#76 もう二度と、
「……というわけで今日の球技大会、優勝は~……D組ですっ!」
全ての試合が終了し、体育館で2年生が皆じっと体育座りをする中、結果は発表された。
俺が力任せに投げたボールは……限りなく入りそうだったが、入らなかった。結局点差を覆すことはできず、D組があのまま逃げ切って勝利。その影響が大きかったのか、全体での優勝もD組となった。
ほどなく先生方のお話も終わり、球技大会はこれにて終了。今日は流れ解散らしい。
「くっそ~!! あのシュートが入ってれば~!!」
「いや~俺もあのサーブさえ完ッ璧にキメてればな……」
同じB組の陽キャらは悔しそうにしている。
しかし、そんな彼らには悪いようだが……俺の気分にはどこか清々しささえあった。俺のせいで負けたという側面さえ、あるというのに。
体育座りを解き、すっくと立ち上がる。
「……いい顔してんじゃん?」
俺に声をかけてきたのは、藤沢だった。
「球技大会は終わったはずだが、まだ何か用か?」
「いやいや、別にそういうんじゃ」
にしても、『いい顔』ねぇ。そんなにニヤついてたのか俺は? ここに鏡はないから、どんな顔をしていたのか確認する術はないが。
「ただ……俺がこの前二駄木を推したときさ。なんつーか、ビビっちまったんだよな」
「ビビった?」
「言ってたろ、『バスケはやりたくない』って。俺はそりゃあ、バスケ好きだけどさ……俺の好きなモノが、コイツは嫌いなのかなって。聞いててすげー不安な気持ちになったんだよ」
お前の好きなモノを俺が嫌いだったところで、何も問題なんてないだろう……などと腐してしまいそうになった。でも少し、分かってしまった。
自分が好きなものを嫌いだって言ってる奴を見ると、ちょっと傷ついたような心持ちになるよな。分かるよ。
「……でもさ、今の顔見て分かったよ。俺の考えすぎだったって」
藤沢はニッと笑って、そう言った。
「……そうだな。考えすぎだったんだよ」
「ははっ、そこ乗っかってくるのかよっー!」
藤沢から顔を背け、体育館の出口へと向かう。
(『考えすぎ』……ね)
……”誰が”とは、あえて言葉にしなかった。
~~~
更衣室で着替え、荷物を取りに教室へと戻る。今日は一日球技大会だったから鞄の軽いこと軽いこと。
俺は鞄を背負って教室を出た。
「……」
そこにいたのは……雨海だった。廊下の壁にもたれてスマホをいじっていたが、俺が来るとその顔を上げ、近づいてきた。
「……帰ろ。一緒に」
普段とは異なる雰囲気を纏う彼女は、そう言って俺を誘った。
いつものように階段を降り、靴を履き替え、校門を通り抜ける。雨海と二人で帰るなんて今まで幾度とあったことなのに、今日はお互い口数が少ない。そのせいか妙な緊張感があった。
大通りに出る。いつもならこの通り沿いを駅まで真っ直ぐ行くだけだが……。
「……遠回り、したいんだけど」
雨海はそう言うと、通りから逸れる脇道の方を見やった。俺はただ、彼女の求めに黙って応じた。そうすることしかできなかった。
富坂高校が面するここ一帯の大通りは細長い台地の上に作られており、大通りからちょっと脇道に逸れるとたちまち坂道にでくわす。そのためここ一帯は非常に坂道の多い地域となっている。
俺たちが入ったのは台地の下方へと階段が続く、さほど広くもない道。大通り沿いには同じ学校の生徒らも多く見られたが、こちらは人がほとんどいない。
階段を下っていくと……雨海がふと、俺の前へと出た。
しばし無言で見つめ合う時間が続く。
そして、やがて雨海は口を開き……。
「……そもそも、選ぶ気なんてないんじゃない?」
「……なんだ急に」
その台詞は、俺が想定していたものとは違った。
「『ちゃんと答えは出すから』なんて言ったらしいけど。でも……本当はどっちともフって、それで全部終わらせるつもりなんじゃないの?」
「……」
驚いた。
「……なぜ分かった?」
「やっぱり! ……ほんと、あんたのやりそうなコトだと思った」
