第135話 不可解な決闘
しかし彼女は躊躇なくそれを手のひらで握り潰し、これでもかと頭上で撒き散らした。弾けた血液のようなものが周囲に降り注ぎ、皆が思わず顔をしかめた。
「ちょっ、きゅ、急に何を!?」
マーロンさんの声掛けもそこそこに両腕を掲げた俺は、周囲の障壁をありったけ強化する。そして全員が壁際に集まるよう、怒号混じりの声で集合をかけた。
「あ、アハハハ、アハハ、ヒャハハハヘヘヘヘ! きまひゅ、きまひゅよやちゅら!? ソンチョー、おねがしますよ、いよいよ出番でちゅよ、ソンチョさーーん!!!」
もはや前後もわからないのか、頭を揺らしふらふらしている彼女を抱えた俺は、「いいから早く全員集まれ!」と声を荒げた。しかし事態が読み込めずオロオロしているみんなは、互いに互いの顔を見合わせたまま様子を窺っていた。その時だった――
グルルルル、と低く唸るような音。
しかも一斉に、その音が近付いてくるのがわかる。
さらに音は四方八方から漏れ始め、ついには壁側以外の全方向から、腹の底まで響くような唸りとなって広がっていく。
「な、なんだというのだ!?」
「こ、この声は、まさか……!?」
護衛たちの嘆きを掻き消すように、闇の奥で黒い影がゆらりと動いた。
揺れる影は秒ごとに増え、グルルルという耳触りな音とともに、瞬く間にまた増え広がっていく。周囲に立ち尽くしていたメンバーが、後退るように円を狭めていく。それもそのはずで、彼らの視線の先には、既に数え切れぬほどの瞳が蠢いていた。
「え? え……? ええっ!?」
もはや冗談では済まされないほどの眼球が俺たちを見据え、その朽ちた肉体を一歩、また一歩と踏み込んで進んでくる。時折ボトリと腐った肉が地面に落ちると、岩盤の表面を溶かす強酸性の匂いが辺りに漂い、ムトさんが思わず顔をしかめた。
「マーロンさん。この場は俺がどうにかしのぎますので、皆さんのことを頼みます。護衛の冒険者たちも、全力で主人を守れ!」
その声をきっかけにして、闇の中から一筋の闇が襲いかかってくる。
俺は手にしたククリ刀で最初の一体の首を掻っ切り、すぐさま次の攻撃に備えて身構えた。
敵の数は、察知できただけでも30体以上は確実。
全体数を把握していられないほどの圧力が、俺たちの周囲を埋め尽くしていた。
『 ガウッ、ウガウァッ!! 』
敵の正体はエルダーウルフスケルトンの大集団だった。
奴らの好物である『死人の臓物』の匂いを嗅ぎ取り現れた大量のウルフは、そのカビの生えたように割れた牙を晒しながら、壁を背負った前方180度を隙間なく取り囲んでいた。
「ウフひゅひゅ、アヒャハ……、アハ……」
電池が切れたかのようにグッタリ倒れてしまったリッケさんのことをマーロンさんに任せ、俺は全ての敵を威圧しながら視線を張り巡らせる。しかしこちらの『一歩でも踏み込めば殺す』という殺気を込めた威嚇すら無視し、数頭のウルフが一斉に襲いかかってきた。
「全員伏せろッ!」
上下左右全方向から飛びかかってきたウルフの攻撃を、ただの一閃で斬り伏せる。
しかし合間を縫って二撃、三撃と襲いかかってくる攻撃の勢いが留まることはない。
何より、その攻撃の全てが俺へと向けられたものなら、正直なところどうにでもなるだろう。しかし野生という生き物は、より弱いものの存在を感じ取り、弱者を先に仕留めようとするものだ。たとえ個の力は低くとも、やはり数の力は厄介で、全ての攻撃を俺一人で捌き切ることは困難だ。
上下正面の攻撃を縦に捌けば、左右の守りが疎かになるのは当然だ。
敵もその瞬間に狙いを定め、背後で震えている者たちへと牙を剥いてくる。一瞬の隙を狙い、一頭のウルフがムトさんめがけて踏み込み、その牙を露わにした。
「ムト、頭を下げてッ!」
金属音が壁に反響し、俺を突破していったウルフが跳ね返された。
既のところを短剣二本で受け止めたマーロンさんは、さらに剣を振るい、ウルフの両目を斬り裂いた。
「お、お姉様!?」
「いいから集中なさい、貴女は自分が生き残ることだけ考えるの!」
俺は「イイねぇ」と呟きながら、舞踏でも見せつけるように、目に映った全てのウルフを斬り裂いていく。腐った血肉が身体を汚し、落ちた骨が地面をバウンドする。さらに二本のククリ刀を追加した俺は、両手に二本ずつ握った刀を指先ひとつで操りながら、触れるものを全てを無作為に斬り捨てた。その様はあまりにも凄惨で、あまりにも不気味だったに違いない――
「うぉぉぉぉ、お嬢様を守り抜け!」
「そっちに一体それたぞ、守りを固めろ!」
ウルフたちの吐息の隙間から聞こえてくる雄々しい猛りが合わさり、俺の背中を押す。しかし心のどこかでずっと影を潜めていた俺自身の本質が漏れ出てしまうようで、溢れた狂気が刀を通じてウルフたちへと流れ込み、ただただ軽薄に命を奪っている錯覚に陥った。
「指先に伝わる感触も、肉を削ぎ落とす音も、吹き出す血の匂いも、どれもこれも、全て不快だ」