第1話:血と筋、繊維に問う
朝の王都市場は、音が多い。
鉄の車輪、籠の軋み、怒鳴る声、香草の煙──
それらが混ざり合い、騒がしくも活気ある一日の始まりを告げていた。
「……静かだな。今日も、肉がよく冷えてやがる」
小さな精肉店《ドンネル屋》
市場の中でも少し奥まった路地、魚屋と香辛料商の隣に構えられたその店で、店主のバルク・ドンネルはいつものように冷蔵庫の扉をゆっくり開けた。
中には、前日仕入れた魔鹿の腿肉が吊るされている。
脂の回り、繊維の張り、乾燥の具合──
バルクの左目、《観肉の眼》が静かに紅く滲む。
瞳孔が、魔石の脈動に同調するようにわずかに揺れた。
「──下腿、魔力が残りすぎてる。煮込みにはいいが、焼きには癖が出るな」
ひとりごとのように呟き、バルクは包丁を選ぶ。
刃の厚さ、角度、重さ。
その日の肉に合わせて“刃”もまた選ばれる。
刃が吸い込まれるように肉を裂いていく。
音がしないのは、無駄な力を一切使っていない証だった。
そんな静かな朝の最中。
店の扉が、控えめな音で開かれた。
「……バルクさん、また頼みがあって来ました」
現れたのは若い冒険者。名前はエルン。
見習い剣士で、ギルドの依頼で地方の魔獣狩りに参加した帰りだった。
「今度はどんなのを連れてきた?」
「これです。ギルドが断ったって言うから、解体場にも持ち込めなくて……」
エルンの背から下ろされた布の包みには、青黒い鱗と、ぐにゃりと歪んだ骨格の一部が見えていた。
普通の個体じゃない──異種混ざりの変異体だ。
「……こいつは、"斑喉のレッザル"。普通は魔蛇だが、翼の名残があるな。魔鷲の混血か……。こんなもん、ギルドが触りたがらねぇのもわかる」
バルクは包丁を置き、左目でじっと観察した。
肉の色、骨の流れ、筋の分布──
《観肉の眼》が、内部の“暴れた構造”を解析していく。
「心臓まわりが暴走してるな。肝に魔力が集まりすぎてる。捌くなら……二時間だ」
「……やれるんですか?」
「肉が“喰われたい形”をしてりゃ、な」
バルクは口元をわずかに緩めた。
あくまで“素材”を見る目。そこに畏れも、興奮もない。
あるのはただ、料理にするための観察と手さばき。
「任せろ。こいつは骨ごと“喰える部位”にしてやる。……火に強い客を知ってる。そいつに引き取らせりゃいい」
エルンは思わず、息を呑んだ。
この店は、やはりただの精肉店じゃない。
市場の“最後の台所”──それが《ドンネル屋》なのだ。
バルクは、鱗の間から覗く赤黒い肉を見つめる。
義眼がふたたび紅く光る。
それは戦場ではなく、厨房に生きる者のまなざしだった。