俺が隠すのが下手になったのか、彼女の直感が凄いのか。
何にせよ……ここまで疑念を持たれている以上、ここでシラを切ることにあまり意味はない。
「……二人の異性に同時に惚れられて、二人とも俺にとってかげがえなくて、二人の間も仲が良くて。そんな状況で俺が一人を選んだとき、選ばれなかった方の気持ちはどうなる?」
もう二度と、繰り返すのは御免だ。
こんなしんどい思い……味わうのも、味わわせるのも嫌だ。
「だから……俺は選ばない」
これは痛み分けなんだ。誰か一人に、傷を押し付けないための。
俺一人で背負えればよかったのだが、残念ながらそれは理想とも呼び難いただの妄想でしかなかった。
だからせめて、3人で少しずつ……。
「……ばかっ」
「えっ」
「バカだよほんとっ!! バカバカ!! なんにも分かってないっ!!」
「は、はぁっ!?」
雨海は両手で俺に掴みかかってそう言い放った。それからひとしきり、こちらを揺すっていると……やがて息を切らした。
深呼吸し……顔を上げ、刺すようにこちらの目を見つめる。
「……好きっ」
……そして、彼女の想いをぶつけてきた。
「大好きっ……!」
茜色の空を背に、顔を赤らめて。雨海は遂にその言葉を口にした。
自分の恋心を真正面から正直に伝える彼女。恥じらいを湛えたその表情は、きっと今まで彼女を見てきた中でも一番可愛い姿だった。
「……だけどね」
だがそこで、雨海は顔つきを変えた。ついさっきまでの恋慕の色を残しつつも、どこか苛立ちを滲ませた目。
「あんたさ、勘違いしてるんだよ」
「どういう……ことだ?」
「『選ばない』だなんて、あんたが言い出す理由はなんとなく分かる。でもっ……」
彼女は切実な顔をして言った。
「あたしが今一番イヤなのは、あんたが他の誰かのものになることじゃない。……あんたが、あたしのものにならないことなんだよっ!」
「……っ!」
一瞬、言葉が出なかった。
そこまで言ったところで、我に返る雨海。慌てて両手をフリフリとしながら後ずさる。
「あぁっ、いや、そのっ……”もの”っていうのはなんというか、言葉のアヤで……」
「分かってる……そんなこと」
俺は、またしても愚かだった。
知らなかった。いや、考えようとしなかったのだ。それほどもまでに自分が、彼女たちに想われていただなんて。
「…………本当に、すまなかった」
一方を選んでしまえば、もう一方を酷く傷つけてしまう。それなら、いっそ選ばないほうが彼女たち二人のためになると思っていた。
でも、違った。
”痛み分け”になどならないのだ。選ばなければ、それは二人を同じくらい酷く傷つけるだけ。
じゃあ……。
「どうすればいいんだよ……っ」
誰に向けるでもなく、言葉は地面に吐き捨てられた。
そんな俺を覗く雨海の表情は……気付けば慈愛を湛えた顔になっていた。
「あたしがこんな偉そうに言うのもなんだけどさ……選ぶしか、ないんじゃない?」
「……結局、そうなるのかよ」
「でも……ちょっと待って」
雨海はスマホを取り出すと、何やら操作しだした。かと思えばすぐにロックをかけ、スマホは鞄にしまった。
「付いてきて……あと、その前に」
階段を下ろうとこちらに背を見せたかと思えば、彼女は突如階段を駆け上がって俺の背後に立った。
なんだなんだと振り返った、その瞬間……。
「……!!?」
彼女は俺の体を引き寄せて、唇を奪った。
向こうは瞳を閉ざしたまま。そこから一歩も動こうとしない。
……やがて、顔と顔が離れた。
「なっ、なんで……っ」
「それは……あたしの背じゃ、こうしないとできなかったから……」
「聞いてるのはそこじゃねぇっ!」
雨海は恥ずかしげに目を逸らしつつ言う。
「……なんだかんだ言って、ちょっと悔しかったから」
「えっ」
「も、もういいでしょっ! 行くよ!」
そう言って俺の横を通った瞬間。
彼女はその口に人差し指を当てながら、確かに顔をほころばせていたのだった。