第2話 無意識の縁結び⑤
「もしもし、ネロだ」
『ネロさん、わたしです。カレンです』
「ああ。番号でわかってた」
『わかってても名乗りは必要ですよ』
「そんなこと、知ってるが……」
あれ、何かおかしい。カレンの声色がいつもより低い。
もっと言えば、苛立ちを圧し殺しているように感じる。
『あの、用件を話してもいいでしょうか』
「あ、ああ。いいよ。話してくれ」
『はい。では――』
そして言う。
説得に成功したのでも、失敗したのでもなく。
まして、警備員の方に捕まったのでもない。
それは――
『ネロさん。何か理由をつけて、今すぐその場を離れてください』
僕は一瞬だがカレンの言っていることの意味を理解できなかった。
さらに、彼女の言い方はどこか投げやり。焦っているわけではないだろうが、そこに少なからず違和感がある。
「あの、カレン。何かあったのか?」
『そうですね。いろいろありましたよ』
「いろいろって。大丈夫なのか」
『さあ、どうでしょう。とりあえず、ティアさんをそちらに向かわせることには成功しました。あとはティアさん次第ってところです』
「そっか。いきなり頼み事をしてすまなかったな」
『かまいませんよ。それより早くしてくださいね。できれば彼女たちから見えなくなるところまで。そうでなければ面倒なことに巻き込まれますよ。それと、わたしたちはどこで落ち合いましょうか?』
早口で用件を伝えるカレン。
面倒なことに巻き込まれる?
なんだか気になる言葉を聞き取った気もするが、今は無視しておこう。
「そうだな。僕のいる休憩所は分かるよな?」
『はい。もちろんです』
それならば話は早い。
この百貨店には正面の出入口とは別に数ヵ所出入口がある。そのうちの一ヵ所がこの休憩所の近くにあるのだ。
「なら、そこから一番近い出入口まで来てくれ。そこで落ち合おう」
『はい。わかりました。わたしもすぐにそちらに向かいます』
そう言い合い電話を切る。
「――お待たせした」
「相手はカレンさんですか?」
「うん、そうだった。カレンが言うに、もうすぐティアさんがここに来るらしい」
「そっか。もう来ちゃうんだな」
「そうなるな。だから、僕はこれで失礼するよ」
言って立ち上がった。僕の行動が彼女たちにとって唐突だったからであろう。二人は「え?」と同じように声を上げて驚いた。
「もう行っちゃうんですか?」
そうレンさんは不安げに確認するように問う。
「ああ。あとは君たちの時間だ。わざわざ僕が取り繕う必要もないだろう」
「で、でもですね……」
と、僕を引き止めようとする。
さっきは迷惑をかけたことにより罪悪感を持っているように言っていた。それで、もう迷惑をかけまいと思ってはいたのだろうが、まだ不安が拭いきれずにいるらしい。
僕もここにいてやりたいが、カレンにすぐここを離れろと言われている。意味が全く分からなかったがちゃんとした理由がどこかにあるはずだ。
ここでレンさんになんと言えば良いか考えるも、ニコルさんが先に「これ以上ネロさんを困らせるなよ」と言う。
「……ニコルちゃん」
哀しそうなレンさんの瞳。
しかしニコルさんは何も言わない。
その代わりにニッと小さな微笑を浮かべた。
ほんの一瞬の行為ではあったが、そこには確かな強い思いが感じられた。
――もう分かっているだろ、レン?
