第136話 鬼神の如き
過去に置き去りにしてきた記憶に飲まれそうになる。
しかしそんな時に限って、アイツはいつも俺の本質を思い出させてくれるんだ。
不意に背後から俺の頭に飛び乗ったモコモコの毛玉は、上からそっと俺の顔を覗き込み、「ト~ア、顔コワーイ!」とヘラヘラ笑った。俺は思わず笑みを噛み殺し、「そう言うお前の顔はいつもマヌケだな」と鼻先をピンッとはねてやる。
「そうだ、今の俺はハク村の村長ハクだ。村の仲間を守ることが俺の役目。だよな、ポンチョ?」
「ポンチョもやるー!」と手を挙げたモコモコに狙いを定め、三体のウルフが一斉に襲いかかってきた。ハワハワ慌てたポンチョの頭を押さえた俺は、「舌噛むなよ」と笑いかけ、右手一本で三体を同時にぶった斬る。さらには奥で待ち構えていた四体を真横に振るった一閃で弾き飛ばし、最後に上から飛びかかってきた二体を、後方回転しながらつま先に仕込んだ武器で首ごと叩き落とした。
文字通り一瞬の空白が生じ、俺は仲間全員を覆う形で強力な魔力結界を張り直すとすぐに、ポンチョをマーロンさんにトスして一人結界の外へと飛び出した。「アンタ、死ぬ気か!?」と手を伸ばした護衛を結界の中に押し戻した俺は、「足手まといを守りながらだとやりづらいんだわ」と手を振った。
既にかなりの数を斬った気がしたが、どうやらまるで気配は減っていない。
それにしても厄介なことをしてくれるなぁと笑いながら、俺は闇の魔力を僅かばかり開放させ、それを刀にまとわせた。
「尻尾巻いて逃げるなら今のうちだぞ。向かってくる奴らは容赦しない。死にたい奴だけかかってこい!」
それより先に背後の弱い奴らからだと言わんばかりに、結界内部を狙ってウルフが突っ込んでくる。しかし俺はそいつらを無視し、正面に並んでいる10体に狙いを定めた。
「お前らじゃ俺の結界は崩せねぇよ。さっきの一瞬だけが、お前らにとって最初で最後の勝機だっつーの!」
ガチンッという音が響き、ウルフの牙が結界に弾かれて地面を転がった。
その音をきっかけに踏み込んだ俺は、さらに沈むほどの闇をまとわせた刃先を糸のように操り、音もなく敵の頭を落としていく。血が吹き出す噴出音と、頭蓋が地面に落ちるボスッという音だけが重なるように続き、これまで雁首揃えて並んでいた影が秒ごとに消えていく。
俺は背後から届いていた視線を避けるように闇へと紛れ、荒い呼吸を繰り返す魔物の集団を一掃していく。数えることすら億劫になるほど集まったウルフの集団は異様そのもので、まともな冒険者ならば発狂し、全てを諦めて奇声を上げたに違いない。
無駄な動きを最大限に減らし、一撃必中の攻撃でウルフを斬り伏せていく。終わりまでの道筋を秒で弾き出し、狭い空間を刃のひと筆書きで埋め尽くすように辿っていく。そして戦闘開始から三分に五秒を余し、握った刀をブンと振るい、血を払った。
「……ふぅ、100体以上は狩ったかな。それにしても、久々に少しだけ本気出しちゃったよ」
改めて背後を振り返れば、惨殺現場を思わせるほどに凄惨な光景が広がっていた。
頭に手を置いた俺は、「どう言い訳するべきかな」と独り言を呟きながら、血まみれになった靴裏を適当に払った。
「ど、どうしたんだ、急に静かになったけど……。まさかやられてしまったのか!?」
結界の奥から誰かの声が聞こえてきた。
俺は死体の山の真ん中をカツカツ踵を鳴らして歩きながら、どうにか視界が届く位置から手を掲げて、「やあ」と合図した。すると――
結界の中から誰かが駆け出し、ガバっと俺に抱きついてきた。
軽く震える指先を腰元に添えたその人は、俺の胸元にしがみついたまま、「良かった、……生きてた」とこぼし、俺の服に顔を埋めた。
「ちょ、ちょっと。マーロンさん!? ほら、俺はこのとおり大丈夫ですから。……皆さん見てますし。ね?」
顔を隠したまま首を振った彼女の頭を撫でながら、「あははは」と誤魔化すしかない。
エルダーウルフスケルトンを100体以上狩れる冒険者がBランクと言われて納得する者はおらず、どう考えても怪しまれるに決まっている。しかし俺の心配をよそに、結界内から聞こえてきたのはドッという歓声だった。
「生きてる、生きてるぞ、あの人!」
「スゲェ嘘みたいだ。生き残ったぞ、生き残ったんだよな、俺たちは!?」
「凄すぎるぜ、アンタ。お嬢様、俺たち生き残ったんすよ、はは、アハハ!?」
思い思いの言葉で喜びを表現する一行の中で、呆然と立ち尽くしていたムトさんは、糸が切れた人形のようにガクンと膝をついた。
俺は心底疲れたと大きくため息をついてから、未だ離れてくれないマーロンさんの頭をポンポンと叩く。潤んだ瞳でムグッと怒ったように見上げた彼女に「あはは……」と苦笑いを返し、まずは避難しましょうかと結界の中に戻った。
歓喜の輪が広がる中、一人呆然としていたムトさんに歩み寄った俺は、「大丈夫だった?」と尋ねながら頭を撫でる。するとまだくっついているマーロンさんが恨めしそうに俺を見上げた。
「全員無事で良かった。まったく、肝を冷やしたよ」
全身から力が抜け、額を拭う。すると今度はムトさんの影に隠れていたポンチョが駆け寄り、マーロンさんの頭を足場にしてジャンプし、俺の顔にポチョンとしがみついた。
「ポンチョジャーンプ♪」
しかしニャハハハとご機嫌なモコモコさんをなだめている最中、突如喜びの声を分断するような男の怒声が響いた。全員が振り向いた先では、護衛のひとりが誰かに怒りをぶつけているようだった。
「キサマ……! 一体どういうつもりだ!?」