雨上がりの跡地
「自らの粗に一つ一つ釘を刺すのは御法度だと思わないかしら、ねぇ」
母はたられば言いながら、墓の前にしゃがんで線香に火をつける。
「あぁ、そうだな」
父は一歩後ろで見守っている。
「…」
「…ほら、雅もうんとかすんとかなんとか言いなさい」
「すん」
隣に並んで立っていた事勿れ主義の私は肘で小突かれ、渋々開口した。
「よろしい」
それでいいのか、と私はずり落ちそうになった花束を持ち直す。父から許しを得たのは、父にとっての粗が、どんな物事であろうと他人事で酷くテキトーだからなのか。私には知る由もない事だ。知る必要もなくていい。この思考すらも不必要だろう。
「雅、花を」
「うん」
今度は小突かれないようにうんを口にして、 母に花束を差し出す。途端、酒をかける如く、百合の花々を墓の上から散らせた。周りに散らばる花々は、心做しか先程よりも数cm萎れた気がした。
今日は年に一度の弟の墓参り。今年は17周忌目。弟…といっても、正確に言えば双子の弟。
3歳の時に交通事故で即死したのだ。名前は何と銘打たれていたか…もうとっくの昔に記憶の底から抜け落とした。彼には「幼くして死んだ不憫な男の子」の座があてがわれているからだ。
弟が死んだあの日あの時あの情景。4月7日午後4時25分32秒、東京都世田谷区××××にて。
母は白と青を基調とした花柄のワンピースにスニーカー。肩につかないショートヘア。父は白のポロシャツに青のジーパンに革靴。髪はなんだろうか。私は大きな真紅のリボンに純白のワンピース、黒のパンプス。髪を外巻き。
弟が死んだ場所で、同じ時間で、同じ服を着て。会話は毎回違う話を持ちかけているが。警察が現場を再現するかの如く、私たち家族は徹底的にあの日を再演している。
「ねぇねぇ、なんで雅は同じ服着なきゃいけないの??」
ものの分別もまともにつかなかった幼少期。弟に新しい服を自慢したかった私は、3周忌目で不満を漏らした。身体が大きくなり過ぎてワンピースも靴も悲鳴をあげたいたし、パツパツで不格好で品がなかったのもある。
「他人の粗に一つ一つ釘を出すのは御法度だと思わないかしら、ねぇ」
拳を振り上げてきたから、それ以降墓参りではうんとすんしか口にしなくなった。
「ねぇねぇ、あいつらなにやってんの??ここ大通りの歩道だけど!?」
「墓立ってるし!?どゆことどゆこと!?」
「こんなとこで墓参りとかウケるんだが。Tiktok撮ったらバズるっしょ笑笑」
弟が死んだ信号の電柱前にお墓を無理やり立てて、毎年お墓参りをしていたら、流石に周りの視線を集める。それに気づいたのは8周忌目だった。
「ねぇお母さん、人に見られてるよ。早く帰ろう」
くいくいと母のワンピースを引っ張ると、無言で手を叩かれた。この時ばかりはうんとすんと拳を忘れていて、些か気が緩んでいたように思う。それ以降、絶対にうんとすんだけにすると心の中で誓った。
あとの墓参りはもう、花束を持って、うんとすんだけに留めている。
「さ、行きましょうか」
母は立ち上がり身を翻して、停めてある車の方向へと向かう。弟の命日は私の誕生日でもあって、これから私は20歳になる。17年前のあの日も、お祝いの為にファミレスへ向かうところだった。ここからは私の時間だ。
「そうだな」
父も母の後ろをついていく。父はうんともすんも言わないが、そうだな、と、母の発言の肯定を促す発言のみ許されていた。大人は自由で羨ましい。
「帰るわよ、雅」
「うん」
そして誰よりも自由であるのは、生から逸脱した弟で、誰よりも束縛されているのは、生を謳歌することを全面否定された私。あぁ恨めしい。
墓を凝視する。17年も経ったとは信じれない程の輝きと熱を帯びている。多分、墓の中で弟はまだ生き続けているのかもしれない。
墓を凝視する。微かな線香の匂いが鼻腔を擽る。
きっと弟は私のことが誰よりも自由で恨めしいと感じている。彼は視覚的にしか物事を測り取れない。他人を思いやる人間地味た心は、疾っくの疾うに天使にもぎ取られてしまっているから。
鳥籠の中随分と過保護に可愛がられて。私も彼と同じ籠に入りたい。籠があるのなら入りたい。私は心身の自由を求めている。その対価として、身体の自由は犠牲にしなければならないだろう。果たして、弟は幾重もの思考を重ね、大人になったのだろう。
家族は宗教だ。洗脳だ。鳩尾だ。
墓参りではうんとすんしか許されないし、両親が喧嘩をすれば無言を貫き通せねばならない。墓を凝視する。
ファミレスに向かえば美味しいを連呼し、プレゼントを貰った暁には、有難うの嵐。墓を凝視する。
自らの粗に一つ一つ、丁寧に釘を刺して、私は今を生きよう。心にまた新たな誓いを立てた。墓はすんと鳴いた。
「なんか変で気持ち悪い家族」を書きたくて書きました。お墓参りってなんかしんみりとしてて、気持ち悪いですよね。死者を弔う行為自体は大事なのですけれど。ご先祖さまのお墓参りに行く時、祖母や祖父は何を思っているのだろうと考えます。