第051話 二人のアスリート
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「以前のように小さなカップに閉じ込められる数であれば、恐らく捕獲は簡単でしょう。しかしその程度の数では皆さんの想定している畑面積に対し、作業する蟻たちの数が圧倒的に足りません。少なくとも蟻玉四つ分、彼らを確保する必要があると思います」
フィールドワークを口実に再び村へやってきたリッケさんが、指を立てながら力説する。しかし正直なところ、俺はどうして彼女が蟻を掴まえることができたのか、まだよく理解できていない。
「リッケさんに一つ質問が。以前書庫で聞かせてもらったけど、貴方はそこで『生物を口にしない』と言いましたよね。でもその理屈だと、リッケさんの手を食べなかった理由はわかるけど、カップを食べられなかった理由がわからないんだけど」
「その疑問、いいですね!」と俺の両目の間に指先を向けた彼女は、そのまま指先を数匹持ち込んだ蟻たちの足元に添えた。すると当然蟻は彼女の指先を避け、別の方向を向いてしまった。
「その疑問の答えは恐らく単純です。彼らは幾つかの条件を組み合わせ、その条件に合致したものを餌と判断しているのかと思います。まずは最も簡単なものでいいますと、『熱』ですね」
背負っているリュックの中に入っていたカップを指さした彼女は、熱を移さないよう慎重に地面に置き、その中に一匹蟻を入れた。外気温と差のない陶器製のカップの中で数秒ウロついた蟻は、あるところで急に立ち止まり、カップの縁をかじり始めた。その姿を目撃した俺とマーロンさんは、彼女の思惑どおり驚きの声を上げてしまった。
「当然条件の全てがわかっているわけではありませんが、彼らは何らかの器官を用いて生物特有の熱や魔力、動きや呼吸の有無などを読み取っているのだと想像します。あの夜は、緊張から私の手の熱と汗がコップに移っていましたので、彼らにはこれを餌と判断することができなかったのでしょう」
思わず納得してしまう。
どうして荒唐無稽な性格にも関わらず、何かを語るときの彼女の言葉には一つひとつ重みがあるんだよなぁ。それが癪でもあるんだけど……
「だったらさ、温めた大きな網で一網打尽にしちゃえばよくない? ハクが走って、私が上から網をかけるの。きっと簡単だよ!」
マーロンさんの提案に、俺も同じようなことを考えてたと同調する。しかしリッケさんは心底引きつった嫌らしい顔で俺たち二人を見つめ、「野蛮……」と言い捨てた。野蛮で悪かったな!
「何より恐らくですが、その方法では上手くいかないと思います。10メートルほどもある大きな蟻玉ではございますが、もとは一匹五ミリ以下でしかない生物の集合体です。きっと網の隙間から抜け出し、逃げ出してしまうでしょう」
「だったら網目に魔力で薄いフタをしてしまえばいいよ。それなら大丈夫だと思います」
「うーん……。あまり強引なやり方は好みではないのですが、そう仰るのであれば、一度その方法でやってみましょうか」
なんだか棘のある言い方をするリッケさんに対して、絶対の自信を滲ませるマーロンさん。妙な対決構造ができあがり、ライバルである両者の間にメラメラと炎が湧き上がっている。「ちゃんと協力しましょうね」となだめる俺を無視し、互いが腕まくりしながらその時に向けて準備を開始した。
魚を捕まえる投網用の縄を繋ぎ合わせたマーロンさんは、それを上手く蟻玉へ投げられるようにシミュレートしつつ、縄全体に耐熱性のある簡易塗料を塗り「フフフ」と笑みを漏らす。どうやら彼女の中ではもう蟻たちを捕まえる構図ができあがっているらしく、入念に何度も縄を投げる仕草を行っていた。対するリッケさんは、口をすぼめて難しい顔をしながら、頭の中で蟻を捕らえる方法を模索しているのだろう。あーだこーだブツブツ念仏のように譫言を呟きながら、スポーツ選手のように時折身体を動かしつつイメージを繰り返しているようだ。
「よし、ハク私の方は準備万端よ、いつでもいけるわ!」
「ふふん、まずはお手並み拝見かしら。ではハクさんにトゲトゲさん、いよいよ作戦開始ですわ!」
腕を組み、バチバチ視線をぶつけ合う二人のウォーリアー。
俺とトゲトゲさんは妙な諍いに巻き込まれぬようにそっと準備を整え、「では参りましょうか」と小人のような消え入る程度の声で言った。
巨大化したトゲトゲさんが蟻の居所を探す間、縄全体に魔力を流し込んだマーロンさんは、無言で俺の右肩にヨイショと腰掛けた。対して自分の背中より大きなリュックを背負ったリッケさんも、何を言うでもなく俺の左肩にヨッコラショと腰掛けた。
なんでしょうね……
何も言わず当たり前のように座ってますけど、俺はいつからお二人の移動手段になったんでしょうか……?
「たのしそー、ポンチョも乗るー!」
そしてモコモコさんも頭の上にピットイン。わしゃ飛脚か!
ひとりノリツッコミをしている間にも、トゲトゲさんの尻尾が小刻みに何かを伝えている。目的の蟻が接近中であることを知らせる合図が次第に大きくなり、俺は両肩の二人に「行きますよ」と宣言する。今か今かと待ちわびていた二人は、「GO FOR IT!!」と叫んだ。なぜ英語だ!
前傾姿勢で駆け出す俺に、ジェットコースターに乗る子供のように一切臆することなく「シャー!」と叫んだ二人は、もはや速度に驚いていた過去の面影すらなく、四方八方に視線を向け蟻を探していた。ただひとりポンチョだけは、暇そうに、かつ器用に頭の上でゴロゴロしながら目を擦っていた。
トゲトゲさんの尻尾が蟻玉の位置を示しながら離れていく。俺は尻尾の先をパンパンと叩いて礼を言うなり、尻尾の先に足をかけ、彼が跳ね上げる反発力を利用して空中へと飛び出した。そして目標物となる巨大な蟻玉の姿を天高くから捜索する。
「大きな魔力の塊は……。あれだな!」
俺とほぼ同時に指をさしたマーロンさんが、地上を超スピードで移動していく蟻玉の姿を捉えていた。「フヒヒヒヒ」と怪しい笑みが漏れているリッケさんも、リュック紐を強く握りながら身体を前後に動かし、今にも飛び出さんばかりに興奮しているご様子。いや、バランス崩れるから二人ともあまり動かないでよ!?
「一気に接近しますから、舌を噛まないでくださいよ!」
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