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第一話 目覚め

 暗い。何処までも堕ちていくようなそんな感覚がする。


 ――死んでしまったのか?何も見えない、何も感じない。このまま溺れていくような、そんな感覚のみがある。このまま消えてなくなってしまいそうだ。

 

「……役目」

 

 誰かの声がする。役目?役目って?

 

「……お前の役目を果たせ」

 

 そうだ、僕には役目が、大事な役目がある。

 

(とこしえ)に変わらぬお前の役目を……」

 

 ――変わらない僕の……


 ◇ ◇ ◇


「起きろ」


 誰かの声が頭を叩き、目を覚ます。知らない天井、壁、空気感。いつもと違う感じがする。窓もないこじんまりとした年季の入った部屋が僕の感覚を狂わせる。ここは何処なのだろう?

 さっきの声の正体を知ろうと辺りを見渡した。が、そこには誰もいなかった。そして、重大なことに気づく。

 

「僕は誰だ……?」


 自分についての記憶が完全に無くなっていた。名前も、顔も、年齢も全部を思い出すことが出来ない。

 しかしはっきりと憶えていたことがあった。


「役目……」


 漠然とした「役目」という言葉が脳内にへばりついている。それが何を指しているのかまでは思い出せなかったが、確かに「役目」があった。必死に思い出そうとするも思い出せない。思い出そうと頭を動かす度、酷い頭痛に襲われる。

 その時目の前の扉のドアノブがガチャッという音を鳴らし、ギギィと建付けの悪い音と共に扉が開いていく。異様な空気感が更に異様になる。


「誰?」


 扉の向こうから現れた少女と目が合う。少女と言うには少し大人びているが、小柄なその容姿には微かな幼さを感じさせる。薄灰色のパーカーにミニスカート、長い髪に赤い目。そして猫耳が生えている。

 ……猫耳が、生えている?

 アクセサリーとかじゃなく、確かに猫耳が生えている。頭から、直接。


「なんでここにいるの?」


「えぇっと……分かんない…です……」


 記憶喪失の僕には分からない、としか返答が出来ない。猫耳少女は黙って僕を睨んでいる。そして自然と僕の目線は下へと向いた。

 そしてここで初めて気づく。彼女は武器を持っている。刀だ。左手で鞘の部分を持ち、右手で柄に触れ、いつでも抜ける体勢になっている。


「正直に答えて。なんでここに来たの」


「えっと、だから本当に……」


 そう言おうとした時に、相手の眼付きが明らかに変わった。疑いの眼から殺意の眼になった。元々逃げ場がない空間ではあったけど、それが更に確実になった感覚だ。変な汗が自分の身体から流れる。とにかく事情をひとつずつ説明しないと刀の錆にされそうだ。


「……えっと、実は起きる以前の記憶がなくて…気づいたらここで寝ていて……」


 この返答が正しいのか、見逃してくれるのか、そもそも見逃す気があるのかと色々なことが思考を巡る。


「そう、何を言っているのかよく分からないけど今すぐこの街から出ていって」


「えっと……」


「嘘に付き合ってる暇はないの。早く出ていって」


 嘘じゃない、と言いたかったが彼女の眼が依然として殺意を放っていて下手なことは言えなかった。

 仕方なく身体を起こして立ち上がろうとしたその時、地響きと共にけたたましい音が鳴り響いた。


「うわっ!」


 あまりの揺れに体勢を崩す。何が起こっているのか全くもって分からないけど、とんでもないことが起こっているというのは分かった。

 幸い、揺れも音も直ぐになくなった。なんか、次から次へと分からないことばかりが増えていく。さっきの揺れのことを猫耳少女に聞こうとした。しかし、そこに彼女はいなかった。


