してしまうことがあります。


 もし大切な人のことを大切にすることを忘れてしまったら、大切な人はただの他人になってしまいます。


 大切な人になるまでの道のりがいくら大変でも、それまでたくさんの情を注いでいようとも、崩れるのは簡単です。関係の強さは時間にも想いにも比例しません。時間や想いに比例するのは離れるときの未練の大きさです。ですが、いくら大きかろうとも所詮は未練なんです。未練とはその人の心のなかでわだかまって残っている過去の思い出の残滓です。思い出は作ろうとしなければ増えていくことはありません。想いが未練となってしまったらもうそれ以上大きくなることはないんです。時間が経てば未練は溶けて消えてしまいます。未練が消え去ってしまったとき、大切な人だったはずのその人物は大衆の中の誰かでしかなくなります。


 相手が大切な人になったからといってその人のことを大切にすることを忘れてしまったら、怠ってしまったら、自然とその人は貴方のもとから離れていってしまうんです。


「大切にする」という行為において何をするかということは関係ありません。どういうことをして何で表現しようとも大切な人に大切であると伝わりさえすればいいのです。


 ですが、大切にしているつもりで行っていた事が裏目に出てしまうこともあります。そのようなときにはとにかく早く話し合って真正面から自分の気持ちを伝えるようにしましょう。相手も人間です。関係性は生き物です。早くしないと相手の気持ちは枯れてしまいます。そうなる前にしっかりとお互いの思っていることを伝え合ってください。


 特に言葉には気をつけてください。言葉というものは使い方によっては明るく暖かい灯火にもなれば冷徹で鋭利な刃にもなります。


 人を傷つける一番の凶器は言葉です。関係を断ち切る力が一番強いのは暴力でも刃物でも離別でもありません。貴方の頭で紡がれて口から出て手で書き表わされる言葉なんです。たった一言の言葉だけで何十年にも渡って積み上げてきた関係をまっさらにすることもできてしまいます。できてしまうんです。


 言葉はどんな刃物よりも容易く人を刺し貫きます。それでいて刺している側に臓腑を抉っている惨たらしい感覚は微塵も伝わりません。言葉は銃器よりも簡単に人を殺します。しかしそれを放った側に生温くべとついた血飛沫は一滴たりとも降りかかることはありません。


「言の葉」は「言の刃」と表裏一体です。どんな武器をその手に握っていようがどんな防具を身に纏っていようが「言の刃」の前には紙片ほどの力も発揮することは敵いません。抗いようのない絶対的な力が言葉なんです。言葉で強くなることもあれば言葉で力が削がれることもある。言葉で上り詰めることができたかと思えば言葉で零落することもまた然り。人間が言葉を解する生物になった以上、これは避けようのない事実です。


 言葉を大切にすることは大切な人を大切にすることの第一歩です。いくら丁寧な言葉づかいをしていても、いくら嘘で塗り固めようとしても、その人の感情や考えというものは言葉の端々に滲み出てくるものです。そしてそういうものは得てして相手に感じ取られてしまいます。表面だけ誤魔化したところでそんなものは簡単に砕け散ります。しかし矛盾するようですが、時として発した言葉に裏の意味があったとしてもそれが相手に伝わらないこともあります。自分が意図しなかった内容だけが相手に届くこともあります。ですから、貴方自身が発する言葉にはそれを相手に伝える責任と相手の都合のいいように受け取られる覚悟を持ってください。その言葉を自分に対して言われたくないと思うなら口にしない。今言葉にしようとしていることが思っていることと違うのなら本当にそのまま発してしまっていいのかよく反芻してみる。


 言葉は伝える側と伝えられる側で全く同じ解釈になることはありません。


 限りなく近い解釈をすることは可能です。ですが徹頭徹尾一ミリも違わぬ解釈を共有することは不可能です。大抵の場合言葉は伝えられた側の頭の中で都合よく揺れ動きます。


「曖昧」は「確実」に。


「予測」は「断定」に。


「指摘」は「叱責」に。


「評価」は「批判」に。


 その逆も然りです。


 言葉は相手によって誇大にも過小にも変化しますし、変化しないこともあります。


 ですから、自分の伝えたいことが可能な限り正しく相手に伝わるように分かりやすく言うようにしてください。誇張も比喩も反語も要りません。これまで学んできた文学的表現など邪魔なだけです。駆け引きしても損しかしません。どんな事でも回りくどくせずストレートに伝えられるような相手こそ、貴方が手放してはいけない「大切にしなければいけない人」だと私は思います。そして言いにくいことも誤魔化さずきちんと貴方に伝えてくれる人も「大切にしなければいけない人」です。賛成も反対も意見も全てを飾らずに言い合える相手と出会えたなら、自分と同じくらいに大切にしてあげてください。しっかりと話を聞き入れるようにしてください。きっと、生涯に渡って貴方のそばで支えてくれる人物になると思います。


 ……ここまで話したことは忘れてもらっても構いません。ただ、ふとした時に今自分は自分のことを見失わないでいられているか、大切な人をきちんと大切にできているのか、振り返ってみてください。そしてできていないと思ったら少しでも時間を取って自分や大切な人を労ってみてください。


 貴方の未来はまだ何も決まっていません。


 敷かれたレールも無ければ定められたゴールも無い。


 未来を描くためのペンや筆はおろか、ノートもキャンバスも譜面もそこにありはしないんです。


 未来の土台を作り、描き、形にするのは他でもない貴方自身です。どうか貴方が望む未来をその手で紡ぎ出していってください。


 皆さんが素敵な未来を歩んでいけるよう応援しています。


 ……少し喋りすぎてしまったでしょうか。そろそろ終わりにしましょうかね。


 では皆さん、起立。


 礼。


 さようなら。

 読んでいただきありがとうございます!この作品では誤字・脱字報告、感想、レビュー等を募集しております。何かしら書いていただけると作者としてはかなり励みになります。お忙しいこととは思いますが、ぜひぜひお願い致します。

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