第037話 森のバケモノ
俺が張り巡らせた『検出』の罠に何かが反応を示した。
敵の数は六名。
足音の気配や、存在を消している具合から見るに、CからBランクの冒険者パーティーだろうか。
形跡を残すことなく、目的地だけをまっすぐ目指して進んでいるところをみると、まず間違いなくギルドから派遣された手練れであることが窺える。
しかし寝ぼけ眼の俺は、蹴飛ばしていた布団を被り直し、再び眠りにつく。
あれくらいの冒険者なら別にいいや。
ボアボアだけならまだしも、アイツは絶対に突破できないから、って……
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「緊張感を保ち続けろ。この先に待つのは、かの名高いゴールデンワイルドボアだ。しかも周囲は奴の取り巻きどもが跋扈していると聞く。……なによりボアを操る猫の民のこともある。奴らに恨みはないが、いざというときは……」
闇に紛れながらひとりが呟き、他の五名が頷き応えた。
ギルドから聞いている目的の場所は目と鼻の先。ここから先はより慎重にと足を止めた六名は、姿を隠す魔法やスキルを二重三重に掛け直し、万全を期して身を固めている。
しかし、彼らは気付いていなかった。
村だけでなく、彼ら自身を取り囲んでいる巨大なナニカが、少しずつ、その距離を縮めていたことに……
「奴らは泥の中に潜むこともできるらしい。視覚だけでなく、魔力を使って相手の位置を感知するんだ。そもそもバカでかい魔力を持ってる魔物だ、完全に存在を消すなど不可能に決まっている」
魔力検知が得意な冒険者のひとりが、ボアボアのいる位置を特定するため、広範囲にスキルを発動した。泥場の中央で安心しきって眠りこけているボアの位置を探知した冒険者は、イビキをかいたまま微動だにしないボアの存在を確かめ、「あちらだ」と呟いた。
「今ならば奴らを出し抜ける。夜明けがやってくる前に片付ける。ぬかるな」
彼らがそう声をかけたときだった。
中のひとりが、「ぐぁッ!?」と悲鳴を上げた。
何事だと慌てた五人が辺りを窺うも、数秒前までそこにいたはずの仲間の姿が影も形もなくなってしまった。
まるで理解できず、ひとりが「近くに寄れ」と声をかけて連携を図った。それぞれが背中を預け、全方向へ視線を向けながら警戒を解いていないはずが、数秒後、また彼らの背後で誰かの悲鳴が上がった。
「ば、馬鹿なッ!? 我ら五人、ここで密着し、目を凝らしていたはず!?」
しかしいつの間にか、またひとり、仲間が消えてしまった。状況が読めず、疑心暗鬼に陥り自分しか信じられなくなった冒険者たちは、他人よりまず自分の身を案じ、上下左右に視線を動かした。
チロチロと何かが揺れるような音が聞こえ始め、四人の冒険者がそれぞれ耳を澄ませた。次第に近付いてくるその音は、無数の鈴が地面に当たるような音色で、チロチロチロチロと無作為に繰り返されている。しかし音の出どころは掴めず、四人の冒険者は周囲を警戒するほかなく、「何が起こっている!?」と慌てるしかない。
すると今度は、周りを濃い霧が漂い始めた。森を覆い尽くすように広がっていく濃い霧は、一人ひとりの姿を森に飲み込んでいく。四人それぞれが離れるなと連携を取っているはずが、それなのに少しずつ声が離れてしまう。敵の魔法かと勘ぐるが、まるで見えない敵の正体に警戒する術すらない。
「な、な、な、何が起きてる!?」
誰かの声に続いて、また悲鳴が轟いた。チロチロと続く音だけが、森を囲うように接近しては、また離れていく。仲間の名を呼んだ冒険者は、もはやすっかり見えなくなってしまった森の様子を手探りで窺いながら、「みんな、どこなんだ!?」と叫んだ。
また新たな悲鳴が聞こえてきた。
これで合計四人、声が消えてしまった。
残された二人は、怯えながらも声の出どころから仲間の位置を予測し、「俺はここだ」と口々に自分の位置を知らせた。しかしその声は、右になったり、左になったり、上になったり、下になったりと秒ごとに位置を変え、二人の思考を混乱に陥れた。
「な、な、な、なんなんだ、なんなんだよ!? 何が起きてる!!?」
困惑した言葉の直後、仲間の悲鳴が森を抜けていく。しかもその言葉の最後に微かにのった「バケモノ!」という言葉だけが、ひとりきりになってしまった冒険者の耳に鮮明に残っていた。
「な、何かがいやがる。幻惑系の魔物か、それとも猫族のスキルか!?」
魔力を検知するため、冒険者は広範囲にスキルを展開した。しかし近くには魔物どころか僅かな魔力の淀みすらなく、冒険者は困惑する。
そんなはずはない。
そんなわけがない、と。
未だチロチロと繰り返される異音。
反応しない魔力検知。
理由なく削られていく仲間たち。
そんな極限状態にハマり、冒険者は踵を返し、走り出す。
これ以上、留まってはいられない。
このままでは、殺されてしまう。
そんな本能の叫びだったに違いない。
しかし…… それはもう手遅れである――
彼を囲んでいたその無数の脚は、確実に、より圧倒的に、彼の身体の一節一節を、無闇に掴んで離さないのだから……
必死に逃げる彼の目の前から、突如霧が晴れ、森本来の姿が見えてくる。漆黒に沈んだような森の中でも、彼の夜目は、はっきりと前方を見据えていた。
しかし。なのに。
すぐそこに、はっきり見えていたはずなのに。
大木の、その先にそびえ立っていたはずの木が、もう見えない。
闇に溶けてしまったかのように、さもその先に、壁でもあったかのように。
「境目、境目が、なんだッ!?」
そこでようやく冒険者は気付く。
チロチロと続いていた音。
その音が、自分が見ている境目付近から鳴っていたことに。
その瞬間、境目が突然畝り始めた。
そして畝は上下に膨らみ、冒険者の行く手をすっぽりと阻んでしまう。
そして成す術なく尻もちをついた冒険者は、漆黒に取り囲む壁の正体を始めて目撃する。
無数の脚。
その数は、百本、二百本、では足りない。
千本、二千本でも足りない無限にも思えるほどの細かな脚が、取り囲む壁から無数に生えており、蠢いていた。しかもその巨体は闇を思わせるほどに広く深く続いており、さらにまた先で、チロチロと嫌な音を奏で続けていた。
「ヒィ、ば、バケモノ!」
彼の悲鳴も、畳まれた無数の脚たちに吸収され、また闇に飲まれた。
そうして全ての望まれぬ来客を飲み込んだバケモノは、音もなく静かな森の奥へと静かに消えていくのだった。
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