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純愛の聖者が、裏切りの果てに復讐の悪魔へと堕ちるまで ~十年かけた甘美なる地獄へようこそ~  作者: ledled


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第二話 仮面の親友、偽りの微笑み

裏切りの夜から、十年という歳月が流れた。

俺、天羽奏太は、かつての親友、風早涼真が勤める中堅建設会社『風早建設』――皮肉にも彼の父親が社長を務める同族企業だ――の役員会議室にいた。


「この度の都市再開発プロジェクトにおきまして、弊社のコンサルティングをご採用いただき、誠にありがとうございます。皆様の期待を上回る成果をお約束いたします」


流麗な物腰で一礼する俺に、居並ぶ役員たちから満足げな頷きと、かすかな感嘆のため息が漏れる。

若くして投資家・コンサルタントとして名を馳せ、メディアにも度々登場する俺の存在は、この場にいる誰にとっても雲の上の人物だ。彼らが俺に払う報酬は、彼らの年収を軽く超える。

俺の視線は、役員たちの末席で、緊張した面持ちで座っている一人の男に注がれていた。

日に焼けた肌、快活そうな目元。学生時代の面影を残しながらも、営業マンとして揉まれたであろう精悍さが加わったその男――風早涼真。

十年ぶりの再会だった。


会議が終わり、俺が役員たちに挨拶をしながら退室しようとすると、涼真が慌てたように駆け寄ってきた。


「あ、あの! 本日はありがとうございました! 営業部の風早涼真と申します!」


必死の形相で差し出された名刺。俺はそれを受け取ると、そこに書かれた名前に初めて気づいたかのように、わずかに目を見開いてみせた。


「風早……涼真くん? もしかして、北陵高校の?」

「え……?」


俺の言葉に、涼真は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まる。彼の頭の中では、記憶の断片が必死に目の前の男と結びつこうとしているのだろう。無理もない。高校卒業と同時に姿を消した俺は、外見も、雰囲気も、そして名前すらも――ビジネスネームとして天羽あもうを使っているが、戸籍上の名前はとっくの昔に変えていた――あの頃とは別人なのだから。


「思い出せないかな。三年の時、同じクラスだったんだけど。天羽奏太だよ」

「……え……あ、もう……そうた……?」


涼真の目が、信じられないものを見るように大きく見開かれる。そして、次の瞬間、その顔はみるみるうちに青ざめていった。驚愕、混乱、そして拭い去ることのできない罪悪感。十年分の感情が、彼の表情の上で渦を巻いていた。


「う、そだろ……奏太、なのか? 本当に?」

「ああ、久しぶりだな、涼真。こんな形で再会するなんて、奇遇だな」


俺は、完璧な笑顔を顔に貼り付けた。十年という歳月をかけて習得した、心の奥底を微塵も感じさせない、無機質で、完璧な微笑みだ。


「まさか、奏太がこんな……すごいことになってるなんて……」

「色々あってね。まあ、お互い、歳を取ったってことかな」


俺の屈託のない態度に、涼真は明らかに戸惑っていた。罵られることも、詰られることも覚悟していたのだろう。しかし、目の前の俺は、まるで十年前の裏切りなど、初めから存在しなかったかのように振る舞っている。

その反応こそが、俺の狙いだった。


「……あの、奏太。俺は……」


涼真が何かを言いかける。十年前の、謝罪の言葉だろうか。そんなものは、不要だ。

俺は彼の言葉を遮るように、その肩をポンと叩いた。


「昔の話はいいさ。それより、これから仕事でよろしくな、涼真。このプロジェクト、現場の窓口はお前が担当なんだろ? 頼りにしてるぞ」

「え……あ、ああ……」


予想外の言葉に、涼真は完全に毒気を抜かれたようだった。俺がすべてを水に流し、許してくれたのだと、彼は勝手に解釈したのだろう。安堵の色を浮かべた彼の顔には、しかし、同時に深い当惑と、拭いきれない罪悪感の影が、より一層濃く刻み込まれていた。

そうだ、それでいい。許されることで、お前の罪はより重くなる。俺という存在の大きさに気づかされるたび、お前は自分の卑小さを思い知り、見えない鎖に縛られていくのだ。


それからの日々、俺は涼真を徹底的にサポートした。

プロジェクトに関する的確なアドバイス、他社が喉から手が出るほど欲しがるような情報の提供、重要人物との会食のセッティング。俺が少し手を貸すだけで、涼真の営業成績は面白いように上がっていった。