そう、問いかけているようで。
「ありがとう、ネロさん。あたしたち頑張ってみるよ」
「うん、そうだね。それじゃあ僕は行くよ」
踵を返し、彼女たちに背を向ける。
「――ネロさん。また、会えるかな」
この声に僕はもう、振り向くことはなかった。
「どうだろう。でも、この別れで縁が切れなければまた会えるかもね」
ここで気付かれないくらい小さく「こちらこそありがとう」と言ったが、彼女たちにそれは聞こえなかったはずだ。
これで、僕と彼女たちの長いようで短い時間が終わった。
僕はまっすぐ店の出入口に向かう。場所にして数十メートルまっすぐ歩き、すぐの角を曲がった先へ行く。そして、百貨店の出入口から外にでた。
強い風が吹き荒れる。それと同時に舞う桜の花びら。
木の葉は次第に緑へと移る。
もう、桜の季節はもうじき終わりを迎える。
でも、哀しむことは何もない。
それは僕たちにとって、彼女たちにとっても、厳しくも美しい新たな季節の幕開けを示すのだから。
彼女たちの結末を見届けることが出来なかったことは一生の心残りになりそうだ。
しかし、とりあえずは一件落着ってところかな。
うん、と無理矢理納得するように頷く僕。
ここから先、僕はもう何もしてやれない。
強いて言うなら見守る程度だ。
知り合ってすぐの人となれば、それは背景と何ら変わりはない。
それならば、いないほうがましさ。
それにしてもカレンはなぜ彼女たちから僕を遠ざけようとしたのだろう。まさか三人でいさせてあげよう、と空気を読んだわけではあるまい。
そんなことを考えていると、後ろから僕に近付いてくる気配がする。
「――ネロさん……」
と続けて僕の後ろから女性の声がした。
その馴染み深い声。
間違いない、それは――
「――カレンか」
彼女の声色は電話で話した時と変わらない。無茶な頼みを押し付けてしまったことに怒っているのだろうか。少なくともいつもの元気な様子ではないことだけは確信を持てる。
僕は声のする方向へ振り返る。
そこにはやはり彼女がいた。
しかし、その姿は……
「あれ? 何か違和感あるなぁって思ったら、眼鏡はどうしたんだよ。あと上着もないじゃん」
「聞いてくださいますか?」
「ああ。是非とも聞かせてくれ」
「ええ。では率直に言わせていただきますね」
僕はコクリと頷き承諾する。
「今日着てきた上着は無惨にも切り刻まれました。メガネは粉々になりました」
「はい?」
「そのままの意味ですよ。ティアさんとのやり取りでいろいろありましてね」
そこで、僕は手のひらをカレンの口に突き出して言葉を遮る。
「ちょっと待ってくれ。唐突すぎて理解出来ない。おまえはティアさんが危険人物だとでも言いたいのか?」
対してカレンは否定するように首を振る。
「危険かどうかはさておき厄介な人でしたよ彼女は」
そして言った。
――彼女は能力者です。
躊躇いもなく。
あまりにも呆気ない事実の披露。
僕は驚きを隠せない。
開いた口が塞がらないとはまさにこの事だろう。
「……それ、本気で言ってるのか?」
できることならカレンの冗談であってほしい。
しかしカレンが他人を騙して喜ぶような女ではないことを僕はよく知っている。
僕の問いに目の前の彼女は表情を変えることもなく無言で頷いた。
「結局、追い付けたのは五階の駐車場にまで行ってからでした。そこでティアさんって言って呼び止めたのです。そしたら彼女はまず、このように訊ねてきました」
そして、ティアさんの声色を真似て、なのかその台詞を言う。
「あなた、魔術師、もしくは能力者ですね」
見事カレンの正体を言い当てたから、彼女は能力者だとでも言いたいのか。
それだけで決めつけるには早すぎる。
「もちろんそれだけではありません。その時『何のことでしょう』って何とかして誤魔化そうとしましたから」
そう言って、ティアさんとの会話の様子を語った。
「ネロさんもその人の噂くらいは聞いているはずですよ」
◇
数分前、五階の駐車場の一角での出来事だ。
「あなた、魔術師、もしくは能力者ですね」
金色の髪の少女、ティアさんは言う。
その言葉で確信した。彼女も裏の人間だ、と。
「さて、何のことでしょうか」
そう誤魔化し、作り笑いで返す。
「わたしはあなたと話をしにきただけですよ」
そう両手を上げて、対立する一人の少女に言った。
「――話?」
「はい。あなた、ご友人の方と一緒にこの百貨店に来られましたね」
すると、ティアさんは目を丸くする。
しかし、彼女が動く気配は感じられない。
特に変わった反応を見せないことを確認すると、話を再開した。
「そして、口論になって別行動をしていることも知っています。早く二人の友達のところにいかないと、取り返しのつかないことになりますよ。休憩所でわたしの仲間と彼女たちが一緒にいま、す…から……」
瞬間、空気が凍てつく気がした。
最後まで言葉をまともに言えたか怪しい。
針よりも鋭い彼女の視線がわたしを貫き、思考の邪魔をする。
言ってはならないことを言ってしまったのだろうか?
それとも言い方を間違えて変な疑いを持たれてしまったか?
