林の矢じり
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お、どうしたどうした、つぶらや? 急に足を止めたりして。
――お地蔵さんを見かけたから、おいのりしていく?
お前なあ、さすがにゲームのやりすぎじゃないか? ほこらや道祖神とかがセーブポイントになっているとか、そういうノリだろ?
なんだ、人生セーブをしておくのか? いちど電源を切っちまったら、もう二度とつけることはできないし、都合のいいロードは聞かないぞ。
それに触らぬ神になんとやら、だ。へたなかかわりを持ったばかりに、それこそ人生リセット級のトラブルに遭う恐れがある。
若いうちはなんでもしてみろというけど、俺には「未来に別れを告げたなら」の枕詞が隠されているような気がしてならん。
つぶらやも未来を惜しく思うなら、うかつな真似はやめとくんだな。お前は執筆もしたいんだろう? 冒険は人生に疲れてからでもいいと思うぞ。
――ん? だったら書くためのネタを提供してくれたらいい?
おいおい、なんで俺が譲歩する側なんだ? お前、ときどきすさまじく自己中になるよな。
まあ、お前の寿命が伸ばせるならいいとするよ。さて、どんな話をするかねえ……。
よし、俺が小さいころに聞いた、奇妙な一話にしてやんよ。
むかしむかし。
しばらく戦とは無縁だった俺のじいちゃんの地元にも、とうとうその気配が漂い始めていた。
おそらく、このあたりが主戦場になるんじゃないかと、殿様のスパイたる細作たちは、いくつかのあたりをつけて、地形の調査に乗り出していたのだそうな。
細作のひとりが担当する箇所は、川を挟んで向き合う森林地帯。兵を伏せるに適した地形ではあるが、ゆえに先手を打って細工が成されている場合もある。
主に落とし穴や鳴子など、足元近くを中心に探っていく細作は、やがてあることに気づいた。
「森」より「林」に移ろうかという、木立がまばらになりかけようというところで。
細作は一本の樹の幹、中ほどが不意に光るのを目にしたんだ。
細作の肩ほどの高さにあるそれは、とがった矢じりのように思えたという。「の」から羽根に至るまでは、どこにも姿はない。先端部分のみがここに取り残されている。
見た限り、矢じりはさほど深く刺さっていないように思えた。しかし細作が持参していた平箸でがっちりつかみ、引いてみたり、揺さぶってみたりするも、矢じりはびくともしない。
あたかも、ここは自分の家といわんばかりの頑強さで、細作の嫌がらせをことごとく退けていく。
しばしの奮闘で、細作の額に汗がにじんできた。
矢じりは変わらず抜ける気配がなく、そばへどかりと腰を下ろした細作は、ぼんやりとあたりを見回し、違和感を覚える。
先ほどまで見ていた景色と、どこか異なる気がするんだ。
だいたんに地理が変わったわけではない。確かに自分が先ほどからいる木立ではあるが、何かが抜け落ちている感がする。
細作は下見のために用意した、いくつかの紙片を取り出した。地理を確かめる意味合いでも、絵心のある者が任されることの多い仕事だ。すでに何枚か、ここの近景と遠景を描いたものがある。
それらを照らし合わせ、細作自身も周辺を歩き回って、確認してみた。
川向こうの林の一角が、すっぱりなくなってしまっているんだ。自分が矢じりと格闘している、わずかな間で。
数十人は隠れられそうな広さがあった。そこが消えて、向こうの景色を丸見えにさせているのだから、伐採したとしか思えない。しかし伐り出した樹が運ばれた様子はなく、かといって転がっておらず。
そしてそれほどの大工事をしたなら、細作が気づかないわけがない。
しばし、見晴らしのよくなった景色をにらんだのち、細作は先ほど格闘をした矢じりを振り返る。
不動ながら、顔さえ映すほどの輝きを持つ表面は、さんざんにつかまれた平箸のために、大きな傷ができていたんだ。
結局、矢じりをどうすることもできず、細作はこの不可解なできごとを上へ報告する。
当初こそ注目を集めたが、ほどなく来た敵軍の出陣。およびその予想進軍経路が、くだんの森林地帯を外れる見通しである情報が入り、うやむやになってしまう。
かの細作も、この戦の際に命を落としてしまったらしく、前述の話も、細作の報告を聞いた者たちの情報を合わせた内容だ。
戦そのものも、月をまたぐ小競り合いが続き、ひと段落が着いた頃にはもう、あの不可解なできごとについては、話題にのぼらなくなっていた。
このことが再び表に現れるには、殿様が隠居し、次代へ移る30年ほどの経過を待たないといけない。
新しい殿様は、かの森林地帯で戦に臨んだ。
本隊をそばの丘陵に移し、腹心の家臣を例の森林地帯へ伏兵として、忍ばせていた。
元より指揮に定評があった将だ。敵に悟られないよう、カラス一羽もこずえから飛び立たせない管理は、さすがといわざるを得ない。
だが殿様の本陣から見るその森は、鳥よりも目立つものがあったんだ。
光。樹冠の高い位置から、ちらちらと強い光が、ときおり本陣まで届いてくる。これは目立つと、殿様は早急に光源を立つよう、使いを飛ばした。
しばらくして戻ってきた使いによると、あれは幹高くへ刺さった、いくつもの矢じりだったというんだ。
身の軽い者がじかに確かめ、いくら力を入れようとも抜けない矢じり。その光がこちらにまで照っている。
――どうも気になる。いまからでも配置を変えるか?
しかし目立つ本隊より、伏兵は悟られることが致命的。
殿様は最終的に、本隊のみをやや後退させるにとどめ、陣を張ろうとしたらしいんだ。このとき、30年前の話はみじんも頭になかった。
そうして本隊の移動が完了しきった、日暮れ前。
かなたから鉄砲の音が次々響き、一同は飛び上がりそうになる。
気の早い夜襲か、とも思ったがどうにも音が遠い。周囲を見回す一同は、やがてあの伏兵たちが潜む森、その樹幹あたりが、しばしば揺れているのを確かめたんだ。
あの、強い光を放つ矢じりたちが、刺さっているだろうところ。
なぜ、あのような場所を?
その疑問に、現実はすみやかな回答をもって示した。
幾度目かの揺さぶりののち、皆がまばたきをした直後、森全体がいっぺんに姿を消したんだ。
先ほどまで遮られて見えなかった、遠景の川や山が望める。
すぐさま、細作を飛ばした殿様は、確かに森のあった一帯が平地と化しているのを確認する。伏せておいた兵も将も、すっかり姿を消してしまっていたと。
ただ、その地表にはまばらに、あの取れなかった矢じりたちが転がっていたらしい。
いずれも、光を放つことなどできないほど細かく砕け、表面には無数の傷が走っていた。
その表面は、何も映すことはなくなっていたという。