第117話 ズボボボボ
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「でもね、私思ったの……。もしかして、みんな忘れてるんじゃないのかなって」
落ち着いたトーンに、淡々とした口調。
テーブルに肘をつきながら言った彼女は、真っ直ぐ俺の目を見つめている。
これはあれだ……
俺もしかして、彼女に問い詰められてる!?
「ええと、……何をでしょうか?」
「私たちね、まだ何もしてないの」
「何も、というのはなんでしょうか?」
「春の作付け。そろそろ準備しないと何も始まらないんだけど、もしかして忘れてないよね?」
…………。
確かにそうでした。
完全に忘れておりましたと謝罪した俺と、やっぱりねと呆れ気味なマーロンさん。
キノコの栽培や購買路を考えることも重要ではございますが、地盤を固めて地道に頑張ることの方が本当に重要です。彼女にはいつも俺の足りない部分を補填していただき感謝感謝であります。
「調子の良いことばかり言って。トアってさ、実はお調子者だよね」
「返す言葉もございません。苗についてはすぐに準備いたしますので、もう少々お待ちください」
「ハイハイ」と頷いた彼女は、恐縮しきりな俺の頭の上からポンチョを抱き上げながら言った。
「それで、これからどうするの? キノコを栽培するにしたって、まだ種類も決まってないし、そもそもどう作るかさえわからないってリッケさんに聞いたよ。あ、それに商会のことも。この前冒険者ギルドでローリエさんに聞いたんだけど、アスキート商会のロベリウスさん、例の件でカンカンらしいよ。おかげでウチを進めてくれたギルマスのテーブルさんも頭が痛そうだって」
ポンチョの代わりに俺の頭上にドンドンドンと重しを乗っけた彼女は、ズズズーンと凹んでいる俺の肩に手を置き、「まぁ元気だしなって」と笑った。いやいや、アンタが俺を谷底に落としたんでしょ!?
「そ、それは重ね重ね申し訳ないです……けど、世の中全部が上手くいくわけじゃないからね。なんならこれまでが上手くいきすぎていただけだよ」
「それはそうだけど。でも一つずつちゃんと片付けていかないとね。私も手伝うからさ!」
ううう、なんて良い娘さんなんだ……!
などと鑑賞に浸っていると、突然「たのもー!」と部屋の扉が開いた。
まったく、この人はいつも勝手に入ってきて。
他人様の自宅をなんだと思ってるんだ!
「村長村長、一大事一大事!」
飛び込んできたのはリッケさんで、何やら酷く慌てている様子。
……また何か問題ですか?
「私の頭はあの手この手でイッパイイッパイですから、一大事の件は却下で……」
「そんなこと言ってる場合じゃないって。例の商会との取引の件で、公国直属の商業ギルドが全面的にウチとの取引を禁止したんだって。これって本格的にマズいよね! マズいよね!!?」
などと言いながら、彼女の顔はどこか楽しげだ。
コイツ、他人事だと思って面白がっていやがる!!
「別にいいですよ、それは前からわかってたことですし。あれだけ無下に断ったんですよ。あちらさんだって、それくらいの手は打ってきますって」
「な~によ、その反応。もっとアワアワ慌ててくれると思ったのに。つ~まんないのっ!」
ツーンと口を尖らせていじけるリッケさん。
この野郎、おちょくってやがる……。
「なら逆に聞きますけど、リッケさんはこれからどうしたらいいと思います? 今後のために聞いておきたいんですけど」
しかし彼女は「それは村長さんが考えることでしょ、ヒヒヒ」と悪魔のように笑いながらマーロンさんの手元からポンチョを奪い去り、モコモコさんの腹に顔を埋めた。
「あ゛あ゛あ゛、ポンチョちゃんはいつも可愛いわぁぁ、ズボボボボ(※息を吸い込んだ音)、はぁぁぁ、癒やされるぅぅ!」
「イヤー、ポンチョ、顔拭くのじゃな~い!」
まったくこの人は……。
などとワチャワチャしていると、今度は誰かが大人しくコツコツと扉をノックした。
静かに扉を開けると、そこには直立不動で会釈するガンジさんが立っていた。
「あれ、こんな朝早くからどうしたの?」
「村長殿、少々お時間よろしいか。今後のことで少しばかり相談が」
堅苦しく挨拶した彼を招いた俺は、未だごちゃごちゃ喧しい面々を一喝しながら腰掛けた。
ポンチョを抱えて高みの見物だと余裕綽々なリッケさん、そしてマーロンさんに一礼したガンジさんは、背筋を正しながら床に正座した。
「え゛? いや、椅子座ってよ」
「某は床で結構。それより村長殿、早急に相談したき項目が」
そういうと、彼は持参した大きな紙をテーブルの上に広げた。
「なになに」と物見遊山なマーロンさんとリッケさんと一緒に覗き込めば、そこには所狭しぎっしりと重厚な文字が書き込まれていた。
「こ、これは……?」
「これまでに我ら一族が口にしてきたキノコの一覧にござる。昨晩、思いつく限りの品を並べてみ申した。我ら一族が知る限りの味や、毒などの詳細もまとめてございます」