少しまずいことになったな、と急に焦燥感に煽られた。
「……なんなのよ、それは」
対してティアさんはふっと嘲笑し、肩にかけたバッグをまさぐる。
それが何を意味するか分からなかった。
しかしその謎も束の間、すぐに判明する。
スッと凪ぎ払うように腕を振り、何かを投げつけてきた。
それは音速とも言えそうな速度で、わたしの顔を目掛けて一直線に飛んでくる。
受け止めれば、それは一本の刃物だった。
「――これは、ナイフ?」
目線をティアさんに戻せば、彼女の両手にはそれぞれ一本づつの短剣が握られていた。
それら二本は、飛んできたナイフと違い、あの小さな鞄に納めることは不可能である。いったいどこから出現したのか。
これは魔術? それとも異能? どちらにしろ彼女はもう戦闘体勢に入っている。
「――あなた、これは何の真似?」
もう作り笑いはしない。
目の前にいる者はただの少女ではないのだ。
「ただの確認ですよ」
「確認? それで、何が確認できたの?」
「あなたが魔術に関係しているかどうか、です」
迷いのない返答に、わたしは何も言わずティアさんを睨み付ける。
「あなたが通常の人間以上の身体能力を出そうとしたとき、わずかながら体内の魔力が活性化しました。自身の魔術か異能、もしくは身体のどこかに仕込んだ礼装でも使ったのでしょう」
「もし、わたしが普通の人間だったらどうするつもりだったの?」
「その時は当たる直前に消して回収すればいいだけ。常人であればわたしが投げつけたものつかみ取ることはもちろん、判別することもできていないでしょうし。わたし自身もすぐにこの場を離れたらいいだけ」
そして「そんなことより」と、ティアさんは目の色を変えて問う。
「あなたはあいつらの仲間なの? まさか、またこの百貨店で何かするつもり? 何度やっても同じなんだから」
その言葉には純粋な怒りや憎しみが含まれている。この娘はわたしのことをどこかの誰かの関係者と勘違いして、その敵意をわたしに向けている。
短剣の切先は依然わたしを捉えたまま。
「何? もしかしてわたしと戦う気なの?」
「当たり前。あいつらと同類の人間を逃がすわけにはいかないから」
だから、あいつらって誰ですか?
そこから意味がわからないのですが。
「わたしの話を聞くつもりは?」
「無い」
「――そうですか」
彼女は本気だ。
本気でわたしを殺るつもりだ。
この様子だと、言い訳をしても聞く耳を持ってくれないだろう。
呆れてため息しかでない。
ならば、仕方がありませんね。
こっそりとナイフを懐にしまい、拳を構える。
「――それでは、あなたの気がすむまでお相手するとしましょうか」
◇
ここで一旦、カレンの話は中断される。
僕の放った一言とその後の行為によって。
「――最悪だ」
ここまでの話を聞き、まず始めに思ったことだ。
彼女の戦術を聞いて確信した。
彼女、ティア・パーシスは間違いなく能力者だ。
僕の大馬鹿野郎。
今まで何故、この百貨店に能力者がいることに気がつかなかったんだ。
あれほどロゼさんから聞かされていたのに。
テレジアに住む空間操作の能力者。その者には関わるなと。
「カレン、今すぐにここを離れるぞ」
言って、百貨店から離れるためにカレンの手を引っ張り早足で歩く。
カレンは「もとよりそのつもりですよ」と言って無愛想な顔をしながらも付いてきてくれた。
もしカレンがティアさんとの戦闘後にすぐ連絡をくれなければ、僕は最悪のタイミングでティアさんと鉢合わせしただろう。
そうなればどうなっていたか分からない。きっとティアさんには友人を人質にとる敵だと認識されてしまうだろうから。
「ところで、話の続きはします?」
後ろに付いて歩くカレンが言う。
僕は振り返らずに答えた。
「いいや、続きはもういい。おおかたその短剣で服を切り刻まれた後、ロープ状のもので柱に縛りつけられていたんだろ。しかし、ティアさんが僕という敵を排除しに向かった瞬間、隠し持っていたティアさんのナイフでロープを切った。そして僕に連絡してすぐにニコルさんとレンさんから離れろと言った。違うか?」
「うわ、まるで見てたかのよう。なんでわかったのですか?」
そう言うカレンの驚く顔が見てとれる。
「自分の腕を見てみろ。ロープの痕が残ってる」
「……あ、本当だ。まだ消えてないや」
