B 断る
「カシラ、お前ワシの話を聞いてなかったろう。猫というのは人知れず一人でひっそりと死ぬのだと言ったであろう。誰が好き好んでヌシに看取られて死んでいかねばならんのじゃ」
カシラは左右左と首をかしげる。
「嫌か?」
「嫌じゃ」
「・・・」
「・・・」
「そうか、そんなら仕方あるまい。けれど、気が変わって食われとうなったらいつでも戻ってこい。歓迎するぞ」
カシラはクケクケクケとカラスらしからぬ笑いを残して飛び去っていった。
青ヒゲは深いため息をついて、がたのきた体をゆっくりと動かして道を進んだ。
たどり着いたのは草がぼうぼうの川原だった。
あれから川に沿って上流の方へ向かった。
下流の方は道がコンクリートで塗り固められていて、肉が土に返ることも無いので、仕方なく上流に向かっていったのである。
結局、自分の領域の外まで来てしまった。
(まぁ、時間が無いから仕方あるまい)
その日、川原の草むらの中で一匹の猫が定め通り静かに息を引き取った。
子供の笑い声が聞こえた。
川の氾濫を抑えるための土手があって、そこに青ヒゲはちょこんと座っていた。
肉体をなくした青ヒゲの魂は、そこで次の生を待つのだ。
何十回か前の前世ではよく見た光景である。
自然が自然にある風景。
その中で男の子と女の子が二人で遊んでいた。
他愛も無い情景。
しかし、まるでその一瞬を留めて置きたいかのように青ヒゲの瞳に訴えかけてくるものがあった。
夕暮れ時、遊びの掛け声はまるで永遠のように続いた。
「あっ、もうこんな時間なんだね。私もそろそろ帰らなくちゃ」
少女が落ちかける夕日を見て少年に言った。
「じゃぁ、また明日。また一緒に遊ぼうね」
少女は手を振って駆け去っていった。
少年は彼女の姿をいつまでも見送り立ち尽くしていた。
やがて日はすっかりと身を隠して、闇が訪れた。
雲が出てきているのだろうか、月光も星明かりも無く、真っ暗だ。
その中を少年は呆然と立ち尽くしている。
青ヒゲは身震い一つして何処へとも無く歩き出そうとしたその時、少年のほうから声がした。
「彼女とはその日以来会えなくなってしまった。次の日も、そのまた次の日も。彼女はあの日からもう二度と僕の前に現れることは無かった」
青ヒゲが振り返ると少年が立っていたところには顔面蒼白の青年が立っていた。
「・・・約束したのに、彼女は来なかった」
青年は静かに青ヒゲの魂に語りかけてきた。
それは悲痛な独白のようでもあった。
「そんなもんじゃろう。子供の頃の約束など。大方、どこか遠くへ引っ越したとか、そんなところじゃろ」
青年は静かに首を振る。
「違うんだ。そんなんじゃないんだ。初めて彼女の生まれ変わりに出会ったそのときに気づいていれば、まだ僕の力でも何とかなったのかもしれない。命を懸けてでも」
「ほぅ、生まれ変わりと出会えたのか。それは良かったのぅ」
青ヒゲは興味なさそうに髭を上下させながら適当に相槌を打つ。
余談ではあるが、この髭を揺らす行為は青ヒゲの癖である。
いや、すでに癖の域を超え、特技といってもいい。
昔どれだけ早く髭を揺らせることができるか試したところ、早すぎて髭が青く光ったという逸話があるほどである。
ただ、出所がカラスどもの噂話であるが故、真偽のほどは定かではない。
「・・・彼女の生まれ変わりと出会ったのは、彼女が死ぬ間際のこと。彼女が幾度転生しようとも、僕が彼女と会えるのは彼女の死に際の一時だった。何度もこの川で溺死してしまう彼女の姿を見て、何かがおかしいと気づいたときには、川が人間達に侵されて僕の力が弱まってしまってからだった。そう・・・彼女は呪われていた。僕がこの川を治める任を放ったらかしにして彼女と遊んでばかりいたから、水精の王がお怒りになって彼女に呪いをかけてしまった。それ以来、彼女の最期は決まってこの川で溺れ死んでしまう。例え何度生まれ変わってもそれは変わらない。僕にはただ彼女が苦しんで死んでいくのを見ていることしかできない」
「・・・それでワシにどうしろと?」
青ヒゲはいつの間にか人の姿をなしていた。
その姿は老年の男性、穏やかな雰囲気を醸しながらもその眼光は鋭く、口元の豊かな髭を愛おしそうになでていた。
川の精は答えず、うつむいたまま沈黙している。
「言えぬならワシが言ってやろう。自分で招いた結果をワシに尻拭いさせようとしている。そうだな?」
はっと川の精が顔を上げる。
このとき、青ヒゲの体は中年の姿へと若返っていた。
「いえ、決してそのようなことは・・・」
「そのつもりでワシに先程の話を聞かせたのだろう?」
悪気なく笑い飛ばす青ヒゲに青年はただただ自責の念から唇をかみ締めるのだった。
「ただ、ワシの命を使っても何の力にもなれないかも知れない。それでもいいのか?」
「いえ、僕はただお力添えして頂ければと思っただけです。命までかけてくださらなくとも・・・」
「構わん。ワシも幾度か前の前世で、悪がきどもに井戸へ投げ込まれたことがある。そのときの苦しみを思い、あの子に何度も味わわせたくないと思っただけだ。気にするな」
青ヒゲはそう言い放ち、不敵に笑った。
川の精は同じ年ぐらいまで若返った青ヒゲに深々と頭を下げた。
「さぁ、急ごう。時間が無い。ワシの魂が来世へ渡るその前に」
「はい」
青ヒゲの姿が少年のものとなったとき、それは起こった。
その体が一気に老いていったのである。
少年、青年、中年、老年、そして最期には泡となって消えてしまった。
その日、雨が降った次の日だというのにその川だけが他の川と異なり、太平の海のように穏やかだったという。
ただ出所がカラスどもの噂話であるが故、真偽のほどは定かではない。