彼は瞬く間に社内のヒーローになった。父親である社長からも「よくやった」と肩を叩かれ、同僚からは羨望の眼差しを向けられ、彼は有頂天になっていた。


「奏太のおかげだよ、本当にありがとうな!」

「何言ってるんだ、涼真の実力だよ。俺は少し手伝っただけさ」


居酒屋のカウンターで、上機嫌に酒を煽る涼真。彼はもう、俺に対して何の警戒心も抱いていなかった。それどころか、恩人である俺に、絶大な信頼を寄せるようになっていた。

高く、もっと高く。

お前を高く持ち上げてやる。誰もがお前を称賛し、お前自身も万能感に酔いしれる、その頂点まで。

そこから突き落とす奈落の底は、きっと格別だろうからな。


計画は順調に進んでいた。そして、次の段階へ移行する時が来た。


「なあ、涼真。いつも世話になってるし、今度、うちで食事でもどうだ? もちろん、奥さんやお子さんも一緒にさ」

「え、いいのか!?」

「当たり前だろ。奥さん……確か、詩織ちゃん、だったよな。彼女にも、ちゃんと挨拶しておきたいし」


俺が「詩織」の名前を口にした瞬間、涼真の顔がわずかに強張った。だが、それも一瞬のこと。すぐに彼は「ああ、あいつも喜ぶよ!」と笑顔で応じた。

俺の申し出を断れるはずがない。仕事上の大恩人であり、今や「親友」となった俺からの招待なのだから。


週末、涼真は詩織と二人の子供を連れて、俺が住む湾岸エリアの超高級タワーマンションにやってきた。エントランスで呆然と天井を見上げる涼真一家の姿は、どこか滑稽ですらあった。


「いらっしゃい。よく来てくれたね」


ドアを開けて出迎えた俺を見て、詩織は息を呑んだ。その顔は、血の気が引いたように真っ白だった。十年ぶりに見る彼女は、学生時代の儚げな雰囲気を残しつつも、母親らしい柔らかな落ち着きをまとっていた。だが今、その瞳は恐怖と罪悪感に揺れていた。

当然だろう。自分が裏切った男が、忘れた頃に、夫の恩人として、そして誰もが羨む成功者として目の前に現れたのだから。


「……お久しぶり、です。天羽、くん」


か細い声で、彼女はそう言った。


「久しぶり、詩織ちゃん。元気そうで何よりだ。さあ、みんな、上がって」


俺は、ここでも完璧な笑顔を崩さない。

リビングに通された一家は、その広さと窓から見える絶景に言葉を失っている。


「わー! パパ、すごい! 船が見えるよ!」

「奏太おじさん、こんにちは!」


八歳の長男と五歳の長女は、すぐに俺に懐いてきた。人懐っこいところは、父親譲りなのだろうか。俺は二人の頭を優しく撫で、あらかじめ用意しておいた最新のゲーム機と、人気のキャラクター人形を手渡した。


「わーい! ありがとう、おじさん!」


無邪気に喜ぶ子供たちの声が、やけに広く感じるリビングに響く。その声を聞きながら、俺は詩織に視線を向けた。


食事の間、俺は完璧なホストを演じきった。

涼真の仕事での活躍を褒め称え、子供たちの学校での話に楽しそうに耳を傾け、そして、詩織には、労うように優しい言葉をかけた。


「子育ても大変だろう? なのに、詩織ちゃんは昔と全然変わらないな。涼真は本当に良い奥さんをもらったよ」


俺の言葉は、まるで鋭いナイフのように、詩織の心を切り裂いていったはずだ。

許しを請うこともできず、かといって開き直ることもできない。ただ、曖昧に微笑みながら、グラスを握りしめることしかできない彼女の姿は、見ているだけで愉快だった。


食事が終わり、子供たちがゲームに夢中になっている隙に、俺はバルコニーで一人、夜景を眺めていた詩織に近づいた。


「綺麗な夜景だろ」

「……ええ、とても」


彼女は俺の顔を見ようとしない。ただ、手すりを強く握りしめている。


「涼真を選んだ君は、正しかったんだな。こうして見ると、よくわかるよ。本当に幸せそうで、俺も嬉しい」


俺は、心の底からそう言っているかのような、穏やかな声で言った。

その言葉に、詩織の肩が微かに震えた。


「……ごめんな、さ――」

「謝る必要なんてないさ。もう、十年も前のことだ。それに、俺もこうして元気にやってる。過去のことなんて、気にしてないよ」


俺は、彼女の謝罪を、優しく、そして決定的に拒絶した。

「許された」のではない。

「気にすらされていない」のだ。

俺にとって、お前たちの存在は、もはや過去の思い出ですらない、完全に無関係な他人なのだと。その事実が、何よりも残酷な罰であることを、彼女は理解しただろう。


「奏太くんは……すごいわね。私や涼真くんとは、もう、住む世界が違うみたい」


ようやく顔を上げた彼女の瞳には、諦観と、かすかな劣等感のような色が浮かんでいた。

かつて、俺が一方的に見上げていた彼女。その彼女が今、俺を見上げている。

この十年間、俺がどれほどの思いで生きてきたか、お前は知る由もない。

お前たちが温かい家庭を築き、子供の成長を喜び、平穏な幸せを享受している間、俺はただひたすらに、この日のためだけに、憎悪を燃料にして走り続けてきたのだ。


「そんなことないさ。俺たちは、いつまでも友達だろ?」


俺はそう言って、悪魔のように微笑んだ。

その笑顔が、彼女の目にはどう映っただろうか。

安堵か、それとも、得体のしれない恐怖か。

どちらでもいい。


偽りの親友。偽りの微笑み。

この仮面の下で煮詰まった復讐心が、じわり、じわりと、お前たちの日常に浸透していく。

崩壊の序曲は、もう始まっている。

お前たちはまだ、その心地よい旋律に、気づきもしないだろうが。

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