「よかったな縛られただけで。下手したら殺されてたぞ、おまえ」
「そうでしょうか。能力に関しては所長から聞いたことがありましたけど、縛られたのだってわたしがちょっと油断していただけですよ。殺されるほど強いとは思いませんでした。そこまで警戒する要素はないかと」
そう言うカレン。決して強がりではなく、実力に伴った言葉なのだろうが。ここでの彼女の言い分は検討違いだ。
「ああ。彼女は、な」
言う通り、ティアさん自身には特に危険要素はない。情報通りの彼女であれば僕やカレンなら対処できるほどの能力者だと思われる。しかし、その背後にいる者が何よりも危険なのだ。
アーネスト・マーベルという魔術師。
ロゼさんが気を許す数少ない親友の一人。
ロゼさんと肩を並べる強大な実力者の一人。
もし戦闘になれば天地が引っくり返ろうと僕らに勝ち目はない。そもそも次元が違うのだ。同じステージに立てるかどうかも怪しいほど、果てしない力の差があることは確かだ。
「まあ、終わったことは仕方がない。今はあの人の耳に入らないことを祈ろう」
カレンは僕の言葉にポカンとした表情を作る。
分かってないんだろうな、きっと。でも、その方が幸せな場合もあるだろう。
今僕は不安で心臓が破裂しそうだった。
◇
泊まる予定のホテルへ向かって数分間歩き、百貨店が見えなくなってきた頃合い。「ちょっといいですか?」とカレンが訊いてくる。
「何だ?」
横目に僕は訊き返す。
「ニコルさんとレンさんとはどんな話をしたのですか?」
「いろいろだ。ちょっとした世間話をしただけ。特に変わった話はしていない。……だが」
ここはちょうどいい機会だ。
アーネストのことは頭から離して、もうひとつ別の不安に思っていることについて相談してみることにした。
「なあ、カレン」
「どうかしました?」
「これで本当によかったのだろうか」
「……と、言いますと?」
「間接的にでも、僕があの娘たちの仲裁に入ったことで後の出来事に多大な影響が出てしまわないか、ってことだ」
特にあの小麦色の髪の娘、レンさんだ。
あの性格に加えて、僕の言った言葉をずっと覚えていたとする。そうなれば彼女はこれから先、そう遠くないうちに必ず大きな壁にぶち当たるだろう。
ただの少女にはどうすることもできないほどの事件に自分から首を突っ込んでいくかもしれない。
そう考えると、僕は余計な後押しをしてしまったのではないかと不安になってしまう。
「ネロさん。あなたは良かれと思ってあの娘たちの助けになろうとしたのでしょ? ならそれでいいんですよ。深く考える必要なんてどこにもありません。ネロさんが彼女たちに介入したところで何も変わりませんよ。ちょっとしたきっかけ程度にはなるかもしれませんが、結局のところ進むべき道を決めるのは彼女たち自身です」
「そっか。そう言ってくれて少し安心したよ。ありがとう、カレン。けど、そういうのは何だかカレンらしくないな。もっと適当な言葉で返されると思った」
「なんですかその言い方は。わたしにだって思うところはあるのです。プリシラからも同じようなこと言われましたし」
「プリシラ?」
「え、ネロさん知りません? 隻眼シスターのプリシラ」
「なにそれ、そんな肩書きがあるのか?」
「わたしが勝手に付けました。もうめちゃくちゃ強くてかっこいいんですよ。一時期研究所に来ていたんですけど、同じくらいの年齢ってこともあって少しの期間だけ仲良くしていたんです」
「へぇ、そうだったんだ。今も連絡を取ったりしてるのか?」
「いえ、全然。連絡先を教えてくれませんでしたから。それに、あの時のお礼を言う間もなく突然帰られてしまったので。そこだけはちょっと後悔しています」
「そっか。またプリシラって人に会えるといいな」
「そうですね。いつかきっと」
胸の鼓動も次第に収まり、呼吸も楽になるのを感じる。根本的な解決には繋がらないが、人に悩みを打ち明けてみるのもたまにはいいものだな、と珍しくそう思った。
絆を深めることができるかどうか。カレンの言うように後は彼女たち次第だ。
この関係を続けるも、終わらせるも。そして、生きるも死ぬも。
その鍵を握るのは恐らくティアさんになるだろう。
「頑張りなよティアさん。君は僕たちと違って今を生きているのだから」
僕は何となくではなく、確かな意味を込めてそう囁いた。




