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第7話:肉屋に、余計なことを聞くな

 その日、《ドンネル屋》にやってきたのは、

 市場の空気にまったく馴染まない服を着た青年だった。


 長く手入れされたマント、光沢のある靴、

 そして首元にだけあからさまに“金のネックレストップ”。


「えーっと……バルク・ドンネルさん、で合ってますよね?」


 厨房奥で骨を切っていたバルクは振り向かない。

 義眼だけが静かに、ちらりと青年の姿を捉える。


 トネリが、カウンター越しににこやかに言った。


「はいはい、店主は黙って肉切ってますけど、生きてますよ。で、ご用件は?」


「……噂を聞いてきました。先日、あのセヴァラン氏がここの肉を使ったと。

 貴族たちの間でも話題になっていて──

 実際、どんな技法で捌いているのか、見学はできるかと」


「見学?」


 トネリの口元が、ぴくりと上がる。

 その表情は、“さあ来たわね”という、少し悪戯っぽい笑みだった。


「お兄さん、名前は?」


「クラヴィス・エルンスト。貴族の……その、まあ、準構成家です」


「へぇ。クラヴィスくん。見学って、料理教室かなんかと間違ってない?」


 青年が言葉に詰まる前に、ユエルがそっと茶を置く。

 その動きは静かで無駄がなく、青年の視線は自然と彼に向く。


「……ここは見せるための場所じゃありません。命を切るところです。

 香りの技術が気になるなら、隣のスパイス屋へ。

 切り方が知りたいなら、包丁持ってから五年後にまた来てください」


 クラヴィスはむっとする。


「……ですが、私は料理も勉強している。素材の性質を“理論的に”理解する必要が──」


「理屈は香りにならねぇ」


 その瞬間、厨房から低い声が響いた。


 バルクが、包丁を洗いながら言った。

 目も合わせず、肉の血を水で流しながら。


「理屈で肉が旨くなるなら、本にでもかじりついてりゃいい。

 ……ここは、喰わせるために切ってる。誰かの口に入る、そこが全部だ」


 クラヴィスが言葉を失った。


 だがトネリが、ふっとフォローを入れる。


「でもまあ、香りと肉の合わせ方に“正解”はあるのよ。

 でもね、切るときに肉がどう鳴くか、それは誰にも教えられないわけ。

 お兄さん、自分で肉、捌いたことある?」


「……小鳥くらいは」


「小鳥からやり直してきな。せめて、鳴かないように切れるようになったら、

 “味”の話ができるようになるわよ」


 青年は、しばらく黙っていた。

 やがて、小さく礼を言い、帰っていった。


 ユエルが言う。


「……珍しく、揃い踏みだったね」


「たまにはな。俺が喋ると疲れる」


「それだけ、相手が空気読まなかったってことよ。貴族って、基本的に“会話”が目的だもん」


 バルクは、黙ってうなずいた。

 その手元では、また肉が静かに裂かれていく。


 言葉はない。だが、切断線は真っ直ぐで、香りも逃がさない。


 今日も、《ドンネル屋》は余計な言葉を交わさずに、

 “誰かの一皿”を仕上げていく。

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