第049話 彼女の力
数日後、ギルド経由で大書庫への呼び出しをくらった俺たちは、仁王立ちで待ち構えていたリッケさんと再び対峙することとなる。もはや俺たちの中で彼女の存在は猛悪な魔物と同じくらいの脅威度、否、それ以上のものになりつつあり、頭を大いに悩ませていた。
「よーこそいらっしゃいました。さぁさぁどうぞ、どうぞこちらへー!」
いわゆる書庫という厳かな空間に彼女の異様なほどデカい声が響き渡る。あの夜のテンションそのままに、瞳孔が開いてギンギンになっている眼で俺たちを招き入れた彼女は、書庫裏にある職員専用の研究スペースに入るなりドンと腰掛け、足を高く上げて左右に組み替えながら言った。
「さぁさぁ、お好きなところにお掛けください。そして此度の研究成果を示し合わせようじゃあありませんか!!」
同僚の書庫員さんすらもドン引きしている異常事態に、俺とマーロンさんは誠心誠意の平謝りだ。どうにか皆さんの視線を避けて扉を閉めた俺は、「勘弁してくださいよ」と泣き言を漏らすしかない。
「何を勘弁するというのです。人類における進歩の歴史を自ら体現しておきながら、何を恥ずべきことなどございましょうか!? ですよね、トゲトゲさん!」
背後に隠れていたトゲトゲさんを持ち上げたリッケさんは、チュッチュッとキスしながらムギュッと抱きかかえた。どうやら相当気に入られてしまったようで、もはや俺たちではどうすることもできない。トゲトゲさんには申し訳ないが、諦めてくださいと十字を切りつつ俺たちは黙って腰掛けた。
「さぁさぁ、本来であればあの夜のことを鮮明に! かつ繊細に! かつ堂々と語り明かしたいところではございますが、残念ながらそこまでの時間はございません、と。しかしわたくし、あれ以来、喜びに打ち震え続ける日々。嗚呼、どれだけの幸せが、これ以上わたくしに襲いかかってくるのでしょうか(うっとり)」
酔いしれていらっしゃる。
しかしイライラしながら咳払いして空気を断ち切ったマーロンさんが、「それで、お話は?」と喧嘩腰に言った。
「そうでした、そうでした。お呼び出しさせていただいた理由はほかでもありません。こちらをご覧ください」
そういって彼女が差し出したもの。
それはあの夜、彼女が採取した数匹の蟻たちだった。
「本当に捕まえていたんですね。しかしそれを見たくらいで何かわかるんですか?」
「……舐めていただいては困ります。こうみえて、わたくし大好きなんですよ、生き物が」
でしょうね、とトゲトゲさんを抱えた彼女の姿を見つめて頷く。普通は恐がるんですよ、彼の本当の姿を知ってたら……。
「あれから数日の時をかけ、わたくしは幾つかの検証を行いました。その結果、わたくしはひとつの結論に達しました。そう、彼らをコントロールすることは難しいと!!」
俺とマーロンさんが同時にずっこけた。
なんだそれ、そんなこと言うためにわざわざ呼びつけたってこと!?
「ふ、ふざけてるなら帰りますよ。俺たちも遊んでる時間はないんですから」
しかし彼女は「チッチッチッ」と指を横に振って不敵に笑う。
「そう結論を焦りなさるな。ハクさん、貴方はあの夜、私に向かってこう言いましたね。『腕なんか突っ込んで、食べられたらどうするつもりなのか』と。しかしあのとき、私は確信を持って蟻玉に手を入れました。彼らが私の腕を食いちぎることはないだろうと」
妙に説得力のある堂々としすぎた態度に、俺は思わず息を飲んでしまう。この人、いちいち迫力あるんだよなぁ……
「では念のため聞きますね。どうしてですか?」
「私は私が手を入れる直前まで、彼らが何を食し、何を食さないかを具に観察しておりました。木々の葉、枝、土、石、生き物、死骸、無機物、有機物などなどひっくるめて、彼らがその玉に取り入れた物は様々でした。しかし……、驚いたことに、彼らはある物を一切口にしていなかった。それはなんだと思います?」
「え? いや、そこまでは……」
「…………生物です」
「せ、生物?」
「わたくしが見ていた限り、彼らは生物を一切口にしていなかった。口にしたのは、いわゆる生命を失った生物だったもの、もしくは物質的に途切れてしまったもの。地に落ちた草木や砕けて散った石、それに小動物の死骸などのみです」
あのハイテンションの中、そんなところまで見てたんですかと言葉にしかけるも、俺はグッと堪えて飲み込んだ。なんだか癪だったからだ。べらぼうめ。
「そ、それで……?」
「こちらへ戻り、すぐに気付いたことを検証いたしました。さらにはもともと明らかであった項目に加え、幾つか気になったポイントも再度調査いたしました」
リッケさんは小さく区切った箱の中に一匹の蟻を入れ、等間隔に数滴の水を垂らした。すると蟻はそれを避けるように移動し、自ら水滴から一定距離離れた場所で停止した。
「まず事前の情報どおり、彼らは水を極端に嫌います。水分補給に関しても口にした食品から摂取するのみで、定量に達した水を直接取り入れることはありません。また本能的に水を避ける能力が備わっているのか、それを避ける場合には水と反発するかのよう不自然に飛び回ります。このように」
直接水のついた枝を向けると、瞬間移動するように距離を取ったままジャンプした。マーロンさんが思わず「面白い」と口にしてしまったのも頷ける。
「次に彼らの移動方法と捕食方法についてです。彼らは内包している魔力を用い、かつそれぞれが協力して餌を大量取得するとういう方法に辿り着き、成功しています。一匹一匹の力は極微小ですが、密集することでそれぞれの魔力を集中させ、大きな力に変換しているのでしょう。その数が増えるにつれ、移動する速度や捕食するスピードが劇的に変化することが確認できました」
一匹、二匹と蟻を追加すると、彼らはすぐに密集し、協力して移動を開始した。しかも異常な速度で水を避け、プログラムされたかのように動き回った。
「そして実験の結果、彼らの行動には幾つかの法則があることがわかりました。まず移動に関して、彼らが意思を持っているわけではないということです」