「いない……」


 気になることもあったが、どちらかというと安堵の気持ちが勝っていた。殺されなくてよかった、本当にそう思う。

 とにかくここから直ぐに出ていかないと。ドアノブに手を掛け、扉を開ける。その先には上へと続く階段。一段ずつ登る。湿気っている空気が身体に纏わってきた。

 そして最後の段に辿り着く。目の前にはまた質素な扉。隙間から微かな光が零れている。ドアノブに手を掛ける。そしてゆっくり開ける。目の前に広がる景色は思ったよりも生活感のある室内だった。アイボリーの壁、薄茶のフローリング。窓からは光が差し、やや使い古したソファや机があり、観葉植物が置かれている。ここはリビングなのだろうか。机の上には資料のようなもの数枚とペンが散らかっている。何が書いてあるのか気になり、一枚紙を手に取る。


 『定期報告→前回より変化なし

  治験結果→1は一切の変化なし

       2は一時間ほど苦痛を伴った後、特に変化

       なし。恐らく前々回の薬の効果と同様

  一家情勢→教団の人間との関わりあり。一名の教徒

       が客人として来ている。特定には至らず』


 その下にもずっと書かれていたが、何のことを書いているのかさっぱり分からなかった。何より読むほどに頭痛が酷くなっていったから読むのをやめた。それに「早く出ていって」と臨戦態勢を整えられていたことを思い出し、即座に資料を元の位置に戻し、出口を探した。

 リビングを出てすぐの所に玄関があった。外に出たとして、その後はどうしよう。記憶喪失で自分のことすら思い出せないのに、ここからどうにか出来るのだろうか。沢山の不安が脳裏を過ぎる。しかしここから離れないと、と思うと自然と身体は動き、外に出ていた。


◇ ◇ ◇


 そこは閑静な住宅街だった。家の密集地ではあるが、やけに静かだ。そして左手には聳え立つコンクリの壁がある。壁の向こうも気になるところではあるが、ここからどうするか、というのが今の課題だ。

 すると、またあの地響きが起こった。再び体勢を崩し、転ぶ。直ぐ起き上がろうとすると、ズッ、ズッ…と地面を這う音がした。右を向くと遠くに黒い影が見える。こちらに向かってくるそれは、近づくにつれて姿が明らかになった。

 蛇、というにはあまりにも大きく、あまりにも異様だったけど、それを言い表すなら「蛇」と言うしかなかった。体長は多分十メートルは越えていると思う。頭の数が六個、いや七個ある。ひとつの身体から枝分かれするように別の蛇の頭が生えている。鱗にはいくつもの目があり、赤黒い。顔のひとつひとつが自我を持っているかのように別々に動き、鋭い牙を見せ付けている。

 本能が逃げろと叫んだ。しかし怯えた脚は言うことを聞かない。僕は完全に固まってしまった。

 化け物がこちらに気づいた。少しずつ距離を縮めてくる。死の足音が徐々に近づく。

 完全に化け物と目が合う。どの口からも涎を垂らし、金切り声をあげる。そしてまた地面が揺れる。そうか、コイツが地面を揺らしていた犯人か、と納得した。

 あぁ、このまま喰われる。僕は冷静さを完全に失い、恐怖のあまり目を瞑り叫んだ。


「ああああああああぁぁぁ!!!」


 呼応する様に化け物も雄叫びをあげる。そして口を開け、勢いよく僕の方に喰らおうと襲いかかった。

 ――死。その言葉が最期まで過ぎった。死ぬ苦しみや痛みなんて実質一時間よりも少ない人生の中で考えもしなかったが、今それを考えている。

 違和感。痛みもなければ喰われた感覚もない。そう思ってゆっくり目を開ける。

 日差しが眩しく感じる。そして目の前にはさっき襲ってきた化け物の亡骸があった。

 何が起こったのか分からない。確かに僕は殺される寸前だった。でも現状はその逆。僕を殺そうとしたソイツが殺されている。

 何か自分には特別な力があって、目を瞑っている間に殺したのではないか、と考えたがすぐ否定された。亡骸の他にも人が立っていた。フードを深く被っていて顔はよく見えないが、その人の右手には斧……だろうか?その武器には化け物の血がこびり付いていた。

 そしてこちらに近づいてくる。


「大丈夫?」

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